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銀樹の使者

 翌朝、ノヴァ・アルカディアの東門に白銀の旗がはためいた。


 シルヴァリアの紋章——絡み合う二本の樹を象った意匠が、朝日を受けて鋭く輝いている。レイドは城壁の上からその一行を見下ろし、小さく息を吐いた。


「エルフの正式な使節団か。ずいぶんと仰々しいな」


「団長。護衛が八名、馬車が三台。外交使節としては標準的な編成だ」


 隣に立つガルムが腕を組んだまま、低い声で告げる。虎族の鋭い目が、使節団の一人ひとりを値踏みするように追っていた。


「敵意は感じないが——油断はするな」


「ああ、分かっている」


 レイドは頷き、城壁を降りた。


 東門の前で使節団を出迎えたのは、リリアーナだった。淡い桃色のドレスに身を包み、外交官としての顔を完璧に作り上げている。


「ようこそ、ノヴァ・アルカディアへ。シルヴァリアの皆様をお迎えできること、大変光栄に存じますわ」


 馬車から降り立ったのは、長い銀緑の髪を優雅に結い上げた女性だった。年齢はエルフの基準では若いのだろうが、その眼差しには数百年の重みがある。切れ長の碧眼が、都市の街並みを一瞥した。


「エレアノール・ヴァルディシア。シルヴァリア外交府の主席使節を務めます」


 声は涼やかだが、どこか氷の刃を思わせた。


「人間、獣人、ドワーフ……なるほど、噂通りの光景ですね」


 その言葉に毒はない。だが、温かみもなかった。


 続いて馬車から降りたのは、対照的に目を輝かせた若いエルフだった。淡い金髪を短く切り揃え、両手に革装の書物を抱えている。


「ティリエル・アーシェと申します! 学術府所属です。古代アルカディア文明の研究をしておりまして——ああ、この街の魔導灯、もしかして古代式の導魔管を応用していますか?」


「よく気づいたな」


 レイドは思わず口元を緩めた。研究者の嗅覚を持つ相手には、自然と親近感が湧く。


「基礎設計は古代のものだが、効率を上げるために回路を再設計してある。後で詳しく——」


「レイド様」


 リリアーナが微笑みを崩さないまま、しかし確実にレイドの袖を引いた。


「まずは歓迎の晩餐会の準備がございますわ。技術談義はその後で、ね?」


「……すまん」


 レイドは苦笑して一歩引いた。



  ◇



 晩餐会は、市庁舎の大広間で催された。


 ドワーフの石工が手がけた円卓に、リリアーナが手配した各地の料理が並ぶ。獣人の香辛料を使った肉料理、エルフの口にも合う薬草サラダ、ドワーフ直伝の麦酒。多種族の食文化が一つの卓に集う光景は、この街の縮図そのものだった。


 エレアノールは一通り料理に口をつけた後、杯を置いて口を開いた。


「レイド殿。率直に申し上げましょう。この都市の発展には目を見張るものがあります。わずか数ヶ月で荒野をここまで変えるとは、人間の執念というものは侮れない」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


