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嵐の前の鼓動

 千を超える魔獣。


 その言葉が、レイドの疲労を一瞬で吹き飛ばした。


「詳しく聞かせてくれ、ガルム」


 椅子から立ち上がり、執務机に広げた地図を示す。ガルムは大股で歩み寄り、太い指で南西の荒野を指した。


「偵察隊が確認した限りで千二百。だが後方にまだ続いている。実数は千五百を超えるかもしれん」


「種別は?」


「大半はグレイウルフとロックボアだ。だが——混ざっている。本来は群れを作らない種が、まるで統率されたように同じ方向へ動いている」


 レイドは眉をひそめた。異なる種の魔獣が混成群を形成する。それは自然現象ではありえない。


「到達予想は?」


「二日。早ければ明後日の夜明けだ」


「——緊急会議を招集する。全主要メンバーを三十分以内に評議室へ」


 ガルムは頷き、踵を返した。その背中に迷いはない。レイドはそのことに、わずかな安堵を覚えた。



  *



 評議室に集まった顔ぶれは、アルカディア・ノヴァの中核そのものだった。


 ガルムが地図上に駒を並べながら、防衛構想を語り始める。


「三重の防衛線を敷く」


 その声は低いが、部屋の隅まで届いた。


「第一防衛線は都市の南西二キロ地点。荒野の地形を利用して罠と障壁を設置する。ここで数を削る。第二防衛線は既存の結界。ミーシャが管理している防衛結界をそのまま活用する。第三は市街地外縁の最終防衛線だ」


「第一で何割削れる見込みですの?」


 リリアーナが即座に問うた。


「三割削れれば上出来だ。だが目的は殲滅じゃない。進軍速度を落とし、群れを分断することにある」


「なるほど。各個撃破に持ち込むわけですわね」


 ガルムが頷く。リリアーナはすでに手元の帳簿を開いていた。


「物資の状況を報告しますわ。食糧は二週間分の備蓄あり。矢は現在三千本、ドワーフの鍛冶工房をフル稼働させれば二日で倍にできますわ。問題は避難計画——非戦闘員は三百名近くいますの。地下遺跡の安全区画を避難所に使えないかしら」


「ミーシャ、どうだ?」


 レイドが視線を向けると、銀髪の人工精霊は地図の端に座って古文書を広げていた。


「地下第二層の居住区画なら収容可能なのです。ただし——」


 ミーシャが虹色の瞳を上げた。


「ミーシャ、もっと面白いもの見つけちゃったのですよぅ」


「面白いもの?」


「殲滅級防衛機構。古代アルカディアが外敵に対して使った最終兵器なのです。遺跡の最深部に眠ってるって、ここに書いてあるのです」


 部屋の空気が変わった。ミーシャは古文書の一節を指で追いながら続ける。


「起動すれば都市を中心に半径五キロの範囲で敵性存在を自動排除できる——って書いてあるのですけど」


「使えるのか?」


 ガルムが身を乗り出した。


「わからないのです。起動には『制御核』が必要で、それがどこにあるのか記述がないのですよぅ。遺跡のさらに深い階層を調査しないと——」


「二日では間に合わんな」


 ガルムの判断は的確だった。レイドも同意見だ。


「殲滅級防衛機構は中長期の課題として調査を続けよう。今は使えるもので戦う」


 レイドは地図に向き直り、万象構築魔術の応用を頭の中で組み立て始めた。


「第一防衛線は俺が構築する。石壁、塹壕、そして——魔力地雷だ」


「魔力地雷?」


 フィーネが不安げに聞き返した。


「踏んだ魔獣の重量と魔力反応を感知して起爆する仕掛けだ。万象構築魔術なら、圧力感知式の魔術式を地中に埋め込める。つまりこの術式の反応閾値を魔獣の体重域に合わせれば——」


「レイドさん、説明は後でいいですよ」


 フィーネが苦笑して遮った。レイドは我に返る。


「——すまん。要するに、魔獣だけに反応する地雷を作れる」


「私は医療拠点の設営に入りますね」


 フィーネは立ち上がり、てきぱきと指示を出し始めた。


「南門付近に仮設の治療所を二カ所。それと薬草が足りないから、促成栽培をかけます。通常は一週間かかる薬草でも、植物魔法なら半日で——」


「頼む。特に止血と解毒の薬を優先してくれ」


「わかってますよ。ガルムさん、負傷者の搬送経路も決めておいてくださいね」


「ああ」


 会議は三十分で終わった。全員が持ち場に散る。無駄な議論はなかった。この都市に集まった者たちは、誰もが何かから逃げてきた者たちだ。だからこそ、守るべきものの重さを知っている。



