真実の代償
夜明け前の会議場に、全員が集まっていた。
ノヴァ・アルカディア中央庁舎の大広間。ドワーフ王国の代表ボルグ、獣人連合のヴォルフリーデ、エルフのエレアノール——三国の全権大使が、それぞれの護衛を伴って席についている。
昨夜届いた「告発文書」のせいで、空気は氷のように冷え切っていた。
「まず、事実を確認させてほしい」
レイドは立ち上がり、テーブルの上に二枚の羊皮紙を並べた。一枚は各国に出回った告発文書の写し。もう一枚は、ミーシャが地下書庫から持ち出した原本だ。
「ミーシャ、説明を頼む」
「はいなのです」
ミーシャが二枚の文書の間に手をかざすと、虹色の光が文字列を浮かび上がらせた。古代アルカディア文字が空中に投影され、差異のある箇所が赤く輝く。
「まず、告発文書に引用された『アルカディア軍事機密報告書・第七号』。これは確かにアルカディアの書式で書かれているのです。暗号体系も、一見すると本物に見える」
ミーシャの虹色の瞳が鋭く光った。
「でも、三箇所の致命的な誤りがあるのです。第一に、日付の記法。アルカディア暦では月を先に書くのに、この文書は日が先になっている。第二に、封印の魔術紋。本物は七角形ですが、偽物は六角形——現代の魔術体系に引きずられた間違いなのです」
ボルグが身を乗り出した。白い髭の奥で、鋭い眼光がミーシャを見据えている。
「第三は?」
「署名に使われた古代語の綴りなのです。『兵器管理局長官』を意味する単語が、千年前の口語体で書かれている。公文書では絶対に使わない表記ですよぅ」
沈黙が広がった。
だが、ヴォルフリーデの隣に座る獣人連合の副官ザガンは、腕を組んだまま動こうとしなかった。
「偽物だと証明されたとして、我々が見せられた古代兵器の設計図はどう説明する。あれは確かに——」
「それについても答えがあるのです」
ミーシャがもう一枚の文書を広げた。古びた羊皮紙には、金色の封印が施されている。
「アルカディア評議会令・第三十一号。『大量破壊を目的とする魔導兵器の研究・製造・使用を永久に禁ずる』——古代アルカディア自身が定めた武器禁輸条約の原本なのです」
レイドが静かに補足した。
「アルカディアは確かに高度な魔導技術を持っていた。だが彼ら自身がその危険性を理解し、厳格な制限を設けていた。俺たちがこの遺跡から学んでいるのは、兵器技術ではなくインフラ技術だ。水道、通信、結界——全て民生用の技術に過ぎない」
ボルグが唸った。エレアノールは無言のまま、長い指で文書の封印に触れていた。
しかし、その表情は硬いままだ。
「文書が偽物だとしても」
エレアノールが静かに口を開いた。
「あなたたちが古代兵器を作れないという保証にはなりません。知識がある以上、いつでも転用できるのでは?」
理屈としては正しい。レイドは反論できなかった。
文書の真偽だけでは、感情の壁は越えられない。
そのとき、フィーネが立ち上がった。
「エレアノール様」
フィーネの声は震えていた。だが、碧い瞳は真っ直ぐにエレアノールを見つめている。
「私の母——アイリーン・ルーチェをご存知ですか」
エレアノールの表情が凍りついた。
「……その名を、なぜあなたが」
「母は、シルヴァリアで人間との共存を訴えた研究者でした。真実を伝えようとして、祖国から追放された。母が正しかったことは、今のこの都市が証明しています」
フィーネの拳が白くなるほど握りしめられている。
「あなたはまた同じ過ちを繰り返すのですか。偽りの情報を信じて、本当の味方を遠ざけるのですか」
大広間が静まり返った。
エレアノールの翡翠の瞳に、複雑な感情が渦巻いていた。苦悩、後悔、そして——記憶の痛み。
「……アイリーンは、私の友人でした」
絞り出すような声だった。
「彼女を守れなかった。議会の決定に逆らえなかった。あの日から、私はずっと——」
