鍛冶王の試金石
走った。
ガルムを先頭に、使節団は峠道を駆け下りた。黒煙の立ち昇る方角へ。金属の打撃音と魔獣の咆哮が、近づくにつれて鮮明になっていく。
前哨鉱山は、山肌を削り取った露天掘りの採掘場だった。
そこに、五体の岩石魔獣が群がっていた。体高三メートルを超える巨躯。花崗岩のような外殻が全身を覆い、赤く光る双眼が獲物を見据えている。
ドワーフの採掘隊が必死に応戦していた。だが、ツルハシや採掘用の小型ハンマーでは岩の外殻を砕けない。崩れた坑道の入口に追い詰められ、盾代わりに掲げた鉄板が一撃ごとに歪んでいく。
「トバル、民間人を後方へ。リリアーナは下がっていろ」
ガルムは大剣を抜き放ちながら、既に跳躍していた。
虎族の脚力が岩肌を蹴り、最も近い岩石魔獣の側面に着地する。大剣が弧を描いた。刃が外殻の継ぎ目——首と肩の隙間に吸い込まれる。
甲高い悲鳴。魔獣がよろめいた。
「おい、ドワーフども! 退路を確保しろ!」
ガルムの怒号に、採掘隊が我に返った。統率の取れた動きで負傷者を坑道の奥へ運び始める。さすがは地底の戦士の末裔だ。
残る四体がガルムに向き直った。連携して包囲しようとする動きに、ガルムの目が細まる。
「やはり統率されている。厄介だな」
だが、厄介なだけだ。
ガルムは笑った。傭兵団で十年、単騎で魔獣の群れを相手取る修羅場は幾度も潜ってきた。
三分後。五体の岩石魔獣は、すべて沈黙していた。
ガルムの全身に細かな切り傷が刻まれていたが、致命傷は一つもない。大剣の血を振り払い、鞘に収める。
「……虎族の戦士か」
採掘隊の先頭に立つドワーフが、驚愕の表情で呟いた。がっしりとした体躯に灰色の顎髭。額に走る古い傷跡が、歴戦の証だった。
「助太刀感謝する。俺はバルド。この前哨鉱山の隊長だ」
「ガルムだ。こっちはアルカディア・ノヴァの使節団——」
「バルド隊長!」
トバルが前に出た。まだ息が切れているが、目は真剣だった。
「お久しぶりです。グロム師匠の弟子、トバルです。師匠とはまだ連絡を?」
バルドの表情が一変した。警戒が驚きに、そして懐かしさに変わる。
「グロムの弟子だと? あの偏屈の……ああ、聞いたことがある。人間の若造を仕込んでいると」
「はい。師匠の紹介で、ドゥルガンとの交易の道を探りに参りました」
バルドは顎髭を撫でた。しばしの沈黙の後、頷く。
「命の恩人を追い返すほど、ドワーフは恩知らずではない。ひとまず前哨砦へ来い。話はそこで聞こう」
* * *
前哨砦は、岩壁をくり抜いて造られた堅固な拠点だった。
バルドは石のテーブルに地図を広げ、渋い顔で語り始めた。
「この三ヶ月で、魔獣の襲撃が五倍に増えた。しかも奴ら、以前とは明らかに違う。統率されているんだ」
「原因は」
「わからん」バルドが首を振った。「地底深くから何かが這い出てきている。古い鉱脈を掘り進めるほど、遭遇率が上がる。まるで——何かを守っているかのようだ」
リリアーナの瞳が光った。
商人の嗅覚。窮状の裏には、必ず需要がある。
「バルド殿」リリアーナが一歩前に出た。背筋を伸ばし、声のトーンを落とす。交渉者の顔だった。「採掘が滞れば、ドゥルガン全体の鉱石供給に影響が出ますわね」
「……そうだ。既に三つの鉱山を放棄した。鍛冶王も頭を抱えている」
「でしたら、一つご提案がございますの」
リリアーナは微笑んだ。
「鉱石をいただく代わりに、我がアルカディア・ノヴァの魔術師による防衛支援を提案いたしますわ。レイド——我が都市の長は、結界術と自動防衛機構の専門家ですの」
バルドの目が鋭くなった。
「話が大きいな。俺の一存では決められん」
「存じておりますわ。鍛冶王ドラグニール陛下への面会をお取り次ぎいただけませんこと?」
バルドはしばらくリリアーナを見つめた。やがて、かすかに口角を上げる。