  *



 翌日は、戦いの前の喧騒に満ちた一日だった。


 レイドは南西の荒野に立ち、万象構築魔術を全力で行使した。大地から石壁を隆起させ、塹壕を掘り、要所に魔力地雷を埋設していく。単純な土魔術ではない。圧力感知式の起爆術式、指向性の衝撃波、連鎖起爆の抑制機構——すべてを一つの魔術式として記述し、地中に定着させる作業だ。


 額の汗を拭う暇もなかった。


「団長、東側の配置が完了した」


 ガルムが報告に来た。その背後には、武装した獣人の戦士たちが隊列を組んでいる。


「エルフの弓手が八名、警戒網の強化に志願してきた。腕は確かだ」


「ありがたいな。第一防衛線の後方に配置してくれ。狙撃で群れの先頭を潰せれば、突破速度を大幅に落とせる」


 ガルムの傍らを、ドワーフの鍛冶師たちが武器を満載した荷車を押して通り過ぎた。斧、槍、矢じり——夜通し鍛冶炉を回して作り上げたものだ。


「アルカディア・ノヴァの武器は世界一じゃ!」


 老鍛冶師が胸を張る。笑い声が上がった。恐怖を紛らわせるための笑いではない。自分たちの手で作り上げたものへの、純粋な誇りだった。


 フィーネの促成栽培も成果を上げていた。


「レイドさん、見てください」


 仮設治療所の裏手で、フィーネが目を丸くしていた。促成栽培用の苗床に、見たことのない銀色の薬草が芽吹いている。


「これ、古代種の薬草です。普通の土壌では絶対に育たないはずなのに——この土地のマナ濃度が異常に高いから、促成栽培の魔力刺激で休眠種子が目覚めたんだと思います」


「効能は?」


「まだわかりません。でも魔力を帯びた薬草は、通常種の数倍の治癒効果を持つことが多いんです。大事に育てますね」


 フィーネの目が輝いていた。危機の最中にあっても、未知の発見に心を躍らせる。レイドは、その姿に自分と似たものを感じて、小さく笑った。


「頼りにしてる」


「——はい」


 フィーネは一瞬だけ耳を赤くして、すぐに薬草の世話に戻った。



  *



 日が沈む頃には、第一防衛線の八割が完成していた。


 石壁は高さ三メートル、厚さ一メートル。その前面に幅五メートルの塹壕。塹壕の底には先端を硬化させた石の杭が林立し、要所には魔力地雷が埋設されている。完璧とは言えないが、千を超える魔獣の突進を受け止めるには十分な構造だった。


 レイドは最後の魔力地雷を設置し終え、立ち上がった。全身の魔力がほとんど枯渇している。だが、あと一日ある。睡眠を取れば朝までにある程度回復するだろう。


「残りは明朝に仕上げる。今夜は——」


 その時だった。


 南西の闇の中で、閃光が走った。


 轟音。大地が揺れる。


「何だ!?」


 レイドは反射的に駆け出した。爆発は第一防衛線の中央付近——つい数時間前に魔力地雷を埋設したばかりの区画だ。


 現場に到着して、息を呑んだ。


 石壁の一部が内側から吹き飛ばされていた。塹壕は崩落し、魔力地雷は——Loss。術式の残滓を読み取ったレイドの顔から、血の気が引いた。


 魔力地雷は外部からの衝撃で爆発したのではない。術式そのものが内側から書き換えられ、自壊させられていた。


 それはつまり。


「……外の敵じゃない」


 駆けつけたガルムが、レイドの表情を見て低く唸った。


「この破壊術式のパターン——俺は知っている」


 レイドは崩れた石壁に残る魔力痕を睨みつけた。かつて宮廷で何度も見た、あの体系的で無駄のない術式構造。


「王国軍の正規破壊術式だ」


 千の魔獣が迫る中、敵はすでに——この都市の内側にいた。

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