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千年の予言と二つの脅威

 万象の書庫の最奥で、沈黙が重く降り積もる。


 レイドは古代文字の浮かぶ石版を見つめたまま、動けずにいた。千年前の予言。深淵教団の復活。その二つの事実が、鋭い楔のように思考に突き刺さっている。


「千年周期で封印が弱まる——つまり今がその時期だと、そう言いたいのか」


 声が掠れた。ソフィアは長い銀髪を揺らし、静かに首肯する。


「正確には、封印の維持に用いられたマナが枯渇し始めるのです。千年という歳月は、あの大魔導士たちが命を賭して編み上げた封印術式の限界点。わたくしの計算では、崩壊まで残された時間は——一年と少し」


 一年。


 レイドは研究ノートを握り締めた。聖剣旅団の脅威、三領主の包囲網、暗殺者ギルド黒蛇。それだけでも手一杯だというのに、千年前の災厄が目を覚まそうとしている。


「ソフィア、深淵教団について、もう少し詳しく聞かせてくれ」


「かしこまりました」


 ソフィアが手を翳すと、書庫の空間に古代の映像が浮かび上がった。青白い光で描かれたアルカディアの都市。その美しさはノヴァ・アルカディアの比ではなく、マナで編まれた尖塔が天を衝く。


「深淵教団が操る力は『虚無』と呼ばれます。万物を構築する力の、正反対に位置するもの。あらゆる魔術式を侵食し、無に還す」


 万物を構築する力の反対。


 レイドの背筋に冷たいものが走る。


「それは——俺の万象構築魔術と、対になる力ということか」


「ご明察です。アルカディアの大魔導士たちが万象構築の系譜であったからこそ、教団は天敵として台頭しました。構築を侵食し、無に還す。あの戦争は、創造と虚無の根源的な対立だったのです」


 映像が切り替わった。美しかったアルカディアが黒い靄に覆われていく。建造物は朽ち、魔導回路は蝕まれ、人々が逃げ惑う光景。


 レイドは食い入るように映像を見つめながら、同時にノートを走らせた。虚無の力の特性、侵食パターン、封印術式の構造——一つでも多く記録しなければ。


「最終決戦で大魔導士たちは、自らの命をマナに変換して封印を完成させました。文明の崩壊は、その代償です」


「命をマナに……」


 ペンが止まる。それは究極の自己犠牲だ。都市を、民を守るために、己の存在すら捧げた者たちがかつてこの地にいた。


 そして今、自分は彼らが守り抜いた土地に、新たな都市を築いている。


「——わかった」


 レイドはノートを閉じ、立ち上がった。深呼吸を一つ。感傷に浸る猶予はない。


「ソフィア、この書庫の記録を継続的に参照する許可を貰えるか。万象構築魔術の強化に必要な知識が、ここには眠っている」


「もちろんです。そのためにわたくしはお待ちしておりました。ただし——」


 ソフィアの虹彩が金色に変わる。


「お一つ、お伝えしなければならないことがございます」


「まだあるのか」


「この地のマナが異常に活性化している事実を、あなたも感じているはずです」


 レイドは頷いた。ブランフェルト荒野に来た当初から、マナの湧出量は大陸随一だと感じていた。それが都市建設には好都合で、インフラ構築を支える恵みだと思っていたのだが——


「あの豊富なマナは、自然のものではありません。封印が弱まりつつある証拠です。地下深くに施された封印から、抑え込まれていたマナが漏出しているのです」


 言葉を失った。


 ノヴァ・アルカディアの繁栄を支えてきたマナの源。あの恵みの正体が、災厄の前兆だったとは。


「……記録は以上です。どうか、お仲間の皆様とよくご相談を」


「ああ。すぐに共有する」


 書庫を出る足取りは、入った時とは比べものにならないほど重かった。



  ◇



 会議室に戻ると、ガルム、フィーネ、リリアーナが既に待っていた。ミーシャはテーブルの上に腰を下ろし、足をぶらぶらさせている。


 四人の視線がレイドに集中する。その表情を見て、ガルムが低く唸る。


「……いい報告じゃなさそうだな、団長」


「ああ。長くなる」


 レイドは書庫で得た情報を順に語った。深淵教団という存在、虚無の力の本質、千年周期の封印、そして残された猶予が一年余りだということ。


 説明を終えた会議室に、重い静寂が落ちる。


 最初に口を開いたのはガルムだった。


「千年前の敵が目を覚ます。厄介だ。だが団長、今の俺たちには目の前に聖剣旅団がいる」


 太い腕を組み、鋭い金の瞳でレイドを見据える。


「二つの脅威を同時に抱えるなら、なおさら優先順位が要る。まずは差し迫った敵を叩く。千年前の化け物に備えるにしても、足元を固めてからだ」


「ガルムさんの仰る通りですわ」


 リリアーナが扇子を閉じ、真剣な面持ちで続けた。


「それに、この情報の取り扱いには細心の注意が必要です。深淵教団の復活などという話が民に広まれば、混乱は避けられません。今はまだ、この場にいる者だけで留めておくべきですわ」


