技術共同体
交渉の場に選ばれたのは、市庁舎二階の大広間だった。
窓から差し込む朝の光が、磨かれた長机の表面を白く照らしている。机上には茶器と、リリアーナが徹夜で用意した資料の束が几帳面に並べられていた。
「お待たせいたしましたわ、ヘルダ殿」
リリアーナが微笑みとともに席についた。赤毛をいつもよりきっちりとまとめ、胸元には辺境都市の紋章を留めている。
向かいに座るドワーフの女性——ヘルダ・グラニットは、鉄灰色の髪を三つ編みにした壮年の商務官だった。岩のように厚い眉の下で、鋭い双眸がリリアーナを値踏みするように見つめている。
「時間は有限だ。回りくどい前置きは不要」
ヘルダの声は低く、地鳴りのように響いた。
「結構ですわ」
リリアーナは資料の一枚目を差し出した。
「単刀直入に申し上げます。ノヴァ・アルカディアは、高純度マナ結晶の安定供給をドゥルガン王国に提案いたします」
ヘルダの眉がわずかに動いた。それだけで、この提案の重みを理解したことが分かる。
マナ結晶は魔導具の動力源であり、ドワーフの金属加工にも不可欠な素材だ。だが天然の鉱脈は枯渇が進み、大陸全体で供給が逼迫している。
「純度は」
「九十七パーセント以上を保証いたしますわ」
「——馬鹿な。天然鉱脈の最高品質でも九十二が限界だ」
「天然では、ですわね」
リリアーナは二枚目の資料を出した。古代アルカディアの精製技術を応用した工程図が、簡潔にまとめられている。
「我が都市の精製施設は、古代魔導文明の技術を基盤としております。品質についてご懸念があるようでしたら——」
リリアーナは扉の方に目を向けた。
「実際にご覧いただくのが早いかと」
扉が開き、レイドとボルグが並んで入ってきた。レイドの隣を歩くドワーフの老匠ボルグは、使節団の技術顧問として同行している人物だ。白い髭を胸元まで垂らし、分厚い手には革の手袋をはめていた。
「ヘルダ殿」
ボルグが重々しく口を開いた。
「儂は昨日、精製施設を見せてもらった」
「——それで?」
「百年は品質が落ちん」
短い一言だった。だがその言葉の重みを、ヘルダは誰よりも理解していた。ボルグはドゥルガンが誇る最高位の鍛冶師であり、素材の目利きにおいて大陸で五指に入る。その彼が太鼓判を押した。
「精製工程の魔術式を拝見した。正直、度肝を抜かれたわい」
ボルグがレイドに目を向けた。
「この若造——失礼、この魔術師殿の設計は、古の匠に匹敵する。いや、部分的には超えておるかもしれん」
「買いかぶりだ」
レイドは苦笑した。
「俺はアルカディアの遺産を再現しただけで、ゼロから作ったわけじゃない。ボルグ殿の鍛冶技術のほうが、よほど創造的だと思うが」
「ふん。お世辞を言い合う暇があるなら——」
ヘルダが机を指で叩いた。
「本題に入ろう。品質は認めよう。だが供給量はどうだ。月産どれほど出せる」
「現行設備で月産五百キロ。増設すれば倍は見込めますわ」
「ならば排他的供給契約を結びたい。全量をドゥルガンに」
リリアーナの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
「——申し訳ありませんが、それはお受けできません」
「理由を聞こう」
「ノヴァ・アルカディアは、特定の一国にのみ利益を集中させる方針を取りませんの。獣人連合にも、シルヴァリアにも、公平に供給する用意がございます」
ヘルダの表情が険しくなった。
「公平、か。聞こえはいいが、それでは我が国が投資する意味がない。他国と同じ条件なら、わざわざ辺境の新興都市と組む理由がどこにある」
「ごもっとも」
リリアーナは頷いた。まるでその反論を待っていたかのように。
「ですから——別の枠組みを提案させていただきますわ」
三枚目の資料を広げた。レイドは壁際に立ったまま、その資料を横目で見た。昨夜リリアーナから概要は聞いていたが、ここまで練り込まれているとは思わなかった。
