二正面の夜
翌朝、レイドは都市の中枢塔——通称「星見の塔」の作戦室に主要メンバーを集めた。
長テーブルを囲むのはガルム、フィーネ、リリアーナ、そしてミーシャの四人。窓の外では、何も知らない住民たちがいつもと変わらぬ朝を過ごしている。
「状況を整理する」
レイドは崩落した外壁の図面を広げた。
「昨夜の破壊工作には、王国軍の正規破壊術式が使われていた。つまり敵は外じゃない。この都市の中に、訓練を受けた工作員が潜んでいる」
沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはガルムだった。
「団長。偵察隊から報告が上がっている。北東の渓谷に集結している魔獣の群れだが——動きがおかしい」
「おかしい、とは?」
「統率されている。本来なら縄張り争いで互いを食い合うはずの種が、一つの群れとして行動している。あれは自然じゃねえ。何者かが意図的に誘導している」
レイドの眉が寄った。魔獣の群れと内部工作。二つの脅威が同時に迫っている。偶然とは思えなかった。
「——二正面作戦でいく」
レイドは地図に指を走らせた。
「ガルム、お前は偵察隊を率いて魔獣の群れを監視し続けてくれ。交戦は避けろ。動向の把握が最優先だ。リリアーナ、内部調査を頼みたい。最近この都市に入った人間を洗い出してくれ」
「承知しましたわ」
リリアーナが頷いたが、その表情は複雑だった。
「ただ、レイド様。一つ申し上げておきますわ。この都市には現在、三百を超える住人がいます。その多くが——」
「ああ。難民だ。素性の確認が取れない者も少なくない」
リリアーナは唇を引き結んだ。
「わたくしの商人ネットワークを使えば、交易路を通じて入城した者の追跡はある程度可能ですわ。ですが、荒野を徒歩で渡ってきた者については……正直、限界がありますの」
「わかっている。完璧は求めない。まずは直近一ヶ月以内に入った者で、不審な行動パターンがある者を絞り込んでくれ」
フィーネが小さく手を挙げた。
「あの、私の医療拠点にも新しい住人はよく来ます。体調不良を装って情報を集めている可能性も……」
「フィーネ、お前は通常通り医療に専念してくれ。ただし夜間は必ず誰かと一緒にいるようにしろ。一人になるな」
「わ、わかりました」
レイドはミーシャに目を向けた。
「ミーシャ。俺と一緒に遺跡の深層を探る。昨日の探索で気になる区画があった」
「了解なのです、ご主人様! ミーシャの古代知識がきっとお役に立ちますよぅ」
作戦が決まった。四人がそれぞれの持ち場へ散っていく中、レイドは窓の外を見つめた。
種族を問わず受け入れる。それがこの都市の理念だった。だがその理念が、敵に付け入る隙を与えている。皮肉と言えば皮肉だった。
——それでも、門を閉ざすつもりはない。
レイドは静かにそう思い、研究ノートを手に取った。
*
遺跡の深層は、千年の沈黙に包まれていた。
レイドとミーシャは、前日の探索で発見した隠し通路を進んでいた。万象構築魔術で生成した光球が、苔むした壁面を照らし出す。
「この先なのです。ミーシャの記録——というか記憶の断片に、この区画の情報がかすかに残っていますよぅ」
「どんな区画だ?」
「えっとですね……古代アルカディアの『統合防衛管制室』。都市全域の防衛結界を一元制御するための中枢施設、だったはずなのです」
通路の突き当たりに、巨大な扉があった。半ば崩れかけてはいるが、その表面には精緻な魔術式が刻まれている。レイドが掌を当てると、微かにマナが脈動した。
「——生きている。完全には死んでいない」
扉の向こうに広がっていたのは、円形の広間だった。壁一面に刻まれた魔術回路。中央には水晶のような素材で作られた制御盤らしき構造物。そのすべてが、千年の劣化でひび割れ、光を失っていた。
