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反逆の烙印

 反逆者の烙印


 早朝の執務室に、リリアーナが駆け込んできた。


 その顔から血の気が引いている。快活な彼女がこれほど動揺するのは珍しい。レイドは研究ノートから顔を上げ、眉をひそめた。


「どうした、リリアーナ」


「レイド様、最悪の知らせですわ」


 リリアーナは手にした書簡を卓上に広げた。商業ネットワークを通じて各地に配置した密偵からの報告書だ。


「王国が正式に——ノヴァ・アルカディアを『反逆勢力』と認定しましたの」


 空気が凍った。


 レイドは書簡に目を走らせた。王印の押された布告文の写しが添えられている。辺境都市が周辺諸国と結託し、王国への包囲網を形成しようとしている——そう断じられていた。


「ヴァルターが流した偽情報か」


「ええ。あの男が各国に撒いた『古代兵器の脅威』という嘘が、見事に口実に使われていますわ。万象の盟約の交渉内容を歪めて、軍事同盟を企てていると——」


 レイドは奥歯を噛んだ。


 フィーネが築いた証拠、報告書の改竄の痕跡。あれで反撃の糸口を掴んだはずだった。だがヴァルターは、反論の暇を与えず先手を打ってきたのだ。


「それだけではありませんの」


 リリアーナが二枚目の書簡を取り出す。


「精鋭騎士団『聖剣旅団』の派遣が決定しました。五百の精鋭——団長はグレイヴ・ランカスター」


「——不敗の剣聖か」


「ご存知でしたの?」


「宮廷にいた頃、演習で見たことがある」


 レイドは腕を組んだ。グレイヴ・ランカスター。王国最強の騎士の一人であり、これまで一度も戦場で敗れたことがないと謳われる男だ。


「あの男は政治に興味がない。純粋な武人だ。だからこそ厄介でもある」


 命令とあらば、迷いなく剣を振るう。そういう類の人間だった。


「加えて——近隣の三領主がヴァルターの買収に応じましたわ。すでに辺境への物資輸送路の封鎖が始まっています」


「三方向からか」


「北のグランツ領、東のヘルダー領、南のベッケン領。主要な街道全てですわ」


 レイドは静かに立ち上がった。


「緊急会議を招集する。ガルムとフィーネ、ミーシャも呼んでくれ」



   ◇



 三十分後、会議室に主要メンバーが集まった。


 リリアーナが状況を説明し終えると、重い沈黙が降りた。


 最初に口を開いたのはガルムだった。


「五百か。数だけなら、今の防衛戦力で対処できなくはない」


「だが聖剣旅団だ」レイドが言った。「一般の騎士団とは練度が違う」


「分かっている」ガルムは腕を組んだ。「だからこそ、正面からぶつかるのは下策だ。古代結界と地形を最大限に活かす。防衛計画を練り直す」


「頼む。城壁の強化と哨戒網の見直しも含めてだ」


 ガルムが頷いた。獣人の傭兵として数々の戦場を渡り歩いてきた男の目が、鋭く光る。


「リリアーナ、外交ルートはどうだ」


「ドワーフとファングランドには、すでに早馬を出しましたわ。ただ——」


 リリアーナの表情が曇る。


「ヴァルターの偽情報が効いています。各国とも慎重な姿勢ですの。すぐに援軍は期待できませんわ」


「分かった。だが情報の流れは止めるな。フィーネが掴んだ改竄の証拠、使えるか」


「もちろんですわ。密偵を通じて各国の要人に直接届けます。王国の布告が嘘に基づいていることを証明できれば、風向きは変わりますわ」


 リリアーナの目に、商人としての鋭い光が宿った。


「フィーネ」


「はい。医療体制の拡充を急ぎますね」


 フィーネは落ち着いた声で答えた。


「戦闘になれば負傷者が出ます。薬草の備蓄を増やして、救護班の訓練も始めます。それと——避難経路の確認も必要ですよ。戦えない住民の安全が最優先です」


「ああ、頼む」


「任せてください」


 フィーネが微笑んだ。その笑顔の奥に、決意の色が滲んでいた。


 レイドが全員の顔を見渡そうとしたとき、ミーシャが手を挙げた。


「あの、ご主人様。ミーシャからも報告があるのです」


「何だ?」


「古代遺跡の反応が……不安定になっているのです」


 全員の視線がミーシャに集まった。


「不安定? 結界システムに問題があるのか」


「結界そのものは大丈夫なのです。でも、もっと深い層——地下深層部から、断続的にマナの脈動が検出されているのですよぅ」