「『技術共同体』構想ですわ」
「技術共同体だと?」
「マナ結晶の優先供給権をドゥルガンに差し上げます。全量ではありませんが、他国に先駆けて必要量を確保できる権利ですわ。その代わり——」
リリアーナは真っ直ぐヘルダの目を見た。
「ドゥルガンの金属加工技術を、この都市で共同研究させていただきたい。成果は両者で共有いたします」
沈黙が落ちた。
ボルグが目を丸くし、ヘルダは眉間に深い皺を刻んだ。
「前例がない」
ヘルダの声には、拒絶というより困惑が滲んでいた。
「ドワーフの鍛冶技術は門外不出だ。千年の伝統を——」
「前例がないからこそ面白い」
口を挟んだのはボルグだった。
「ヘルダよ。儂はこの都市の精製炉を見た。古代魔術と近代技術の融合——あれは儂ら鍛冶師が夢見てきたものだ」
「ボルグ——」
「門外不出と言えば聞こえはいい。だが実態はどうだ。若い鍛冶師は減り、技術の継承すら危うい。外の知恵を入れねば、千年の伝統も百年で朽ちる」
ヘルダは黙り込んだ。ボルグの言葉が核心を突いたことは、その沈黙が証明していた。
「共同研究の成果は、両者の合意なく第三者に開示しない。その条項は当然含めますわ」
リリアーナが静かに補足した。
「ドゥルガンの技術的優位性は守られます。そのうえで、新たな可能性が開ける。悪い話ではないと思いますけれど?」
語尾がわずかに鋭くなった。交渉者としてのリリアーナの顔だ。
ヘルダは腕を組み、しばらく資料を睨んでいた。やがて、重い息を吐いた。
「……大枠は理解した。持ち帰って本国と協議する必要があるが——方向性としては、検討の余地がある」
ドワーフの商務官がこの言葉を口にすることの重みを、この場の全員が理解していた。
「ありがとうございます、ヘルダ殿」
リリアーナは深く頭を下げた。その所作には、かつて商業ギルドの門前で何度も追い返された少女の面影はない。国家間交渉を担う外交官の風格が、そこにあった。
レイドは壁際で腕を組んだまま、小さく息を吐いた。
交渉が休憩に入り、茶が新たに運ばれてきた。
「リリアーナ」
レイドは彼女の隣に歩み寄った。
「正直に言う。うちの外交は完全に君に任せるべきだな。俺が出る幕がなかった」
「まあ、レイド様ったら」
リリアーナは茶器を手に、おどけたように微笑んだ。
「ボルグ殿の信頼を勝ち取ったのはレイド様ですわ。技術者同士の絆がなければ、あの太鼓判はいただけませんでしたもの」
「それでも、『技術共同体』の構想は見事だ。排他か公平かの二択を、第三の選択肢で突破した」
「ふふ。商人の交渉術ですわ——選択肢が二つしかないように見えたら、三つ目を作るのが鉄則ですの」
リリアーナの目が少しだけ遠くなった。
「昔、商業ギルドの試験で言われましたの。『女に交渉は無理だ』と。あの時は悔しくて、泣きましたわ」
「今なら?」
「今なら——国と国の交渉を、任せていただけるようになりましたわね」
穏やかな、しかし揺るぎない声だった。
レイドは頷いた。この都市が集めた人材の中で、リリアーナの成長は最も目覚ましいかもしれない。
広間の隅で、ヘルダがリリアーナに手招きしているのが見えた。
「少し、二人で話せるか」
ヘルダの声は先ほどの交渉時とは違い、低く抑えられていた。周囲に聞かれたくない話題。リリアーナは表情を引き締め、歩み寄った。
「実は——我が国にも問題がある」
ヘルダは茶器を置き、声をさらに落とした。
「鉱脈の最深部から、異常なマナ反応が検出されている。数ヶ月前からだ」
「異常なマナ反応、ですの?」
「鍛冶炉が暴走する事故が三件。熟練の鍛冶師が制御できないほどのマナ濃度が、地底から噴き出している」
ヘルダの鉄灰色の瞳に、初めて不安の色が浮かんだ。
「我が国の古い記録に、一つだけ符合する記述がある——『第七兵装庫』。古代アルカディアが遺した、最も危険な施設の一つだと」
リリアーナの背筋に、冷たいものが走った。




