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先遣隊

 あの夜の会話から二日が経った。


 レイドはフィーネの報告をリリアーナと共有し、監視の網を静かに広げていた。だが、先に動いたのは敵の方だった。


 ——早朝。南西の第一防衛線から、魔導通信が飛び込んできた。


「団長、来たぞ」


 ガルムの低い声が、通信用の魔導端末から響く。ノイズのない鮮明な音声。レイドが魔導通信網を整備した成果が、こんな場面で真価を発揮するとは皮肉なものだった。


「数は」


「目視で二百ほどだ。だが——妙だな。統率が取れすぎている」


 レイドは研究室の机から立ち上がった。


「先遣隊か。本隊じゃない」


「だろうな。斥候にしちゃ多いが、本気で攻める数じゃねえ。第一防衛線で止める。増援は不要だ」


 ガルムの声には迷いがなかった。


「任せる。ただし無理はするな。障壁と罠を最大限使え」


「言われなくてもそうする」


 通信が切れる。レイドはすぐに第二、第三防衛線にも通達を飛ばした。魔導通信網が各拠点を繋いでいるおかげで、伝令を走らせる必要がない。全防衛線が同時に警戒態勢に入る。


 かつて宮廷では「通信魔術など戦場の役に立たん」と嘲笑されたものだ。レイドは薄く笑った。


「——さて」


 笑みはすぐに消えた。本隊が来る前に、やるべきことが山ほどある。



    ◇



 第一防衛線。荒野に張り巡らされた結界柵と落とし穴の向こうから、黒い波が押し寄せていた。


 魔獣の群れ。角の生えた狼型を主体に、大型の猪型、空を飛ぶ蝙蝠型が混在する混成部隊。


「第一列、構え」


 ガルムが右腕を上げた。彼の背後に並ぶのは、元傭兵や冒険者崩れの精鋭三十名。数では圧倒的に劣る。


 だが、ガルムに焦りはなかった。


 先頭の狼型魔獣が結界柵に触れた瞬間、青白い光が炸裂した。レイドが設計した防衛結界だ。衝撃波が前列の魔獣を弾き飛ばし、後続が将棋倒しになる。


「弓兵、撃て!」


 矢の雨が混乱した群れに降り注ぐ。続いて地面が陥没し、落とし穴に魔獣が呑まれていく。穴の底には魔力で硬化させた杭が林立している。


 悲鳴のような咆哮が荒野に響いた。


「第二波、来るぞ。槍兵、前へ」


 ガルムは大剣を抜いた。結界を迂回してきた猪型魔獣の突進を、真正面から受け止める。


 轟音。


 獣人の膂力をもってしても、衝撃で地面に轍が刻まれた。だがガルムは一歩も退かない。そのまま大剣を振り上げ、魔獣の首を断ち落とした。


「——ん?」


 返り血を浴びながら、ガルムの目が細くなった。


 断面から、何かが光っている。


「おい、こいつの体……」


 傍らの兵士が息を呑んだ。魔獣の胸腔から、拳大の結晶が転がり出てきたのだ。淡い紫色に脈動する、マナの塊。


 自然にできるものではない。明らかに外部から埋め込まれている。


「全員、強化個体に注意しろ! 通常より硬い。一撃で倒せなければ無理に追うな!」


 ガルムの指示が飛ぶ。戦闘は一時間で終結した。魔獣の死骸が百八十余り、残りは撤退。味方の死者はゼロ。重傷三名、軽傷十二名。


 防衛線の設計が完璧に機能した結果だった。


 ガルムは回収したマナ結晶を布に包み、通信端末に手を伸ばした。


「団長、厄介なものが出た」



    ◇



 レイドの研究室。机の上に、回収された五つのマナ結晶が並んでいた。


 ミーシャが虹色の瞳を結晶に近づけ、しばらく黙り込む。


「……これ、アルカディアの技術なのです」


「確かか?」


「間違いないのですよぅ。マナを結晶化して生体に定着させる技法——古代では『魔核移植』と呼ばれていたのです。ただし、精度はひどいものですね。本来の技術の劣化コピー……いえ、模倣と言った方が正確なのです」


