三国の食卓
晩餐会の準備は、戦の支度に似ていた。
ボルグとの密談を終えたレイドは、都市庁舎の大広間に戻った。テーブルには三国の紋章を刺繍した席札が並ぶ。リリアーナが配席に三日を費やした成果だった。
「獣人連合とシルヴァリアの席は離しましたわ」
リリアーナが席次表を指で辿りながら言った。
「正面に配置すると睨み合いになりますので、ドゥルガンを間に挟む形に」
「気が利くな」
「外交とは、食卓の設計から始まるものですの」
彼女は赤毛をかき上げ、鋭い目で広間を見渡した。
燭台の光がマナ結晶の照明と混ざり合い、壁面を暖かく染めている。ミーシャが調整した光量は絶妙で、華やかさと落ち着きを両立していた。
「ご主人様、照明の色温度はこれで良いのです?」
「ああ、完璧だ。ありがとう、ミーシャ」
「えへへ。ミーシャ、褒められたのです」
銀髪の人工精霊は嬉しそうに宙を回転した。
やがて、使節団が順に広間へ入ってきた。
最初にドゥルガンのボルグ。短躯ながら堂々とした足取りで、傍らの鍛冶長と低い声で何か話している。昼間の密談の余韻がまだ瞳に残っていた。
次にシルヴァリアのエレアノール。長い銀緑の髪を編み上げた壮年のエルフで、深い森を思わせる静かな威厳を纏っている。随行のエルフ二人も同様に、音もなく席に着いた。
最後にファングランドの一行。正使ヴォルフリーデは灰色の毛並みの狼族で、武人らしい鋭い目つきをしている。その半歩後ろに——ザガンが続いた。
ガルムの肩が微かに強張るのが見えた。
「大丈夫か」
レイドが小声で訊ねると、ガルムは短く頷いた。
「問題ない。俺の私情で場を乱すつもりはないだ」
全員が着席し、レイドが立ち上がった。
「本日はノヴァ・アルカディアにお集まりいただき、感謝いたします」
まず形式的な歓迎を述べ、料理が運ばれた。辺境の食材を中心に、各国の食文化に配慮した献立をフィーネが監修していた。獣人向けの焼き肉料理、エルフ好みの薬草サラダ、ドワーフには地麦酒。
最初の数皿は穏やかに進んだ。
「この薬草、シルヴァリアの南部に自生する品種ですね」
エレアノールがフィーネに声をかけた。
「ええ、ブランフェルトの地下水脈沿いに群生地を見つけまして。マナが豊富なせいか、薬効が通常の倍近くあるんです」
「……興味深い」
エレアノールの碧い瞳が、一瞬だけフィーネの耳元——長い髪で隠された半エルフの耳——に向けられた。フィーネは気づかないふりをして微笑んだ。
会話は自然と各国の要望へ移っていく。
「ファングランドが求めるのは、防衛技術の共有だ」
ヴォルフリーデが低い声で切り出した。
「先日の魔獣侵攻、三千体を撃退したと聞く。あの自動迎撃結界の技術は、我が国の国境防衛に革命をもたらす」
「ドゥルガンとしては技術交易を望む」
ボルグが地麦酒のジョッキを置いた。
「だが一つ、はっきりさせておく。我らの鍛冶技術を兵器に転用されるのは御免だ」
「シルヴァリアは古代魔導の知識と、医療分野での協力を希望します」
エレアノールが静かに付け加えた。
「森の病が年々深刻化しています。マナの枯渇が原因であれば、この都市の技術が助けになるかもしれません」
三者三様の要求。しかし根底にある不信感が、テーブルの下で渦を巻いていた。
レイドは頷きながら聞いていた。個別には応えられる。問題は、三国が同じ場にいることだった。
「辺境都市の防衛力は素晴らしい」
不意に、ザガンが口を開いた。
副使の立場としてはやや出過ぎた発言。だが、誰もそれを制さなかった。
「まるで古代アルカディアの再来だな」
空気が変わった。
エレアノールの手が、グラスの上で止まった。その碧眼に、氷のような光が走る。
「……その名を軽々しく口にするのは感心しませんね」
静かな声だった。だが、広間の温度が数度下がったように感じられた。
千年前、アルカディア文明は大陸を支配した。その過程で、エルフの大森林を魔導兵器で焼き払った。シルヴァリアの民にとって、アルカディアとは破壊と侵略の代名詞だった。
「事実を述べたまでだ」
