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万象の末裔

 遺跡の入口を越えた瞬間から、空気が変わった。


 湿った石壁の隙間から微かにマナが滲み出している。地上とは比較にならない濃度だ。レイドは通路の天井に手を当て、万象構築魔術を起動した。


「構造解析——壁面の劣化率、およそ七割。このまま掘り進めたら崩落するな」


 千年分の沈黙が、瓦礫となって通路を塞いでいた。かつてアルカディアの魔術師たちが歩いた回廊は、今や岩と土砂に埋もれている。


「ご主人様、この先の構造をミーシャが案内するのです」


 ミーシャが虹色の瞳を輝かせた。半透明の体が淡く発光し、暗闇を照らす。


「当時の図面は覚えているのか?」


「断片的ですけど……この通路をまっすぐ進んで、三つ目の分岐を右なのです。コア・クリスタルの安置室は、最深層の第七階梯にあるのですよぅ」


「第七階梯か。深いな」


 レイドは研究ノートを開き、簡易な地図を描き始めた。七十二時間。この時間で七層分の瓦礫を除去し、道を切り開かなければならない。


 通常の魔術師なら不可能だろう。だが万象構築魔術は、まさにこのための魔術だった。


「崩落箇所の構造を読み取って、安全な形に再構築する。原理は水道管の敷設と同じだ」


 レイドは両手を瓦礫の山に押し当てた。魔力が指先から流れ込み、岩の一つ一つの配置を把握する。そして——再構築。


 ごうっ、と低い音を立てて、瓦礫が動いた。


 崩れた岩が自ら積み直されるように組み替わり、アーチ状の通路が姿を現す。千年前の回廊が、レイドの魔力によって蘇っていく。


「すごいのです……当時の通路とほぼ同じ形なのです」


 ミーシャが目を丸くした。


「構造力学的に最も安定する形を計算しただけだ。結果的に似たんだろう」


 言いながら、レイドはすでに次の崩落箇所に取り掛かっていた。


 ——没頭していた。


 周囲が見えなくなるほどに。


 これは魔術研究だ。千年前の建築技術を読み解き、最適な構造を再現する。知的好奇心が疲労を忘れさせた。


 第二階梯に達したのは、開始から六時間後だった。


「ご主人様、これを見てほしいのです」


 ミーシャが壁際を指差した。瓦礫の隙間から、金属質の腕が突き出ている。


 レイドが慎重に周囲の岩を除去すると、それは全長三メートルほどの人型だった。石と金属の複合体。胸部に魔導回路の残骸が刻まれている。


「防衛用ゴーレムか」


「アルカディア第三世代型なのです。ミーシャが現役だった頃は、こういう子たちが遺跡中を巡回していたのですよぅ」


 レイドは膝をつき、ゴーレムの魔導回路を観察した。研究ノートに素早くスケッチを取る。


「この回路配置……俺の万象構築魔術と、根本の設計思想が同じだ」


「当然なのです」


 ミーシャの声が、いつもの幼さを消した。


「ご主人様の魔術は、アルカディアの基礎理論——『万象理論』の末裔なのです。千年の間に大部分が失われて、今の六属性魔術体系に置き換わってしまったけど……ご主人様の血筋には、古い記憶が残っていたのですね」


 レイドの手が止まった。


 万象理論。現象そのものを魔術式として記述する、メタ魔術の原点。宮廷で「何の属性にも秀でない半端者」と蔑まれた自分の魔術が——この偉大な文明の正統な後継だったとは。


「……道理で、既存の体系に当てはまらないわけだ」


 レイドは静かに笑った。皮肉でも自嘲でもない。純粋な納得だった。


 第三階梯を抜ける途中で、壁面に刻まれた文字列を発見した。アルカディア古語で記された研究記録だ。ミーシャが逐次翻訳する。


「『コア・クリスタルは単なるマナの集積体ではない。我々が注いだ意志と記憶を吸収し、独自の判断基準を形成する。それはもはや道具ではなく、共に歩む存在である』——と書いてあるのです」