 レイドは結晶を持ち上げ、光に透かした。


「古代遺跡から技術を持ち出した者がいる、ということか」


「ご主人様が発見した遺跡群は、ほんの一部なのです。大陸各地にアルカディアの残滓は眠っているのですよぅ」


 レイドは結晶を机に戻した。


 ヴァルターが古代技術の断片を手にしている。予想はしていたが、証拠が出たのは大きい。


「この技術は不完全だ。結晶が砕ければ魔獣は急速に衰弱する。弱点でもある」


「さすがご主人様。冷静な分析なのです」


「褒めるのは後だ。ミーシャ、遺跡の記録解読を急いでくれ。防衛の切り札が必要になる」


「了解なのです!」


 ミーシャが地下へ飛んでいく。


 入れ替わるように、リリアーナが研究室に入ってきた。


「レイド様、例の件で進展がありましたわ」


 彼女の表情は冷静だが、瞳の奥に鋭い光が宿っている。交渉の場に立つときの、あの目だ。


「交易商一団のリーダー格——ゲオルクと名乗る男ですが、正体を突き止めましたの。元クレスティア王国情報部の工作員ですわ」


「証拠は?」


「情報部の元関係者から裏を取りました。ただし、物的証拠はまだ押さえられていません」


 リリアーナは腕を組んだ。


「ここで拙速に動けば、善良な交易商や難民たちに疑心暗鬼が広がりますわ。せっかく築いた信頼が崩れかねません」


「同感だ」


「ですので——泳がせましょう。彼らの連絡経路を特定し、網を張るのです。工作員が動けば動くほど、こちらの情報が増えますわ。そして本隊の襲撃と連動して内部工作を仕掛けてきたところを、一網打尽にする」


 レイドは頷いた。リリアーナの戦略眼は、もはや一介の商人のそれではない。


「任せる。ただし、住民に危害が及ぶ兆候があれば即座に確保しろ」


「心得ておりますわ」


 リリアーナが退室した後、レイドは窓の外を見た。


 表向きは平静を装う。防衛に注力する姿を見せる。だが水面下では、あらゆる手を打つ。


 それが今の自分にできる最善だった。



    ◇



 医療棟は、戦場の匂いに満ちていた。


 フィーネは額の汗を拭うこともなく、負傷した兵士の腕に手を当てていた。翠色の光が傷口を包み、裂けた筋繊維が修復されていく。


「はい、もう大丈夫ですよ。しばらくは重いものを持たないでくださいね」


「す、すまねえ……薬師殿」


「薬師殿はやめてください。フィーネでいいです」


 兵士が照れくさそうに頭を掻く。その隣では、別の負傷者が順番を待ちながらフィーネの手際に見入っていた。


「次の方、こちらへ」


 フィーネの声は穏やかだった。疲労は顔に出さない。


 医療棟の入口には、いつの間にか住民たちが集まっていた。不安そうな表情で、しかし中に入ることは遠慮している。


 フィーネはそちらに気づくと、治療の手を止めずに声をかけた。


「大丈夫です。怪我をした人はみんな助かりますから。魔獣も撃退できました。心配しないで」


 その言葉に、一人の女性が涙ぐんだ。隣の老人が「強いなあ、あの薬師さんは」と呟いた。


 ——嘘の涙だったのだろうか。


 あの男の涙を思い出しながら、フィーネは手を動かし続けた。


 嘘であれ本当であれ、目の前の傷を治すことに変わりはない。自分にできることを、ただ積み重ねるだけだ。



    ◇



 その夜。レイドの元に、ミーシャが興奮した様子で駆け込んできた。


「ご主人様! 大発見なのです!」


「落ち着け。何がわかった」


「古代の自動迎撃結界——『アイギス・フィールド』の全容を解読したのですよぅ! 起動すれば、都市全域を覆う防衛結界が自律的に魔獣を排除するのです。規模も精度も、今の結界とは比較にならないのです!」


 レイドの目が見開かれた。


「起動条件は」


「それが……」


 ミーシャの声が急にしぼんだ。


「遺跡の最深部に『コア・クリスタル』という中枢炉心があるのです。それを再起動しなければ、アイギス・フィールドは動かないのですよぅ」


「最深部か。今の探索範囲より、さらに下層だな」


「はい。しかも、千年前の崩落で通路が完全に塞がれているのです。物理的に到達不能……普通の手段では」


 レイドは研究ノートを閉じた。


「万象構築魔術なら、岩盤を再構成しながら掘り進める。通路を新たに『構築』すればいい」


「で、ですが、推定される作業量から計算すると——最低七十二時間は必要なのです」


 七十二時間。丸三日。


 魔獣本隊の到達予想は、あと四日。


「一日しか余裕がねえぞ、団長」


 いつの間にか入口に立っていたガルムが、腕を組んで言った。


「わかっている」


 レイドは立ち上がった。研究ノートを懐にしまい、外套を羽織る。


「今から始める。七十二時間、地下に潜る」


「正気か」


「正気だ。俺一人で十分だし、俺にしかできない」


 ガルムは数秒、レイドの目を見つめた。そして、短く息を吐いた。


「……わかった。地上は俺が守る。安心して掘れ」


「ああ。頼んだ」


 レイドは遺跡の入口へ向かって歩き出した。


 四日。猶予は四日しかない。


 だが——足りないなら、足りるようにするだけだ。

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