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万象の書庫

 扉が開いた。


 金色の光が収束し、黒曜石の巨大な扉が左右にゆっくりと動く。千年の沈黙を破る重い軋みが、地下空間に反響した。


 扉の向こうから流れ込む空気は、不思議と温かい。乾いた遺跡の冷気とは明らかに異質な、生きた空気だった。


「ご主人様、大丈夫ですか?」


 ミーシャが心配そうに見上げてくる。レイドは自分の手を確認した。先ほどまで制御不能だった魔力は、嘘のように静まっている。


「ああ、問題ない。むしろ妙に頭が冴えてる」


「扉の認証魔術が、ご主人様の魔力回路を一時的に活性化させたのです。アルカディア式のセキュリティは、適格者には褒美を与える設計なのですよぅ」


「なるほど。侵入者には罰を、資格者には恩恵を、か」


 合理的だ。レイドは研究者として素直に感心しながら、扉の先へ足を踏み入れた。



  ◇



 通路は広い。大人が五人並んで歩けるほどの幅がある。


 壁面には等間隔で魔導灯が埋め込まれ、二人の接近に反応して順番に点灯していく。青白い光が奥へ奥へと連なり、まるで道案内をするように先を照らした。


「千年経っても魔導灯が機能してるのか。動力源は何だ?」


「地脈から直接マナを汲み上げる方式ですね。ブランフェルトはマナ湧出量が大陸随一ですから、半永久的に稼働するのです」


 ミーシャの解説を聞きながら歩を進める。百メートルほど進んだところで、通路の雰囲気が変わった。


 壁に刻まれた文字列が赤く明滅し始める。


「——来るぞ」


 レイドが足を止めた瞬間、床から半透明の障壁が立ち上がった。前方と後方を同時に塞がれる。


 そして天井から、三体の光の巨人が降り立った。


「防衛機構——古代ゴーレムなのです!」


 光の巨人たちは無言で腕を振り上げる。その拳にマナが凝集し、眩い輝きを放つ。


 だがレイドは慌てなかった。


「万象構築——共鳴干渉」


 ゴーレムの魔力構造を読み取り、その振動パターンに逆位相の波を重ねる。三体の動きが一瞬で停止した。


「ミーシャ、こいつらの停止コードは分かるか?」


「えっと——あ、ありました!『アルカディア・スタシス・コード七七三』です」


 ミーシャが古代語で停止命令を唱えると、ゴーレムたちは光の粒子に分解されて消えた。


「管理者権限で停止できるのか。便利だな」


「ミーシャも驚きました。覚えてないはずの知識が、ここに来たら自然と出てくるのですよぅ」


 不思議そうに首を傾げるミーシャ。レイドはその言葉を心の隅に留めた。この遺跡がミーシャに何らかの影響を与えている。それは確かだ。



  ◇



 さらに二度の防衛機構を突破した。


 一つは通路全体を覆う複合結界。六属性が複雑に絡み合い、通常の魔術では解除不可能な代物だった。だがレイドの万象構築魔術は属性に依存しない。結界の構造式そのものを書き換え、通過口を開くことに成功した。