 ミーシャの虹色の瞳が、どこか遠くを見つめるように揺れた。


「ミーシャが封印されていた層よりも、さらに下。アルカディア時代の記録にも断片的にしか残っていない領域なのです」


「未探索領域か」


「はい。ミーシャの記憶が正しければ——あそこには『万象の書庫』と呼ばれた施設があったはずなのです。アルカディアの叡智が集積された場所」


 万象の書庫。


 レイドの心臓が跳ねた。万象構築魔術の源流に繋がる知識が、そこに眠っている可能性がある。


「今まで反応がなかったのに、なぜ急に?」


「分からないのです。でも、このまま放置すると、マナの脈動が地上の結界系統に干渉する恐れがありますよぅ」


 レイドは額に手を当てた。


 地上では聖剣旅団が迫り、地下では未知の脅威が目覚めようとしている。


「二正面か」


「団長」ガルムが低い声で言った。「地下は後回しにできないのか」


「結界に干渉する可能性があるなら、放置はできない。聖剣旅団を迎え撃つのに、結界は生命線だ」


 ガルムは無言で頷いた。その通りだと、理解しているのだろう。


「——よし。ガルムは防衛計画に専念してくれ。地下の調査は俺が行く。リリアーナは外交と情報戦を、フィーネは医療と避難の準備を頼む」


「ご主人様が直接行くのですか?」ミーシャが目を丸くした。


「万象構築魔術に関わる遺跡なら、俺が行くのが最も適任だろう。ミーシャ、案内を頼めるか」


「もちろんなのです!」


 会議が散会し、それぞれが持ち場に散っていった。



   ◇



 夜。


 レイドは一人、城壁の上に立っていた。


 西の空に星が瞬いている。ブランフェルト荒野に吹く風は冷たく、乾いていた。


 この荒野に放り出されてから、どれほどの月日が経っただろう。何もなかった不毛の地に、今は灯りが連なっている。住民たちの暮らしの灯だ。


 ——守らなければならないものが、増えた。


 追放された日、レイドは自由を手に入れたと思った。誰にも邪魔されず、好きなだけ研究ができると。


 だが今は違う。この街には、行き場を失った人々が集まってきた。獣人も、ハーフエルフも、没落貴族も。彼らがここに居場所を見つけた。その居場所を壊させるわけにはいかない。


「レイドさん」


 背後から声がした。振り返ると、フィーネが湯気の立つ器を両手に持って立っていた。


「こんな夜風の中、体を冷やしますよ」


「ああ、すまない。少し考え事をしていた」


 フィーネが差し出した薬湯を受け取る。ほのかに甘い薬草の香りが鼻腔をくすぐった。体の芯から温まるような、フィーネ特製の調合だ。


「聖剣旅団のこと、考えてたんですか」


「それもある。地下の遺跡のこともだ」


「欲張りですね、レイドさんは」


 フィーネがくすりと笑った。城壁の縁に並んで腰を下ろす。


「でも、大丈夫ですよ」


「根拠は?」


「根拠なんてないです。でも——」


 フィーネが星空を見上げた。長い金髪が夜風に揺れ、普段は隠している長い耳がわずかに覗いた。


「ここに来てから、ずっとそうでした。魔獣が来ても、ヴァルターが何を仕掛けてきても、みんなで乗り越えてきた。今度もきっと」


「……ああ」


「だから、一人で抱え込まないでくださいね」


 フィーネが微笑んだ。その碧い瞳に、城下の灯りが映っていた。


 レイドは薬湯を一口含んだ。温かさが胸に沁みた。


「ありがとう、フィーネ」


「お礼を言うのは早いですよ。明日から忙しくなりますからね」


 二人はしばらく、星空の下で静かに並んでいた。



   ◇



 翌朝。


 執務室に飛び込んできたリリアーナの顔は、昨日以上に蒼白だった。


「レイド様、至急ですわ」


 手にした暗号文を、震える指で卓上に置く。


「密偵からの追加報告——ヴァルターが暗殺者ギルド『黒蛇』にも依頼を出しましたの」


 レイドの手が、止まった。


「標的は?」


「まだ特定できていませんわ。ですが——辺境都市の指導者層を狙うことは間違いありませんの」


 正規軍だけでは飽き足らず、暗殺者まで。


 ヴァルターは本気だ。この街を——この場所を、根こそぎ潰すつもりでいる。


 レイドは書簡を握りしめた。


「——受けて立つ」


 低く、しかし揺るぎない声が、朝の執務室に響いた。

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