ザガンは悪びれもしない。むしろ、その唇の端にわずかな笑みが浮かんでいる。
意図的だ、とレイドは直感した。
ガルムも同じことを感じたのだろう。虎族の金色の瞳が、ザガンを射抜くように見つめている。
沈黙が広間を支配した。ボルグは地麦酒を一口飲み、あえて口を挟まない。ヴォルフリーデも表情を変えなかった。——止める気がないのか、それとも。
「私は、そうは思いません」
フィーネの声が、静寂を破った。
全員の視線が彼女に集まる。半エルフの薬師は、背筋を伸ばして立ち上がっていた。
「確かにアルカディアの歴史には、取り返しのつかない過ちがあります。でも——」
フィーネはレイドを見た。そして、エレアノールへ視線を戻す。
「レイドさんがアルカディアの魔術を使っているのは、医療や農業、生活基盤のためです。あの時代の力を、破壊ではなく再生に使うこと。それが過ちを乗り越える道だと、私は信じています」
エレアノールの瞳が揺れた。
怒りでも軽蔑でもない。驚き——そして、かすかな痛みを伴う何かだった。
「……あなたは」
エレアノールが何か言いかけ、口を閉じた。
長い沈黙の後、老エルフは小さく息を吐いた。
「興味深い見解です。この議論は、明日以降も続けましょう」
場の空気が、わずかに緩んだ。
レイドはフィーネに視線で礼を送った。彼女は小さく頷き、静かに席に戻る。
かつてレイドが語った言葉——種族を問わず、誰でも受け入れる都市を作る。その理念がフィーネの中で根を張り、今この場で花を開いた。
それは、どんな外交辞令よりも説得力があった。
晩餐会は波乱を含みつつも、なんとか最後まで進んだ。デザートの果実酒が振る舞われる頃には、ボルグとヴォルフリーデが鍛冶と武器の話で意外な盛り上がりを見せていた。
レイドはリリアーナと小声で今後の方針を詰めた。
「全体会議だけでは進まないな」
「ですわね。各国との個別交渉を並行して進めるべきですわ。エレアノール殿には医療技術の視察を、ヴォルフリーデ殿には防衛結界のデモンストレーションを」
「ボルグとは昼間の件もある。共同調査の話を具体化させたい」
「三つの糸を同時に紡ぐ、というわけですわね」
リリアーナは薄く笑った。
「腕の見せ所ですわ」
使節団が順に広間を辞していく。
レイドは窓辺に立ち、夜空を見上げた。マナ結晶の街灯が柔らかく街を照らしている。この光の下で、種族の異なる人々が同じ食卓を囲んだ。完璧ではなかった。だが、確かに同じ場所にいた。
「団長」
ガルムが背後に立っていた。
「ザガンの発言、あれは計算だ。俺にはわかる」
「ああ。同盟の空気を壊したかったんだろうな」
「ファングランドの強硬派は、多国間協調を望んでいない。単独の軍事同盟を結びたいんだ」
レイドは頷いた。ヴォルフリーデが副使の暴言を止めなかった理由。それは黙認か、あるいは——観察だったのかもしれない。
「警戒は怠るな。だが、挑発に乗るのは相手の思うつぼだ」
「わかっている」
ガルムは静かに踵を返した。
広間に残る者が減っていく中、レイドはフィーネの姿を探した。だが、彼女は既に席を離れていた。
庁舎の廊下。月明かりが石畳を白く染めている。
フィーネは足早に歩いていた。晩餐会での発言の余韻がまだ胸に残っている。言うべきことは言えた——そう思う反面、エレアノールの視線が気にかかっていた。
「少し、よろしいですか」
背後からの声に、フィーネは足を止めた。
振り返ると、エレアノールが月光の中に立っていた。長い銀緑の髪が夜風にわずかに揺れている。
「先ほどの発言、見事でした」
「あ、ありがとうございます……」
「ですが、一つ聞かなければならないことがあります」
エレアノールが一歩、近づいた。
その碧い瞳に映るのは、外交官の仮面ではなかった。もっと深い、個人的な感情だった。
「あなたの母——アイリーン・ルーチェのことを、私は知っています」
フィーネの心臓が跳ねた。
母の名前。シルヴァリアの高官の口から出るはずのない、その名前。
月が雲に隠れ、廊下が一瞬、闇に沈んだ。




