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鉄と魔力の等価交換

 シルヴァリアの聖樹が枯れかけている——。


 ティリエルから告げられた言葉の重さを噛みしめながら、レイドは制御室を後にした。ミーシャに古代の医療術式の検索を任せ、自身は都市の正門へ向かう。


 三番目の使節団が、もうすぐ到着する頃合いだった。


「団長、ドゥルガンの旗が見えた」


 城壁の上からガルムが低い声で告げた。指差す先には、砂塵を巻き上げながら進む一団の姿がある。黒鉄の軍旗に交差する槌と金床の紋章。ドワーフ王国ドゥルガンの使節団だ。


 獣人連合やエルフの使節とは、明らかに雰囲気が違った。


 隊列の中央を歩くのは、レイドの胸ほどの背丈しかない白髭の老ドワーフ。だが、その存在感は巨人のようだった。両腕は丸太のように太く、革のエプロンには無数の焦げ跡が刻まれている。


 鍛冶長老ボルグ・アイアンフォージ。


 大陸随一の名工と謳われるその名は、レイドも宮廷時代から耳にしていた。


「ようこそノヴァ・アルカディアへ。お待ちしておりました」


 レイドが歩み出て手を差し伸べると、ボルグは無言でその手を握った。万力のような握力だった。老ドワーフの深い灰色の瞳が、レイドの背後にそびえる都市の外壁を見上げる。


「……ふん。石組みは悪くない」


 たった一言。だが、その声には職人特有の、認めた者だけに向ける響きがあった。


「ボルグ長老、長旅でお疲れでしょう。まずは——」


「鍛冶場を見せろ」


 リリアーナが用意していた歓迎の段取りを、ボルグは一言で吹き飛ばした。


「あら……」


 リリアーナが目を丸くする横で、レイドは思わず笑みを浮かべた。技術者同士だ。回りくどい社交辞令より、まず現物を見たい。その気持ちは痛いほどわかる。


「わかりました。こちらへ」


 レイドがボルグを案内したのは、都市の地下二層に設けた魔力鍛冶炉だった。


 古代アルカディアの遺跡から発掘した炉心を基に、レイドが独自に再設計した設備だ。マナの流れを直接鍛造に利用することで、通常の十倍以上の精度で金属を加工できる。


 炉の前に立ったボルグが、初めて表情を変えた。


「……っ」


 老ドワーフは膝をつき、炉の基部に刻まれた魔術式を指でなぞった。節くれ立った指が、まるで古い友人の顔に触れるかのように丁寧に動く。


「古代の鍛造法を、ここまで再現しおったか」


 その声には、驚嘆と——わずかな畏敬が滲んでいた。


「完全な再現とは言えません。炉心の術式は七割ほどしか解読できていなくて、残りは俺なりの理論で補完しています」


「七割だと?」


 ボルグが立ち上がり、鋭い目でレイドを見据えた。


「ドゥルガンが三百年かけて二割しか解読できんかった古代鍛造術式を、貴様は一人で七割まで持っていったというのか」


「いえ、ミーシャ——古代の人工精霊の記憶庫に断片的なデータがありまして。それを手がかりに」


「……ふん」


 ボルグは腕を組み、しばらく炉を見つめていた。やがて懐から革装の図面帳を取り出す。


「見せたいものがある。これはドゥルガンの最深部で発掘した鍛造炉の設計図だ。古代のものだが、一部が欠損しておる」


「見せてください」


 レイドの目が輝いた。研究ノートを取り出し、ボルグの図面と並べる。二人は炉の前の作業台に図面を広げ、互いの知識を突き合わせ始めた。


「この接続部の術式、マナの循環効率が低い設計になっていますね。おそらく元の設計では、ここに緩衝用の副炉心があったはずです」


「なるほど。欠損部分はそこか。道理で再現しても出力が安定せんわけだ」


 二人の議論は、時間を忘れて深まっていった。



     * * *



 一方、都市の会議室ではまったく異なる種類の火花が散っていた。


「技術は一方通行では渡さない。等価交換が鉄則ですよ、お嬢さん」


 ドワーフの副使にして商務官、ヘルダ・コッパーハンドは厳しい目でリリアーナを見据えた。がっしりとした体格の女ドワーフで、赤銅色の髪を実用的な三つ編みにまとめている。


