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裏切りと赦し

 制御室に沈黙が満ちていた。


 魔獣大群との死闘を終えたばかりの空気には、まだ硝煙と魔力の残滓が漂っている。レイドは椅子に深く腰を下ろしたまま、リリアーナの報告を反芻していた。


 王国正規軍二千。東の国境線に集結。


 ヴァルターの二段構えの策——それは、レイドが最も警戒していた展開だった。


「リリアーナ。その最後の工作員というのは」


「はい。お連れしますわ」


 リリアーナが扉の外に声をかけると、ガルムに両腕を押さえられた男が姿を現した。


 レイドは息を呑んだ。


「——トーマス?」


 石工のトーマス・ベルント。都市の創設初期、まだ荒野に建物ひとつなかった頃から、レイドと共に最初の壁を積んだ男だった。日に焼けた腕と、石灰で白くなった指先。その手が今、小刻みに震えている。


「団長。こいつは——」


 ガルムの低い声に、押し殺した怒りが滲んでいた。虎族の黄金の瞳が、裏切り者を見据えている。


「結界の制御棟に細工をしていたのですわ」


 リリアーナが淡々と事実を並べた。


「東区画の結界石に微細な魔術式の改竄を施し、特定の座標からの侵入を検知しないよう書き換えていました。非常に巧妙な手口で、ミーシャの定期検査でも見落とされていた箇所ですの」


「ミーシャの検査を?」


 レイドの眉が上がった。ミーシャの魔導知識は古代アルカディア文明の遺産そのもの。それを欺くほどの細工となると——。


「おそらく、ヴァルターから専門の魔術式を渡されていたのでしょう。石工として結界石の設置作業に関わる中で、少しずつ改竄を重ねていた。第三十七話で捕えた工作員が言っていた言葉、覚えていますわよね?」


 レイドは頷いた。


 ——最も信頼している人間の中にいる。


 あの言葉が指していたのは、創設期からの仲間。共に汗を流し、共に都市を築き上げてきた男だった。


「……すまない」


 トーマスが絞り出すように言った。膝が折れ、石畳に崩れ落ちる。


「すまない、レイド様。俺は——俺は——」


「顔を上げろ」


 レイドの声は静かだった。怒りでも軽蔑でもない、ただ真っ直ぐな声だった。


「理由を聞かせてくれ、トーマス」


「妻と、子供が——」


 男の目から涙が溢れた。武骨な手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。


「ヴァルターの手の者が、王都に残した家族を押さえた。妻のマルタと、まだ五つになったばかりの息子のユーリが。言うことを聞かなければ殺すと——」


 制御室の空気が変わった。ガルムの手がわずかに緩む。フィーネが唇を噛みしめる。


「……いつからだ」


「三ヶ月前です。都市が軌道に乗り始めた頃、王都の知人を名乗る男が接触してきた。最初は些細な情報——都市の人口とか、交易量とか。断れば家族がどうなるか、わかっているなとだけ言われて」


 トーマスの声は途切れ途切れだった。


「そのうち要求が大きくなった。結界の構造を教えろ、魔術式に手を加えろ。俺は石工で、魔術なんか何もわからない。でも奴らが渡してきた道具を使えば——」


「魔術式改竄用の特殊な刻印具ですわね」


 リリアーナが補足した。その声には怒りよりも、むしろ哀れみに近い感情が混じっていた。


「レイド様に」


 トーマスが額を石畳に押しつけた。


「この都市に来て、初めて人間らしく扱ってもらえた。種族も身分も関係なく、石を積む腕だけを見てくれた。それなのに俺は——裏切った。殺してくれても構わない。だが、妻と子供だけは——」


「殺さないよ」


 レイドは立ち上がった。枯渇した魔力のせいで足元がわずかにふらついたが、トーマスの前に歩み寄り、肩に手を置いた。


「お前の家族は、俺たちが取り戻す」


 トーマスが顔を上げた。涙で赤くなった目が、信じられないとでもいうように見開かれている。


「だが、それまでに答えてくれ——ヴァルターは軍をいつ動かす?」


 男は何度か口を開閉した後、声を振り絞った。


「三日。魔獣の襲撃で都市が疲弊したのを見計らって、三日以内に東の国境から進軍を開始すると。二千の正規軍に加え、宮廷魔術師団の一部も随行すると聞いています」


「宮廷魔術師団まで……」


 フィーネが息を呑んだ。レイドがかつて所属していた組織。その実力は彼が誰よりもよく知っている。


「ご主人様ぁ」


 ミーシャが制御卓から顔を出した。虹色の瞳がいつになく真剣な光を帯びている。


「古代防衛機構の自動迎撃結界なのですが、対魔獣用に最適化されているのです。人間の軍勢に対して作動するかは、正直なところ未知数ですよぅ。いじれなくはないですけど、三日では全面的な再調整は難しいのです」


