表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/125

鋼の咆哮、命の代償

 南の闘が、崩れた。


 第二防衛線を突破した魔獣の群れが、黒い奔流となって市街地へと押し寄せてくる。地を這う四足の下級魔獣、空を覆う翼竜種、そしてその中心に聳える巨躯——指揮官級の大型魔獣が、赤黒い双眸で都市の門を睨んでいた。


「最終防衛線、全隊配置完了!」


 ガルムの声が戦場を貫く。虎族の戦士としての咆哮は、味方を奮い立たせ、敵を怯ませる力を持つ。


「獣人近接部隊、前衛。ドワーフ重装歩兵、門の左右に展開。エルフ狙撃隊、城壁上。人間魔術師団、後方支援。——聞こえたか!」


 四つの種族が、一斉に応えた。


 怒号。雄叫び。詠唱。弓弦の軋み。


 かつてこの大陸で、これほど多くの種族が肩を並べて戦ったことがあっただろうか。獣人が前に立ち、ドワーフが盾を構え、エルフが矢を番え、人間が魔術式を展開する。誰一人として、隣に立つ者の種族を気にしてはいなかった。


 ここはアルカディア・ノヴァ。種族の壁を超えた都市。


 その理想を、今この瞬間、彼らは血と鋼で証明しようとしている。


「来るぞ!」


 ガルムが大剣を構えた瞬間、魔獣の第一陣が防衛線に激突した。



  ◇



「負傷者、こっちに運んで! 止血は私がやります!」


 フィーネは最終防衛線の直後——わずか五十歩の位置に医療拠点を移していた。前線との距離を極限まで縮めることで、負傷から治療、そして前線復帰までの時間を最小にする。危険な判断だった。だが今は、一秒が命を分ける。


「フィーネ殿、左腕をやられた!」


 ドワーフの重装歩兵が担ぎ込まれてくる。鎧ごと引き裂かれた左腕から、鮮血が噴き出していた。


「大丈夫、すぐ塞ぎます——《癒しの蔦》」


 緑色の光が傷口を覆い、植物の蔦のように絡みつきながら組織を修復していく。フィーネの額には大粒の汗が浮かんでいた。


 もう三十人以上を治療した。魔力は底を突きかけている。


「……次の方、来てください」


 声が震えた。手が震えた。だが、止まるわけにはいかない。


 魔力が足りないなら——別のものを使えばいい。


 フィーネは歯を食いしばり、自らの生命力を魔術回路に流し込んだ。体の奥底から、何か大切なものが削り取られていく感覚。視界の端が暗くなる。それでも、両手に宿る翠の光は消えなかった。