 もう一つは床一面に展開された転移罠。踏めば遺跡の入口まで強制送還される仕掛けだったが、ミーシャが罠のパターンを看破し、安全な足場を指示してくれた。


「次で最後のはずです。この先が——」


 ミーシャの声が途切れた。


 通路が途切れ、巨大な空間が広がっている。


「これは——」


 レイドも言葉を失った。


 地下に、空があった。


 少なくとも、そう錯覚するほどの広大な空間。天井は遥か高く、その全域に無数の光点が浮遊している。星空のように。


 だが、星ではない。


 魔導結晶だ。


 拳大から人の頭ほどの大きさまで、形も色もさまざまな結晶が、数えきれないほど宙に漂っている。一つ一つが淡い光を放ち、空間全体を幻想的に照らし出す。


「万象の書庫……」


 ミーシャが呟く。その虹色の瞳に、無数の光が映り込んで揺れている。


「知っているのか?」


「名前だけ。ミーシャの記憶の奥底に、この場所の名前だけが刻まれていたのです」


 結晶の一つがゆっくりと降りてきて、レイドの目の前で静止する。手を伸ばすと、表面に文字が浮かび上がった。古代アルカディア語の——論文だ。


「これ全部、記録媒体なのか。一つの結晶に一つの文献が……」


 見渡す限りの結晶。数千、いや数万はある。


 アルカディア文明、千年分の知識。


 魔術師として、これほど心躍る光景があるだろうか。


「——お待ちしておりました」


 声が降ってきた。


 女性の声。落ち着いた、だが威厳に満ちた響き。


 空間の中央、最も大きな結晶の前に光が集まり、人の形を取る。


 長い銀髪に、穏やかな碧眼。ミーシャと同じ銀の髪だが、纏う雰囲気は遥かに成熟している。大人の女性の姿をした、半透明の存在。


「わたくしはソフィア。この万象の書庫の管理者として残された、上位人工精霊です」


 レイドの隣で、ミーシャが目を見開く。


「あなた、ミーシャと同じ——」


「ええ。久しいですね、末妹」


 ソフィアが微笑んだ。その表情には、千年の孤独を耐えた者だけが持つ静かな感慨が滲む。


「い、妹……? ミーシャがソフィアさんの妹なのですか?」


「正確には、同じ技術体系から生まれた姉妹精霊。わたくしは書庫を守るために作られ、あなたは——書庫の知識を外の世界に伝えるために作られた」


 ミーシャの存在理由。封印されていた意味。それが今、一つの答えに収束する。


「外界に……伝える?」


「そう。あなたは知識の運び手。いつか書庫にたどり着ける適格者が現れたとき、その者と共に古代の叡智を活用するための存在です」


 ミーシャが震える手でレイドの袖を掴んだ。レイドはその手にそっと自分の手を重ねた。


「大丈夫だ。お前がお前であることに変わりはない」


「ご主人様……」


 ソフィアの視線がレイドに向けられる。碧の瞳が、品定めするように細められた。


「あなたの魔術を見せていただきました。扉の認証時に」


「俺の万象構築魔術を?」


「ええ。間違いありません。あなたの魔術体系は、アルカディアの大魔導士たちが生涯をかけて追い求めた究極魔術——『万象記述式』の末裔です」


 レイドは息を呑む。


 宮廷で「何の属性にも秀でない半端者」と蔑まれた魔術。師から受け継ぎ、独学で磨き上げてきた、誰にも理解されなかった技術体系。


 それが、古代最高峰の文明が到達しようとした究極の魔術だった。


「属性に依存せず、現象そのものを記述し再現する。我らの先人たちは、それこそが魔術の最終形態だと確信していました」


 ソフィアの言葉が、静かに響く。


「書庫へのアクセスを許可します。ここに眠る全ての知識を、どうぞお使いください」



  ◇



 時間の感覚が消えた。


 レイドは結晶を次々と手に取り、記録を閲覧した。魔導工学、結界理論、都市設計、農業魔術、医療魔術——あらゆる分野の知見が、千年の時を超えて鮮明に保存されている。


「すごい……この結界の多層構造、今のノヴァ・アルカディアに応用すれば防衛力が三倍になる。いや、この魔力循環システムを組み合わせれば——」


「ご主人様、目が怖いのです」


「待ってくれ、あと少しだけ——つまりこの魔法陣の効率を最適化すれば都市全体のマナ消費を四割削減できる。いや待て、そもそも前提が——」


 研究没頭モードに入ったレイドを、ミーシャが呆れた顔で見守る。ソフィアはそんな二人を穏やかな目で眺めていた。


「熱心な方ですね。先人たちを思い出します」


「ソフィアさん、ご主人様はいつもこうなのですよぅ。止まらなくなるのです」


「ふふ。良い主を見つけましたね、末妹」


 どれほどの時間が経っただろう。数十の結晶を閲覧したところで、レイドの手が止まった。


 一つの結晶。他より暗い色をした、赤黒い結晶。


 触れた瞬間、空気が変わる。


 記録の冒頭に記された文章が、レイドの目に飛び込んできた。


「——『アルカディア滅亡記録。最終報告書』」


 ソフィアの表情から、微笑みが消えた。


「その記録を……見つけてしまいましたか」


 レイドは読み進めた。


『我らの滅亡は内部崩壊ではなかった。我々は「深淵教団」との戦争に敗れたのだ——』


 深淵教団。聞いたことのない名前だ。


 だがその記述には、背筋が凍るような具体性があった。深淵教団は古代の禁忌魔術を操り、アルカディアの防衛網を内側から瓦解させた。千年前の大戦は、天災でも内紛でもなく、明確な意志を持った敵による侵略戦争だった。


 そして記録の最後に、予言が刻まれている。


 レイドの指先が、微かに震えた。


『深淵教団は滅びていない。千年の眠りの後、再び目覚めるだろう——』


 千年。


 アルカディアが滅んでから、ちょうど千年が経過している。


「ソフィア、この記録は——」


 振り返ったレイドの顔は、蒼白だった。


 ソフィアは静かに頷く。


「わたくしが千年もの間、書庫を守り続けた理由。そして末妹を外界へ送り出した理由。全ては——その予言のためです」

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