「仮に作動したとしても」


 レイドは腕を組んだ。


「王国の正規軍を結界で殲滅するわけにはいかない。俺たちが王国の兵士を大量に殺せば、それこそヴァルターの思う壺だ。『辺境の反逆者が王国軍に攻撃を仕掛けた』——大義名分を与えることになる」


「その通りですわ」


 リリアーナが一歩前に出た。赤毛をかき上げ、翡翠の瞳に鋭い光を宿している。交渉の場に立つ時の、商人の顔だ。


「軍事で止めるのは下策。たとえ勝てたとしても、次はより大きな軍が来るだけ。止めるなら、外交ですわ」


「外交?」


「ヴァルターが最も恐れているのは何か。それは辺境都市の軍事力ではなく、政治的影響力ですの。もしこの都市が他国と正式な同盟関係を結べば、攻撃は一都市への討伐ではなく、国際問題になる」


 レイドの目が細まった。リリアーナの言葉の意味を、瞬時に理解する。


「ドワーフ王国か」


「ええ。すでに交易路は開いていますし、鉄鋼取引を通じた信頼関係もある。ドゥルガンのダイン王は実利を重んじる方。この都市との同盟が自国の利益になると示せれば、話は早いですわ」


「だが、三日で間に合うのか」


 ガルムが腕を組んだまま問う。


「ドワーフ王国まで通常の行程なら片道五日はかかるだろう」


「通常の行程なら、ですわね」


 リリアーナが微笑んだ。その笑みには、策を巡らせる商人の自信が溢れていた。


「レイド様の通信用魔術式を応用すれば、まず速報を送れますわ。そして使者は——マナ高速移動陣を使えば、二日で到着できるはず」


 レイドは黙って考え込んだ。リリアーナの提案は理に適っている。だが——。


「ドワーフだけでは足りない」


 全員の視線がレイドに集まった。


「ヴァルターは用意周到だ。一カ国の牽制だけで軍を引くような男じゃない。だが、三カ国が同時に声を上げたら——さすがに無視はできないだろう」


 レイドは制御卓の地図に目を落とした。大陸の勢力図が、古代の魔導投影で浮かび上がる。北のファングランド、東のシルヴァリア、南のドゥルガン。


「ガルム。お前の故郷、ファングランドに伝手はあるか」


「……ある。獣人連合の長老議会に、俺の元上官がいる。俺が頼めば、少なくとも話は聞いてくれるだろう」


「フィーネ」


 名前を呼ばれたフィーネが、わずかに身を固くした。


「シルヴァリアは——難しいですよ。私、追放同然で出てきたようなものですし」


「それでも、エルフの森林国家に最も近い存在がお前だ。門前払いにはならないはずだ」


 フィーネは数秒の沈黙の後、小さく頷いた。


「……わかりました。やってみます」


 レイドはトーマスに向き直った。まだ膝をついたままの石工の手を取り、立ち上がらせる。


「トーマス。お前を許す」


「レイド、様——」


「この都市で暮らす全員が家族だ。お前の家族も含めてな」


 トーマスの目から再び涙が溢れた。今度は、悔恨だけではない別の感情が混じった涙だった。


 レイドは仲間たちの顔を一人ずつ見回した。疲弊した顔。傷だらけの体。それでも、その目には折れない光が宿っている。


「辺境都市アルカディア・ノヴァの存在を、大陸全土に知らしめる時が来た」


 レイドの宣言が、制御室に響いた。


「ドワーフ王国、獣人連合、エルフ国家——三カ国同時に使者を送る。ヴァルターの軍が国境を越える前に、この都市が一都市ではなく、大陸の新たな要であることを示す」


 静寂。


 そして、リリアーナが口元に笑みを浮かべた。


「三日で三カ国。なかなかの無茶を仰いますわね」


「無茶は得意だろう」


「ええ。この都市で学びましたもの」


 ガルムが拳を打ち鳴らした。フィーネが長い耳をぴくりと動かし、決意を固めたように唇を引き結んだ。ミーシャが制御卓の上で宙返りしながら「ミーシャも何かお手伝いするのです!」と叫んだ。


 三日。


 それが、辺境都市に残された猶予だった。

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