「フィーネさん、顔色が——」


「平気です。まだ、動けます」


 嘘だった。足はとうに震えが止まらず、立っているだけで精一杯だった。だが前線で血を流している者たちに比べれば、こんなものは痛みのうちにも入らない。



  ◇



「東側の物資が切れます! 矢の予備を第三倉庫から回して!」


 後方司令部で、リリアーナの声が飛ぶ。魔導通信器を三つ同時に操りながら、彼女は戦場全体の動線を管理していた。


「西門の負傷者搬送ルートが魔獣に塞がれてますわ。迂回路を——北側の路地を使いなさい。住民は既に避難済みよ」


 戦闘の才能はない。剣も振れなければ、魔術も使えない。だが、リリアーナには全体を俯瞰する目と、瞬時に最適解を導き出す商人の頭脳があった。


「ガルム隊長、南西の陣形が薄くなっていますわ。ドワーフ第二小隊を回せますか?」


『了解だ。——おい、バルドの隊を南西に回せ!』


 魔導通信越しのガルムの声は、既に幾つもの傷を負っていることを窺わせた。荒い呼吸。途切れがちな言葉。それでも指揮は揺るがない。


 リリアーナは地図に新たな印を書き加えながら、唇を引き結んだ。この戦いは、あと何分持つのか。レイドからの連絡は、まだない。



  ◇



 前線は地獄だった。


 倒しても倒しても、魔獣は次から次へと押し寄せてくる。地面は血と泥に染まり、防壁の石材は爪痕で抉られ、空気は獣臭と焦げた魔力の匂いで満ちていた。


「左翼、押し込まれてる! エルフ隊、集中射撃で援護しろ!」


 ガルムが叫ぶ。その直後、彼の横を巨大な影が掠めた。


 地響き。


 指揮官級の大型魔獣が、防衛線の中央を突き破ろうと突進してきたのだ。


 体長は十メートルを超える。六本の脚と甲殻に覆われた体躯。額に埋め込まれた赤黒い結晶が、禍々しく脈動している。人為的に強化された証だ。


 通常の兵士では、一撃で弾き飛ばされる。


「全員下がれ。——こいつは俺がやる」


 ガルムが前に出た。大剣を両手で握り直し、虎族特有の琥珀色の瞳が鋭く細められる。


 大型魔獣が咆哮した。空気が震え、周囲の兵士たちが思わず膝をつく。だがガルムは微動だにしない。


「傭兵時代に、お前よりでかいのを斬ったことがある」


 低い呟き。次の瞬間、ガルムは地を蹴った。


 獣人の脚力が生み出す爆発的な加速。大型魔獣の突進を紙一重でかわしながら、大剣を脇腹の甲殻の隙間に叩き込む。


 硬い。刃が甲殻を割り切れず、火花が散る。


 反撃。魔獣の前脚がガルムの胴体を薙ぐ。咄嗟に大剣で受けたが、衝撃で五メートル以上吹き飛ばされた。


「ガルム隊長!」


「来るな! 隊列を崩すな!」


 血を吐きながら立ち上がる。肋骨が折れている。左腕の感覚がない。それでも、大剣を握る手は離さなかった。


 獣人の戦士にとって、武器を手放すことは死を意味する。まだ死ぬわけにはいかない。


 守るべき者がいる。この都市が。仲間が。——かつて迫害を受け、行き場を失った家族を受け入れてくれた、この場所が。


「悪いが——」


 ガルムは残った右腕に全ての力を集中させた。獣人特有の闘気が刃に纏わりつき、赤銅色の光を帯びる。傭兵時代に磨き上げた最後の切り札。全身の筋繊維を限界以上に酷使する、文字通り捨て身の一撃。


「ここは——通さん」


 大型魔獣が再び突進する。ガルムは避けなかった。真正面から受け止め、甲殻の隙間——喉元の一点に、渾身の斬撃を叩き込んだ。


 鋼が肉を裂く音。結晶が砕ける音。


 大型魔獣の巨体が、ゆっくりと傾いだ。赤黒い双眸の光が消え、山のような体躯が地面に崩れ落ちる。


 歓声が上がった——が、ガルムの体もまた、崩れ落ちていた。


「隊長!」


「……副官、指揮を引き継げ」


 血だまりの中でガルムが呟く。右腕はもう動かない。全身が傷だらけで、意識を保っているのが奇跡だった。


「ここからは、お前の戦いだ。——頼んだぞ」


 副官の獣人が拳を胸に当て、一度だけ頷いた。そして振り返り、前線に向かって駆け出していく。



  ◇



「ガルムさん! 動かないで!」


 フィーネが駆けつけたとき、ガルムの傷は致命的な域に達していた。肋骨の複数箇所が折れ、内臓への圧迫が見て取れる。出血も止まっていない。


「……すまんな、薬師殿。少し派手にやりすぎた」


「黙ってください。喋ると傷が開きます」


 フィーネは震える手を傷口にかざした。もう魔力は残っていない。使えるのは、自分の生命力だけ。


 視界が霞む。指先が冷たい。心臓が不規則に脈打っている。


 それでも——。


「《癒しの蔦》——」


 翠の光が、ガルムの傷を覆っていく。一つ、また一つと、裂けた肉が繋がり、砕けた骨が接合されていく。


 代償に、フィーネの顔色は紙のように白くなっていった。


 その時だった。


 地鳴りが響いた。


 南の闇の中から、新たな魔獣の群れが姿を現す。第二波。先ほどの本隊に匹敵する——いや、それ以上の規模。


「嘘でしょ……」


 フィーネの呟きが震える。


 防衛線の左翼が、新たな衝撃に耐えきれず崩れ始めた。兵士たちの悲鳴と、魔獣の咆哮が混ざり合う。


 もう限界だった。兵力も、物資も、そしてフィーネ自身の体も。


 ——ピィィン。


 魔導通信器が鳴った。


 ノイズ混じりの声。だが、聞き間違えるはずがない。


『——聞こえるか。最後の端末、設置完了した。古代防衛機構、全系統接続。——起動するぞ』


 レイドの声だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