万象の盟約
全体会議の朝は、快晴だった。
ノヴァ・アルカディアの中央広場に面した大会議室。レイドが自ら設計した円卓型の会議場には、三カ国の使節団が一堂に会していた。
円卓を選んだのは意図的だった。上座も下座もない。対等な立場で語り合う——その姿勢を、形から示したかった。
「皆さん、個別の交渉を経て、今日この場に集まっていただいたことに感謝する」
レイドは立ち上がり、穏やかに切り出した。
右手にはファングランドの使節ヴォルフリーデ。灰色の毛並みを持つ狼族の女性は、鋭い瞳で静かにレイドを見つめている。
正面にはシルヴァリアの使節エレアノール。銀糸のような長髪をなびかせるエルフの外交官は、優雅に腕を組んでいた。
左手にはドワーフのボルグとヘルダ。がっしりとした体躯の鍛冶師と、眼鏡をかけた技師の二人組が、興味深そうに円卓の細工を眺めている。
そしてレイドの傍らには、フィーネ、ガルム、リリアーナ、ミーシャ——辺境都市の中核を担う仲間たちが控えていた。
「単刀直入に言おう」
レイドは会議室の壁面に手をかざした。万象構築魔術で空中に光の文字が浮かび上がる。
「俺が提案したいのは、『万象の盟約』——三つの柱からなる多国間協力の枠組みだ」
光の文字が整然と並ぶ。
「第一の柱、技術共同体。辺境都市の魔導技術とマナ結晶を軸に、加盟国が互いの得意分野を持ち寄り、共に発展する仕組みだ」
ボルグが身を乗り出した。
「ほう。具体的にはどういうことだ?」
「例えば、ドゥルガンの精密鍛造技術と我々の魔導回路を組み合わせれば、従来の三倍の効率を持つマナ炉が作れる。シルヴァリアの生態魔法と辺境の浄化技術を融合すれば、大陸中の荒廃地を再生できるだろう。ファングランドの探索技術があれば、未発見の古代遺跡の調査も飛躍的に進む」
「一方通行の技術供与ではないということですわね」
リリアーナが補足するように口を開いた。
「各国が対等に技術を出し合い、その成果を全員で共有する。誰かが搾取される構造にはなりません」
ヴォルフリーデが小さく頷いた。
「……悪くない。して、第二の柱とは」
「相互防衛条約だ」
レイドの声が、わずかに硬くなった。
「加盟国の一国が不当な攻撃を受けた場合、それを全体への攻撃とみなし、共同で対処する」
会議室に沈黙が落ちた。
技術協力と軍事同盟では、話の重みが違う。それは全員が理解していた。
「第三の柱は、自由通商圏。加盟国間の関税を撤廃し、交易路の安全を共同で保障する」
レイドは三つの柱を示し終え、静かに腰を下ろした。
「——以上が骨子だ。率直な意見を聞かせてほしい」
最初に口を開いたのは、ヴォルフリーデだった。
「技術共同体と自由通商圏については、ファングランド穏健派として賛同の意を示す。特に交易路の安全保障は、我ら遊牧の民にとっても悲願だ」
だが、と彼女は一拍置いた。
「相互防衛条約を含む正式な同盟には、族長グラオスの承認が不可欠となる。私の一存では決められん」
「理解している」
レイドは頷いた。想定の範囲内だ。
「エレアノール殿はいかがだろう」
エルフの使節は、しばらく思案するように目を伏せた。やがて、静かに口を開く。
「正直に申し上げます。個人的には——フィーネ殿が聖樹のために尽力してくださった恩義もあり、この盟約を支持したい」
フィーネが驚いたように目を瞬かせた。
「エレアノールさん……」
「しかし」
エレアノールの声は冷静だった。
「シルヴァリアには長老会議という意思決定機関がございます。外交案件の承認には、全長老の合意が必要。率直に申して、時間がかかります」
「どれくらいだ?」
ガルムが低い声で問うた。
「早くて三ヶ月。慎重な長老が多ければ、半年以上」
重い数字だった。だが、エレアノールは付け加えた。
「ただし、技術交流という名目であれば、使節団の裁量で先行的な協力関係を結ぶことは可能です」
レイドの目が微かに光った。突破口だ。
「ボルグ殿、ヘルダ殿はいかがだろう」
ドワーフの二人は顔を見合わせた。ボルグが腕を組み、唸るように言った。
「技術共同体は大歓迎だ。正直、辺境都市の魔導技術には度肝を抜かれた。ドゥルガンの鍛冶術と組み合わせた時の可能性を考えると、鍛冶師の血が騒ぐ」