「事実を述べたまでです」


 エレアノールの視線が、卓の隅に座るフィーネへ向いた。


「——ところで、薬草園を管理されている方がいらっしゃると聞きました。ぜひ拝見したいのですが」


 フィーネが小さく身を強張らせたのを、レイドは見逃さなかった。


「ああ、フィーネの薬草園は街の医療を支える重要な施設だ。案内は——」


「私が、ご案内します」


 フィーネが立ち上がった。声はわずかに硬かったが、笑顔は保たれている。レイドは彼女の目を見て、小さく頷いた。



  ◇



 薬草園は、市庁舎の裏手に広がっていた。


 月光の下、青白く発光する薬草がそよ風に揺れている。フィーネの植物魔法によって促進された成長は、通常の三倍の速度で薬効成分を蓄積させていた。


「見事なものですね」


 エレアノールが一株の薬草に手を伸ばし、葉脈に指を添えた。その瞬間、彼女の表情がわずかに変わった。


「この魔力の流し方……根系を通じた養分循環の制御。これは——」


 碧眼がフィーネを射抜いた。


「聖樹の加護と同質の術理ですね。あなた、シルヴァリアの血を引いているのではありませんか」


 夜風が二人の間を吹き抜けた。


 フィーネの顔から血の気が引いた。唇が震え、言葉を探すように視線が泳ぐ。


「わた、し——」


「その耳。髪で隠していらっしゃるけれど、エルフの特徴を持っているのは明らかです。純血ではないにせよ——」


 エレアノールの声には嫌悪だけではない、もっと複雑な何かが滲んでいた。まるで古い傷を見つけてしまったかのような、苦い感情。


「あなたのお母様は、どなたですか」


「——っ」


 フィーネは踵を返した。走り出す足音が、薬草園の石畳に響いて遠ざかっていく。


「お待ちなさい」


 エレアノールが手を伸ばしかけ、しかしその手は空を掴んだ。銀緑の髪が揺れる。その横顔に浮かんだのは、怒りではなかった。


「……やはり、あの子の……」


 呟きは夜風にかき消された。



  ◇



 レイドがフィーネを見つけたのは、城壁の外れだった。


 荒野に面した石壁に背を預け、膝を抱えて座っている。月明かりが、濡れた頬を照らしていた。


「ここにいたか」


 レイドは隣に腰を下ろした。無理に話しかけず、ただ同じ方向を見つめる。荒野の向こうに、満天の星が広がっていた。


 しばらくの沈黙の後、フィーネが口を開いた。


「……母は、シルヴァリアの魔術師だったんです」


 声は細く、今にも途切れそうだった。


「高位の、聖樹に仕える術師だったと。でも人間の父と結ばれたことで、追放された。私が生まれた時にはもう、シルヴァリアとの繋がりは全て断たれていました」


「フィーネ……」


「母は私に植物魔法を教えてくれました。エルフの誇りも、人間としての強さも、両方持ちなさいって」


 フィーネの声が震えた。


「でも人間の村では『耳の長い化け物』と呼ばれ、エルフの集落では『血を汚す混血』と蔑まれた。どこにも居場所がなかった。母が亡くなってからは、ずっと一人で——」


 言葉が詰まった。フィーネは唇を噛み、涙を拭おうとして、うまくいかなかった。


 レイドは静かに外套を脱ぎ、フィーネの肩にかけた。


「俺も追放された身だ。居場所がない痛みは、少しは分かるつもりだよ」


「レイドさんとは違います。あなたは実力があって、自分の手で居場所を作れた。でも私は——」


「違わないさ」


 レイドは穏やかに、だが揺るぎない声で言った。


「君がこの街の薬草園を育てた。病人を治し、薬を調合し、住民の健康を守ってきた。それは君自身の力だ。誰の血筋でもない、フィーネ・ルーチェという一人の人間の実績だ」


 フィーネがレイドを見上げた。深緑の瞳が、まっすぐに碧い目を見つめている。


「君の過去がどうであれ、今の君はこの街の大切な仲間だ。それだけは——俺が保証する」


 フィーネの目から、新しい涙がこぼれた。今度は、悲しみとは違う涙だった。


「……ずるいです、そういうの」


 小さな声で呟いて、フィーネは外套の襟を引き寄せた。


 夜風が、二人の間を穏やかに吹き抜けていった。



  ◇



 同じ頃。


 市庁舎の地下、魔導インフラの制御室。


 ティリエルは周囲に人がいないことを確認してから、奥の扉をそっと開けた。魔力導管が幾重にも走る薄暗い空間の中央で、銀髪の少女が宙に浮かんでいる。


「あなたが、古代アルカディアの人工精霊——ミーシャ、ですね」


 ミーシャが虹色の瞳を開いた。


「ミーシャのことを知っているのですか? ご主人様のお客さんなのです?」


「ええ、そうです。少しお話を聞かせてください」


 ティリエルは書物を胸に抱く手に力を込めた。学術官としての冷静さが、わずかに揺らいでいる。


「古代アルカディアの医療魔術に関する記録は残っていませんか。特に——大規模な生命維持に関わる術式を」


「医療魔術ですかぁ? ミーシャの記憶庫にはたくさんありますけど、何に使うのです?」


 ティリエルは唇を引き結んだ。迷いが、決意に変わるまでの一瞬の沈黙。


「——シルヴァリアの聖樹が、枯れかけているのです」


 その言葉は、静かな制御室に重く響いた。


 ミーシャの虹色の瞳が、大きく見開かれた。


「聖樹が? あの、大陸の生命環の要が?」


「これはシルヴァリアの国家機密です。エレアノール団長にも、この話をしたことは内密に」


 ティリエルの声が震えていた。


「お願いです。このままでは——シルヴァリアだけの問題では済まなくなる」


 制御室の魔導灯が、不安げに明滅した。

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