「もちろん承知しておりますわ。ですから、わたくしどもは魔導浄水技術と農業支援術式の提供をご提案しておりますの」


「ふん。悪くはないが、釣り合わんね。こちらが出すのはミスリル合金の精錬技術とアダマンタイト鉱の優先供給権だ。格が違う」


 ヘルダの言葉は率直で容赦がない。ドワーフの交渉術は、人間の外交のような婉曲さとは無縁だった。


 リリアーナは扇子の奥で薄く笑った。


 交渉が膠着して、すでに二時間。ヘルダは「技術の等価交換」を繰り返し強調している。だが、リリアーナの商人としての直感が囁いていた。


 彼女が本当に欲しいものは、技術ではない。


「ヘルダ殿。一つお伺いしてもよろしいですか?」


「何だ」


「ドゥルガンの鍛冶炉は、近年出力が低下していると聞いておりますわ」


 ヘルダの表情が、一瞬だけ強張った。ほんの一瞬。だが、リリアーナはそれを見逃さなかった。


「鍛冶炉の維持には大量のマナが必要ですわよね。ドゥルガンの地底鉱脈はマナの含有量が年々減少している——違いますか?」


「……どこでそれを」


「商人は情報が命ですの」


 第二章でドワーフ商人との交易ルートを開拓した際、リリアーナは単に商品を流通させただけではなかった。ドワーフの商人たちとの雑談から、彼らの本当の悩みを丹念に拾い集めていたのだ。


 リリアーナは一枚の書類を差し出した。


「ブランフェルト荒野のマナ湧出源から精製されるマナ結晶。品質は大陸最高級、純度九十八パーセント以上。この安定供給をお約束できるとしたら——交渉の前提が変わりますわよね?」


 ヘルダは書類を手に取り、数値を確認した。その目が見開かれる。


「……純度九十八だと? ドゥルガンの最高品質でも九十二が限界だぞ」


「ええ。レイド様の精製技術あってこその品質ですわ」


 沈黙が落ちた。ヘルダは腕を組み、天井を睨むように考え込む。


 やがて、女商務官は低く唸った。


「……条件を聞こう」


 リリアーナは扇子を閉じた。ここからが本番だ。


「マナ結晶の月間百個の安定供給と引き換えに、ミスリル合金の精錬技術の共有、アダマンタイト鉱の優先供給権、そしてドゥルガンの鍛冶職人三名の長期派遣。これで等価交換と考えますが、いかがでしょう?」


「——ふん。なかなかやるじゃないか、お嬢さん」


 ヘルダの口元に、初めて笑みが浮かんだ。



     * * *



 交渉が大筋で合意に至ったという報告を受けたのは、すでに深夜を回った頃だった。


 レイドとボルグは、まだ鍛冶炉の前にいた。作業台の上には図面とメモが山のように積み上がっている。互いの知識を出し合い、古代鍛造術式の欠損部分をかなり補完できた。


「——いい夜だった」


 ボルグが珍しく満足そうに頷いた。白髭の奥の表情が柔らかい。


「こちらこそ。ドゥルガンの鍛造データがなければ、俺一人では絶対にたどり着けない領域でした」


「ふん。世辞はいらん」


 そう言いながらも、ボルグは悪い気はしていないようだった。老ドワーフは図面帳を閉じ——そして、懐からもう一つ、布に包まれた何かを取り出した。


「レイドとやら。一つ、見てもらいたいものがある」


 布を開くと、掌に収まるほどの金属片が現れた。黒ずんだ表面に、かすかに青白い光を放つ刻印が浮かんでいる。


 レイドの息が止まった。


 その刻印は、この都市の地下遺跡で何度も目にしたもの。古代アルカディア文明の文字体系だ。


「これはドゥルガンの最深部——我らが『禁域』と呼ぶ鉱脈の奥で見つかったものだ。三百年前から保管されておったが、誰にも読めんかった」


 ボルグの灰色の瞳が、真剣な光を宿す。


「アルカディアの刻印がある。お主なら、読めるか?」


 レイドは金属片を手に取り、魔力を薄く流し込んだ。刻印が反応し、青白い光が鮮明になる。古代文字が、脳裏で意味を結んだ。


「——『第七兵装庫』」


「第七、兵装庫だと?」


「古代アルカディアの軍事施設です。この都市の地下にも兵装庫の記録はありましたが、第七という番号は見たことがない」


 レイドの指が、無意識に金属片の刻印をなぞった。


 アルカディア文明の遺産が、ブランフェルトだけでなくドゥルガンの地底にも眠っている。その事実が意味するのは——。


「ボルグ長老。この『禁域』の正確な位置を教えていただけますか」


「条件次第だ」


 老ドワーフは金属片を布で包み直しながら、重い声で言った。


「共同調査だ。ドゥルガンの鍛冶師と、お主の古代術式の知識。両方なければ、あの場所は開けん」


 レイドは頷いた。


 古代文明の遺産が、大陸の地下に散在している。第七兵装庫。その中に何が眠っているのか——期待と、微かな不安が胸の奥で交錯した。


 鍛冶炉の青い炎が、二人の影を壁に長く伸ばしていた。

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