「度胸のある娘だ。いいだろう、取り次ぐ」
* * *
ドゥルガンの王城は、山脈の心臓部に築かれた地底都市そのものだった。
巨大な溶鉱炉の明かりが、天然の鍾乳洞を赤く染め上げる。無数の金属音が反響し、まるで山全体が一つの工房のようだった。
鍛冶王ドラグニールは、玉座ではなく鍛冶場に立っていた。
白い顎髭を胸まで伸ばした巨漢。革の前掛けを纏い、手には鍛冶槌。王というより、職人の親方だった。
「人間の都市との交易だと」
ドラグニールの声は低く、溶鉱炉の唸りのように響いた。槌を金床に置き、使節団を見渡す。
「前例がない」
「前例がないからこそ、価値がございますわ」
リリアーナは一歩も引かなかった。その手が、携えてきた革袋から一つの結晶を取り出す。
淡い青白光が、鍛冶場を照らした。
高純度魔力結晶。アルカディア・ノヴァの「大地の心臓」から精製された、純度九十八パーセントの結晶体。
ドラグニールの目が変わった。
職人の目になった。
「見せろ」
結晶を受け取り、光に透かす。指先で弾き、音を聴く。舌で舐めさえした。
「……この純度。まさか、古代アルカディアの技術か」
「ご明察ですわ」リリアーナが頷いた。「我が都市は、古代遺跡の技術を現代に蘇らせております。この結晶はその成果の一つに過ぎません」
「ふん。それで、排他的な交易権でも求めるつもりか。人間の商人が考えそうなことだ」
「いいえ」
リリアーナはきっぱりと否定した。
「わたくしが提案するのは、排他的交易権ではございません。相互利益に基づく、永続的パートナーシップですわ」
ドラグニールの片眉が上がった。
「ドゥルガンの鉱石は世界最高品質。それは揺るぎない事実ですわ。わたくしたちが求めるのは、その一部をいただく権利。代わりに、魔獣から鉱山を守る防衛技術と、この高純度結晶を安定供給いたします」
「我らに依存しろとは言わんのか」
「依存は脆弱さですもの。対等な関係こそが、両者を強くいたしますわ」
沈黙が落ちた。溶鉱炉の炎が揺れ、影を踊らせる。
ドラグニールはリリアーナを見据えた。その視線に、品定めの色がある。
「……お前の交渉術。かつてのクレスティア公爵を思い出す」
リリアーナの肩が、わずかに強張った。
「あの男も、相手の誇りを立てながら実利を取る天才だった。血は争えんということか」
リリアーナは唇を引き結んだ。何かを堪えるように。だが次の瞬間には、商人の微笑みを取り戻していた。
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「褒めてはおらん」ドラグニールが鼻を鳴らした。「だが——悪くない提案だ」
鍛冶王は結晶をもう一度見つめ、頷いた。
「試験的な交易協定を結ぼう。まずは三ヶ月。その間に防衛技術の成果を見せてもらう。結果次第で、正式な条約に格上げする」
リリアーナが深く一礼した。ガルムが腕を組んで頷き、トバルが安堵の息をつく。
協定書への署名が終わり、使節団が退出しかけた時だった。
「待て」
ドラグニールの声が、背中を刺した。
振り返ると、鍛冶王は鍛冶槌を手に取り、金床を静かに叩いていた。
「一つ忠告しておこう、人間の娘よ」
その目が、炉の炎を映して揺れた。
「お前たちの王国の宰相は、我々にも辺境との断交を求める使者を送ってきた」
空気が、凍った。
「我らは断った。ドワーフは恩知らずではないし、利のない話に乗るほど愚かでもない。だがな——」
槌が金床を打つ。澄んだ金属音が、鍛冶場に響き渡った。
「あの宰相の手は、お前たちが思っているより遥かに長い。気をつけることだ」
ドラグニールは背を向け、再び鍛冶槌を振り上げた。
その背中が告げていた。
ヴァルターの包囲網は、既に大陸全土に広がり始めている——。