「万象の盟約の同盟国には?」


「段階的にお伝えしましょう。まずはわたくしたちが状況を正確に把握し、対策の骨子を示せるようになってから。情報だけ渡して不安を撒くのは、外交として最悪の手ですの」


 さすがだ、とレイドは内心で唸った。危機的状況でも冷静に外交の力学を読むのがリリアーナの強みだ。


「同感だ。ガルム、聖剣旅団への防衛体制を最優先で固めてくれ。斥候を増やして侵入経路を洗い出す。リリアーナは情報統制と外交面を頼む」


「任せろ」


「承知いたしましたわ」


 二人が頷いたところで、それまで黙っていたフィーネが手を挙げた。


「あの、レイドさん。一つ聞いてもいいですか」


「なんだ?」


「書庫の記録に、古代の薬学文献もありましたか?」


 意外な質問だった。だが、フィーネの碧い瞳は真剣そのもので。


「ああ、膨大な量が保管されている。アルカディアの医療技術は現代を遥かに凌いでいたそうだ」


「なら、私にその文献の研究をさせてください」


 フィーネは椅子から身を乗り出した。


「古代の薬学知識があれば、虚無の侵食を受けた人を治療する手段が見つかるかもしれません。それに、戦場で使える即効性の薬も調合できるはず。植物魔法と組み合わせれば——」


「おお、さすがフィーネなのです!」


 ミーシャがぱちぱちと手を叩く。


「古代アルカディアの薬学は、マナを媒介にした生体修復理論がベースなのです。フィーネの植物魔法との親和性は極めて高いですよぅ。ミーシャが理論面をサポートすれば、実用化は十分可能なのです」


「ミーシャも手伝ってくれるの?」


「もちろんですよぅ! ご主人様の大事な仲間のためですからね」


 レイドは仲間たちの顔を一人ずつ見回した。


 千年前の脅威が迫り、目の前にも強大な敵がいる。だが、この面々がいる限り、絶望に呑まれる道理はない。


「フィーネ、頼んだ。ミーシャと連携して、使えそうな知識を片端から洗い出してくれ」


「はい。必ず成果を出しますから」


 その声には迷いがなかった。かつて種族の狭間で居場所を失った少女の面影は、もうどこにもない。


「そして俺は、万象の書庫にある古代の魔術記録を解析する」


 レイドは窓辺に歩み寄った。


「万象構築魔術と虚無は対極の力だ。千年前の大魔導士たちが到達した領域を理解できれば、対抗策が見えてくる。——いや、見つけてみせる」


 窓の外、ノヴァ・アルカディアの街並みが夕日に照らされていた。琥珀色に輝く建物の間を、魔導灯が一つ、また一つと灯っていく。通りには仕事を終えた住民たちの笑い声が響く。人間も獣人もエルフも、分け隔てなく。


 この光景を守る。何が来ようとも。


「団長」


 ガルムの声に振り返ると、虎族の戦士は不敵な笑みを浮かべていた。


「千年前の化け物が来ようが、宰相の飼い犬が来ようが、構わん。この街を守る壁は厚い」


「ガルムさんがそう言うと、本当に何とかなりそうな気がしますね」


 フィーネが微かに笑い、会議室の張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。


 仲間たちが席を立ち、それぞれの任務へ向かう。足音が廊下に遠ざかるのを聞きながら、レイドは一人、窓の外を見つめ続けた。


 ソフィアが最後に告げた警告が、脳裏から離れない。


 ——この地のマナの異常活性化は、封印が弱まっている証拠。そしてそれは同時に、既に教団の尖兵が動き出している可能性を意味する。


 夕暮れの街は穏やかだ。子供たちが走り回り、露店の店主が呼び込みの声を上げている。何一つ変わらない日常の風景。


 だが、その平穏の地下深くで、千年の眠りから覚めた何かが蠢いているかもしれない。


 レイドは拳を静かに握った。


 知らぬ間に、戦いはもう始まっているのだろう。

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