「意志を持つ、か」


「ミーシャも、コア・クリスタルから生まれた存在なのです。だから……わかるのですよぅ。あの子は、ただ動力源として眠っているだけじゃないのです」


 ミーシャの虹色の瞳が、かすかに揺れた。千年前の記憶が、少しずつ蘇っているようだった。



      * * *



 地上では、別の戦いが続いていた。


「南東方面、魔獣の斥候群を確認。数は二十前後だ」


 ガルムが防壁の上から低く報告した。虎族の鋭い眼が荒野の彼方を見据えている。


「第一防衛線で食い止める。弓兵隊、配置につけ」


 淡々とした指示だった。本隊到達まであと三日。それまでは斥候を一匹たりとも通さない。それがレイドと交わした約束だ。


「ガルムさん、住民の方々が不安がっています」


 フィーネが防壁の下から駆け寄ってきた。普段の丁寧な口調に、わずかな緊張が混じっている。


「レイドさんが地下に潜ってから丸一日。姿が見えないことで、動揺が広がっていて……」


「団長は戻る。あいつはそういう男だ」


 ガルムは視線を荒野に向けたまま言い切った。


 フィーネは数秒、その横顔を見つめた。そして——背筋を伸ばした。


「わかりました。私が話します」


 広場に集まった住民たちの前に、フィーネは一人で立った。


 獣人の家族。人間の職人たち。エルフの薬師見習い。三百人を超える視線が、ハーフエルフの薬師に集まる。


「レイドさんは今、私たち全員を守るために地下で戦っています」


 声が震えそうになるのを、フィーネは奥歯を噛んで堪えた。


「レイドさんは必ず戻ります。それまでは——私たちが守るんです。この街を。レイドさんが作ってくれた、種族なんか関係ないこの場所を」


 静寂。そして、獣人の鍛冶師が拳を掲げた。人間の農夫が続いた。エルフの薬師が頷いた。声が広がっていく。


「リリアーナさん、物資の状況は?」


 フィーネが振り返ると、赤毛の少女がすでに帳簿を広げていた。


「現在の消費ペースですと、食料は十二日分。水は浄化魔術があるので問題ありませんわ。ただし——」


 リリアーナの碧眼が鋭くなった。交渉時の顔だ。


「薬草の備蓄が心許ないですの。戦闘が本格化すれば、三日で底を突きますわ」


「フィーネの植物魔法で増やせる?」


「ある程度は。でも品質を保つには限界がある」


「では配給制に移行しますわ。優先度を設定して、戦闘要員と子供を最優先。私が配分表を作りますから、フィーネさんは栽培に集中してくださいまし」


 リリアーナは帳簿にペンを走らせながら、静かに笑った。


「レイドさんが戻るまで、経済面はわたくしが守りますわ。それがわたくしの役目ですもの」



      * * *



 地下第五階梯。


 開始から四十時間が経過していた。


 レイドの額には汗が浮かび、指先が微かに震えていた。万象構築魔術は精密な魔力制御を要求する。疲労が蓄積すれば、制御精度が落ちる。制御精度が落ちれば、再構築した通路が崩落する。


「ご主人様、魔力の残量が危険域に入っているのです」


 ミーシャの声に、珍しく焦りが混じった。


「わかってる。だが、まだ二層ある」


「このペースでは間に合わないのです」


 ミーシャが断言した。虹色の瞳が真剣な光を湛えている。


「残り三十二時間で二層分。ご主人様の現在の魔力消耗率では——」


「ミーシャ」


 レイドは壁に手をついて呼吸を整えた。意識が霞む。体が重い。だが、足を止めるわけにはいかない。


 地上では仲間たちが戦っている。


 フィーネが住民の前に立っている。ガルムが防壁を守っている。リリアーナが物資を管理している。


 全員が、自分を信じてくれている。


「もう少しだけ——」


 その時だった。


 壁の向こう側から、何かが伝わってきた。


 レイドの掌に、微かな振動。いや、これは物理的な振動ではない。マナの脈動だ。規則的で、力強く、まるで——


「心臓の鼓動みたいだ」


「コア・クリスタルなのです」


 ミーシャが息を呑んだ。


「ご主人様の万象構築魔術に反応しているのです。あの子が——千年ぶりに、目を覚まそうとしている」


 マナの鼓動が、レイドの枯渇しかけた魔力に呼応するように強まっていく。壁一枚の向こう側で、古代の意志が脈打っている。


 レイドは震える手を壁に押し当てた。


「——聞こえるか」


 返事はない。だが鼓動は、確かに速まった。

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