毒牙と影の追跡者
報告を受けてから三日。レイドは都市の防衛体制を見直しながらも、通常業務を止めるわけにはいかなかった。
暗殺者ギルド『黒蛇』——大陸の裏社会でも最も名の知られた殺し屋集団だ。国家間の暗殺依頼すら請け負うと噂される連中が、この辺境都市に刃を向けている。
「問題は、いつ来るかじゃない。もう来ているかもしれない、ということだ」
執務室で地図を広げながら、レイドは呟いた。
◇
その日の午後。フィーネは薬草園で新たな薬効植物の植え付け作業をしていた。
春の陽気に誘われて、若い芽がいくつも顔を出している。辺境の荒野だった土地が、ここまで緑に覆われるとは。レイドの万象構築魔術による土壌改良の成果だった。
「この子たちも元気に育ってくれてますね」
フィーネは土に膝をつきながら、満足げに微笑んだ。指先で苗の状態を確かめ、植物魔法で生育を促す。淡い緑の光が葉を包み込み、茎がわずかに伸びた。
風が、変わった。
フィーネの長い耳が微かに震えた。ハーフエルフの鋭敏な聴覚が、空気を裂く異音を捉える。
——何か、来る。
反射的に首を傾けた瞬間、銀色の閃光が頬をかすめた。
「——っ!」
毒針だ。薬師の目が、針の先端に塗られた紫色の液体を一瞬で見抜いた。
二射目。今度は喉元を狙っている。避けきれない——そう悟った刹那、巨大な影がフィーネの前に割り込んだ。
「伏せろッ!」
ガルムだった。虎族の傭兵は左腕を盾のように突き出し、二本目の毒針を受け止めた。針は分厚い筋肉に深く刺さり、紫色の液体が血管に流れ込む。
「ガルムさん!」
「騒ぐな。この程度——」
言いかけて、ガルムの表情が歪んだ。左腕から急速に感覚が失われていく。毒の回りが異常に速い。
「動かないでください! 今すぐ処置します!」
フィーネの手が震えた。だが、震えたのは一瞬だけだった。
薬師としての訓練が体を動かす。腰の鞄から解毒用の薬瓶を取り出し、傷口に直接垂らす。同時に植物魔法を応用した浄化術を左腕全体に展開した。
「毒の種類は——ムラサキトリカブトの精製毒に、魔獣の体液を混合したもの。即効性が高いけど、浄化が間に合えば致命傷にはならない」
冷静な分析が口をつく。フィーネの碧眼は真剣そのもので、普段の穏やかさは影を潜めていた。
「……助かった。さすがだな、薬師殿」
「褒めるのは後にしてください。まだ毒が残ってます」
緑色の光がガルムの左腕を包み、紫色の変色が徐々に引いていく。だが完全には消えきらない。
「末梢の神経にまで回ってる……。完全な回復には時間がかかります」
「動けるなら問題ねえ」
「問題あるんですけど!?」
フィーネが声を荒げた。その語気の強さに、ガルムは苦笑した。
◇
報告を受けたレイドは、即座に行動を起こした。
「ミーシャ、都市全域の探知結界を最大出力で起動してくれ」
「了解なのです! 古代式広域走査を展開しますよぅ」
ミーシャの虹色の瞳が輝き、都市の地下を走る魔導回路網に信号が走る。数秒後、都市全体を覆う透明な膜のような探知結界が展開された。
だが——。
「おかしいのです。侵入者の魔力反応が、どこにもないのです」
「どういうことだ?」
「文字通りなのですよぅ。魔力を持つ生物なら必ず微量の放射があるはずなのに、それが完全にゼロの反応点がいくつかあるのです」
レイドの目が鋭くなった。
「魔力をゼロにする——つまり、何らかの遮断装備を使っているということか」
「ご主人様、これは古代の隠蔽技術に近いのです。アルカディア時代の遺物が流出している可能性がありますよぅ」
古代技術の流出。それは都市の安全保障に関わる重大な問題だった。だが今は、目の前の脅威が先だ。