「ですが」
ヘルダが冷静に続ける。
「軍事同盟については、慎重にならざるを得ません。ドワーフは鍛冶の民であり、戦士ではない。我々の武器は槌と炉であり、剣ではないのです」
「つまり、技術協力には前向きだが、防衛条約には距離を置きたいと」
「そういうことです」
三カ国の反応が出揃った。
全面的な賛同はない。だが、全面的な拒絶もない。
レイドは予想通りの展開に、内心で小さく息をついた。最初から全てを得ようとは思っていない。
「皆さんの立場と懸念は、よく理解できた」
レイドは再び立ち上がった。
「そこで提案がある。『万象の盟約』を、段階的に構築していくというのはどうだろう」
光の文字が再び動き、三つの柱が段階的なタイムラインとして再配置される。
「まずは技術共同体から始める。各国が最も合意しやすく、かつ具体的な成果が見えやすい分野だ。実際に協力関係を築き、信頼を積み重ねた上で、自由通商圏、そして最終的に安全保障の枠組みを議論する」
「焦らない、ということか」
ヴォルフリーデが確認するように言った。
「ああ。無理に全会一致を求めるつもりはない。各国がそれぞれの事情に合った形で参加できる、柔軟な枠組みにしたい」
「柔軟、ですか」
エレアノールが小さく微笑んだ。
「帝国や王国の同盟は、常に『全てを受け入れるか、さもなくば敵か』という二択でした。この提案は、それとは根本的に異なりますね」
「ミーシャも思うのです」
人工精霊が不意に口を開いた。
「古代アルカディアが滅んだのは、一つの巨大な体制に全てを統合しようとしたから。多様性を認めたまま繋がる方が、ネットワークとしては遥かに強靭なのですよぅ」
古代文明の生き証人の言葉は、会議室に静かな衝撃を与えた。
「……面白い」
ボルグが髭を撫でながら呟いた。
「ドゥルガンとしては、技術共同体への参加を前向きに検討する。本国に持ち帰り、鍛冶長会議に諮ろう」
「ファングランドも同様だ。族長への報告には、好意的な所見を添える」
ヴォルフリーデが応じた。
「シルヴァリアからは、まず技術交流の先行協定を結ぶことを提案いたします」
エレアノールが優雅に頭を下げた。
空気が変わった。
完全な合意ではない。だが、確かな一歩だった。
大陸の歴史上、人間・獣人・エルフ・ドワーフが一つの円卓を囲み、対等な協力関係を議論したことは、おそらく一度もない。
「ありがとう、皆さん」
レイドは深く一礼した。
「この盟約が、大陸に新しい時代をもたらすと信じている」
会議が閉幕し、使節たちがそれぞれの宿舎へ戻っていく。
夕暮れの大会議室に残ったのは、レイドと仲間たちだけだった。
「上出来ですわ」
リリアーナが珍しく肩の力を抜いた笑みを浮かべた。
「技術共同体の構想が、国際的な枠組みにまで発展するなんて。最初にこの案を練った時には、夢物語だと思っていましたのに」
「リリアーナの構想があったからこそだ」
レイドは素直に称えた。
「一人の商人の発想が、国を動かす。それこそが、この都市の強さだろう」
「団長」
ガルムが低く呼んだ。その声には、珍しく感慨のようなものが滲んでいた。
「獣人と人間が、同じ卓について未来を語る日が来るとはな。俺は——ここに来てよかった」
「ガルムさん……」
フィーネが目元を押さえた。
「私も。エルフの使節と対等に話ができるなんて、昔の私には想像もできなかった」
穏やかな時間だった。
だが——
「レイド様」
リリアーナが不意に声のトーンを落とし、レイドの耳元に顔を寄せた。
「お話の最中に申し訳ありませんが、至急お伝えしなければならないことが」
「何だ?」
「ヴァルターが動いています」
レイドの表情が引き締まった。
「王都から各国の首都に早馬が出されたという情報が入りました。ファングランド、シルヴァリア、ドゥルガン——今日この場にいた全ての国に向けて」
リリアーナの碧眼が、夕陽に照らされて鋭く光った。
「タイミングが良すぎますわ。この会議の情報が、王都に漏れている可能性があります」
レイドは窓の外に目を向けた。
茜色に染まる荒野の彼方——王都の方角を。
盟約の芽が出たばかりの今、ヴァルターは何を仕掛けようとしているのか。
その答えを知る術は、まだなかった。