「すごいな……」
レイドは思わず息を呑んだ。研究者としての血が騒ぐ。これが完全に機能していた時代、この部屋一つで都市全域の防衛を自動制御していたのだ。
「復元できるか?」
「理論的には可能なのです。でも……」
ミーシャが制御盤に触れ、首を傾げた。
「三つの条件が必要ですよぅ。一つ目は、大地の心臓からの直接マナ供給ラインの再構築。二つ目は、壁面の魔術回路の修復——これは三割以上が断線しているのです。そして三つ目は……」
「三つ目は?」
「古代アルカディア式の起動キー。これはミーシャにも心当たりがないのです。遺跡のどこかに保管されているはずですけど……」
レイドは壁面の魔術回路を分析しながら、計算を走らせた。マナ供給ラインの再構築は万象構築魔術で可能だ。回路の修復も、パターンを解析すれば不可能ではない。だが——
「最低でも七日。それも他の一切を放棄して、ここに籠もりきりで作業した場合だ」
「魔獣の群れがいつ来るかわからない状況で、七日は厳しいのです……」
「ああ。だが、この施設を復元できれば都市の防衛力は桁違いに上がる。やる価値はある」
レイドは研究ノートに制御盤の構造を細かくスケッチしながら、並行して修復計画を練り始めた。没頭すると周囲が見えなくなる悪癖が出かかったが、ミーシャに袖を引かれて我に返った。
「ご主人様、そろそろ地上に戻らないと日が暮れちゃうのです」
「……ああ、そうだな。すまない」
*
その夜。
フィーネは医療拠点の薬品庫で、乾燥させた薬草の仕分けをしていた。
本来なら就寝している時刻だが、明日の分の解熱剤が足りない。辺境の夜は冷える。風邪をひく子供が増えていた。
「この薬草、もう少し乾燥させないとだめですね……」
独り言を呟きながら棚を整理していると——不意に、裏口の方から微かな物音が聞こえた。
フィーネの耳がぴくりと動いた。ハーフエルフの聴覚は人間より遥かに鋭い。
足音。それも、忍び足の。
フィーネは灯りを消し、棚の影に身を隠した。心臓が早鐘を打つ。薬品庫の裏口が、ゆっくりと開いた。
暗がりの中、人影が滑り込んでくる。その手には——油の壺と、火打ち石。
薬品庫に火を放つつもりだ。
フィーネの中で、恐怖が怒りに変わった。ここには住人たちの命を繋ぐ薬がある。子供たちの解熱剤も、ガルムの娘に処方した喘息の薬も、全部——。
「——何をしているんですか!」
叫びと同時に、フィーネは植物魔法を発動した。床板の隙間から蔦が噴き出し、侵入者の足に絡みつく。
だが相手も素早かった。腰のナイフで蔦を切り払い、油の壺を投げ捨てて裏口から駆け出す。
一瞬。ほんの一瞬だけ、月明かりが侵入者の顔を照らした。
フィーネは、その顔を見た。
見覚えがあった。忘れるはずがなかった。
薬品庫の床にこぼれた油の匂いが鼻を突く中、フィーネはしばらく動けなかった。
*
翌朝。レイドのもとに駆け込んできたフィーネの顔は、蒼白だった。
「レイドさん、昨夜の工作員の顔——私、知っています」
「誰だ?」
「数日前に、妻と幼い子供を連れて受け入れを求めてきた男です。『家族を養うために働かせてほしい』って、泣きながら頭を下げていて——私、その場で薬を渡したんです。お子さんが熱を出していたから」
フィーネの声が震えていた。
「それと……もう一つ。その男が、南門の近くで交易商の一団と話しているのを見たことがあります。リリアーナさんの管理下にない、外部の商人たちと」
レイドの目が細まった。
「交易商を装った連絡役か。リリアーナの調査と繋がるかもしれない」
フィーネは拳を握りしめていた。
「……あの涙は、嘘だったんでしょうか」
その問いに、レイドはすぐには答えられなかった。