「逆転の発想だな。魔力反応がゼロの地点を探せばいい。生きている人間の魔力がゼロになること自体が、不自然だ」
「なるほどなのです! 逆探知、やってみますね!」
レイドは研究者の目で結界の術式を書き換え始めた。通常の魔力探知ではなく、魔力の空白域——不自然な無反応地帯を検出するフィルターを組み込む。
万象構築魔術の真価は、こうした既存の概念を再定義できる点にある。
◇
同じ頃、商業区画ではリリアーナが別の異変を察知していた。
「あら、おかしいですわね」
取引台帳を確認していた彼女の目が、一行の記録で止まった。
三日前に入市した行商人——染料の卸売を名乗る男。取引量と仕入れ値の計算が、微妙に合わない。染料商ならば当然知っているはずの産地別の相場感覚が、帳簿の数字からまるで感じられなかった。
「染料の取引で、ラズリル産とドゥルガン産の価格差を無視するなんて。素人でもしない間違いですわ」
リリアーナは護衛を伴い、件の商人の宿を訪ねた。
穏やかな笑顔で取引の確認を装い、相手の知識を試す。三つ目の質問で、男の目が泳いだ。
「——捕縛してくださいな」
リリアーナの合図で、待機していたガルム配下の兵士が男を取り押さえた。
◇
尋問は速やかに行われた。
拘束された男は、最初こそ沈黙を守ったが、レイドが万象構築魔術で構成した「嘘を視覚化する術式」——発言時の微細な魔力揺らぎを色として投影する技術——の前に、やがて口を開いた。
「……標的は四人だ。銀髪の薬師、虎の獣人、赤毛の商人、それに——あの銀髪の小さな精霊」
レイド自身ではなく、側近四人。
「狙いは明確ですわね」
リリアーナが腕を組んだ。
「指導者を直接狙えば反撃される。だから周囲から崩す。レイド様を孤立させるのが目的ですの」
「それだけじゃねえ」
ガルムが低い声で続けた。左腕は包帯に巻かれ、指先の感覚がまだ戻りきっていない。
「本隊は聖剣旅団の到着に合わせて動く。暗殺と正面攻撃の同時展開——典型的な挟撃策だ」
レイドは静かに頷いた。
「つまり、時間はある。聖剣旅団が到着するまでに、黒蛇を無力化すればいい」
「団長、簡単に言うな。魔力遮断装備を持った暗殺者を、通常手段で見つけるのは容易じゃねえぞ」
「通常手段じゃない方法なら、もう動かしてある」
レイドはミーシャの逆探知結界の進捗を確認した。既にいくつかの不自然な空白域が検出され始めている。
「焦る必要はない。この街は俺たちの庭だ。地の利は、こちらにある」
ガルムは包帯の巻かれた左腕を見下ろした。指に力を入れてみるが、思うように握れない。右腕の感覚にも僅かな鈍りが残っている。
「……ちっ」
舌打ちは小さかったが、レイドの耳には届いていた。
「ガルム、無理はするな」
「この程度で引きこもるほど老いちゃいねえよ、団長」
獣人の戦士は牙を見せて笑った。だがその笑顔の裏に、自身の体への焦燥が滲んでいることを、レイドは見逃さなかった。
万が一、決戦の時にガルムの体が万全でなければ——。
その思考を、レイドは意識的に振り払った。今やるべきは、黒蛇の残党を一人残らず炙り出すこと。それに集中すべきだ。
「全員、警戒態勢を維持しつつ通常業務を続けてくれ。慌てた素振りを見せれば、相手を地下に潜らせるだけだ」
四人が頷き、それぞれの持ち場へ戻ろうとした時だった。
ミーシャが不意に足を止めた。
虹色の瞳が大きく見開かれ、どこか遠くを——いや、足元の遥か下を見つめている。
「ミーシャ?」
「ご主人様」
いつもの幼い口調が、奇妙な静けさを帯びていた。
「地下から呼んでます。あの方が……目覚めかけているのです」
部屋の空気が、凍りついた。
「あの方、とは?」
レイドの問いに、ミーシャは答えなかった。
ただ虹色の瞳に、かすかな畏怖の色が浮かんでいた。