言葉が途切れた。エレアノールは目を閉じ、長い沈黙の後に、フィーネの顔を見つめ直した。
そこに亡き友の面影を見たのだろう。エレアノールの瞳が微かに潤んだ。
「……わかりました。信じましょう」
同じ頃、広間の外では別の決着がついていた。
ガルムがヴォルフリーデと共に、副官ザガンを廊下に呼び出していた。
「ザガン。お前に届いた告発文書、誰から受け取った」
ガルムの低い声には、有無を言わせぬ圧力があった。虎族の金色の瞳が、暗がりの中で光る。
「……グラオスの商人ルートだ」
ザガンが観念したように吐き出した。
「王国のグラオス辺境伯から、獣人連合の利益を守るためだと——」
「グラオス辺境伯はヴァルター宰相の派閥だ」
ヴォルフリーデが唸った。灰色の毛並みの狼族の老将は、怒りを抑えるように拳を握りしめた。
「我々は踊らされていたということか」
広間に戻ると、最後の関門が待っていた。
ドワーフのボルグだ。
岩のような体躯の老王は、太い腕を組んだまま、じっとレイドを見つめていた。
「小僧。儂は文書の真偽も、感動的な話も、それだけでは信じん」
低く、地鳴りのような声だった。
「だが、一つだけ信じる方法がある。あの防衛結界の設計図——全て見せてくれ。魔術式の一行に至るまで、何一つ隠さずにだ」
リリアーナが小さく息を呑んだ。軍事技術の全面開示は、外交上あり得ない要求だ。それは都市の防衛上の弱点を全て晒すことを意味する。
「レイドさん、それは——」
「わかった」
レイドは即答した。一瞬の躊躇もなかった。
「ミーシャ、防衛結界の全設計図を投影してくれ。魔術式も、制御ロジックも、全てだ」
「ご主人様、本当にいいのです?」
「ああ。隠し事をして得られる信頼に意味はない」
ミーシャが手を掲げると、大広間の空中に巨大な魔術式の設計図が浮かび上がった。結界の構造、エネルギー供給ライン、制御ノードの配置——ノヴァ・アルカディアの防衛システムの全てが、三国の代表の前に曝け出された。
ボルグが目を見開いた。
そして——笑った。
「はっはっは! お主は大した馬鹿者だ」
大きな手でテーブルを叩き、豪快に笑い続ける。
「軍事機密を丸ごと見せる阿呆がどこにおる。だがな——」
笑いが止まり、ボルグの目が真剣になった。
「だからこそ信頼に値する。隠し事のない者を疑う道理はない」
ボルグが立ち上がり、レイドに太い手を差し出した。レイドがその手を握り返す。ドワーフの握力が、骨を軋ませるほどに強い。だがそれは、信頼の証だった。
ヴォルフリーデも頷き、ザガンに向かって厳しい視線を送った。
「獣人連合は盟約を支持する。偽情報に踊らされた件は、内部で厳正に処分する」
ヴァルターの工作は、完全に裏目に出た。
偽りの告発は各国の結束をむしろ強め、信頼の絆を深める結果となったのだ。
安堵の空気が広がる中、エレアノールが静かに立ち上がった。
「改めて正式に表明します」
凛とした声が、大広間に響いた。
「シルヴァリアは万象の盟約に参加します」
歓声が上がりかけた——だが、エレアノールの次の言葉が、それを遮った。
「ただし、一つ条件があります」
全員の視線がエレアノールに集まった。
「ハーフエルフのフィーネ・ルーチェを、シルヴァリアとの公式連絡官として認めること」
フィーネが息を呑んだ。
公式連絡官。それはシルヴァリアが国家として、フィーネの存在を認めることを意味する。人間とエルフの混血として迫害され、どちらの世界にも居場所がなかった少女を——エルフの血統として、正式に認める宣言だった。
「エレアノール様、それは——」
「アイリーンにしてあげられなかったことを、せめてその娘に」
エレアノールの翡翠の瞳に、静かな決意が宿っていた。
フィーネの碧い目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。




