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交易の道、山岳の先に

 ベルクの自白から二日が経った。


 レイドは執務室の机に広げた地図を見つめていた。ブランフェルト荒野から西へ伸びる山岳地帯の稜線を、指でなぞる。その先に記された文字——ドゥルガン。ドワーフの地底王国だ。


「お待たせしましたわ」


 扉を開けて入ってきたリリアーナが、脇に革装の書類束を抱えていた。その後ろからガルムとトバルが続く。


「全員揃ったな。座ってくれ」


 レイドは椅子の背もたれから身を起こした。


「単刀直入に言う。ドゥルガンとの直接交易路を開く。使節団を送りたい」


 リリアーナの目が輝いた。彼女が以前から温めていた提案だ。王国の経済封鎖を迂回し、ドワーフとの独自交易圏を築く。その構想がようやく正式に動き出す。


「外交官はリリアーナ、護衛隊長はガルム。そして案内役にトバルを頼みたい」


 名前を呼ばれた鍛冶師が、太い腕を組んだまま頷いた。


「あの間道なら知ってる。師匠——ドゥリン親方と何度も行き来した道だ。獣道に近いが、馬車一台は通れる」


「それはリリアーナが以前見つけた間道と同じルートか?」


 レイドが尋ねると、リリアーナが書類束の中から一枚の地図を引き抜いた。古い交易記録から書き写した、山岳部の詳細図だ。


「ここですわ。トバルさんの仰る間道と、わたくしが記録から見つけたルートは完全に一致しています。かつてアルカディア時代にドワーフとの交易に使われていた道の名残ですの」


 トバルが地図を覗き込み、指で道筋をなぞった。


「間違いない。ドゥリン親方に連れられて初めて通った時、『これは古い古い道だ』と言っていた。正規の街道より二日は短い」


「師匠との繋がりがあるなら、交渉の足がかりになる」


 ガルムが低く言った。寡黙な獣人にしては珍しく、前のめりだった。


「ドワーフは縁故を重んじる種族だ。知らん人間が突然来ても門前払いだろうが、トバルなら話が違う」


 レイドは頷いた。トバルがドワーフの鍛冶師に弟子入りしていた過去は、第一級の外交資産だった。


「交易品の準備も進んでいる」


 レイドは机の引き出しから、布に包まれた小さな結晶を取り出した。透き通った蒼色の中に、微かな光の脈動が見える。


「高純度の魔力結晶だ。魔力鍛冶炉で精製した。純度は市販品の三倍以上ある」


 トバルが息を呑んだ。


「これは——こいつを見せたら、ドワーフの鍛冶師連中は目の色を変えるぞ。高純度の魔力結晶は、ミスリル合金の精錬に不可欠だ。だが天然ではまず手に入らない」


「それが狙いですわ」


 リリアーナが扇を開いた。交渉モードに入った証だ。


「ドゥルガンにとって魔力結晶は喉から手が出るほど欲しい素材。対してわたくしたちが必要としているのは鉱石と金属加工品。需給が完璧に噛み合いますの。これは対等な交易になりますわ——いえ、むしろ先方が前のめりになるはず」


「慈善じゃなく商売か」


 ガルムが口元を緩めた。


「そのほうがいい。ドワーフは施しを嫌う」


 リリアーナは扇をぱちんと閉じた。


「この交渉、絶対に成功させますわ。わたくしの商人としての矜持にかけて」


 その瞳には、かつて商業ギルドに阻まれていた少女の面影はなかった。一人の外交官としての覚悟が宿っている。


「頼りにしてる」


 レイドは魔力結晶を丁寧に専用の箱に収め、リリアーナに手渡した。


「くれぐれも気をつけてくれ。山岳地帯は魔獣の報告もある」


「心配するな、団長」


 ガルムが拳を胸に当てた。


「命に代えても使節団は守り抜く」


 レイドは苦笑した。


「命は代えなくていい。全員無事に帰ってこい」



   ◇



 出発前夜。


 フィーネが使節団の荷物の傍に、薬箱を置いていた。解毒薬、止血軟膏、治癒促進のポーション。いつもの几帳面さで一つ一つ確認している。


「高山病にも効く薬草茶を入れておきました。山岳地帯は空気が薄くなりますから」


「ありがとう、フィーネ」


 荷造りを終えたガルムの妻、カーラが微笑んだ。虎族の女性は夫より一回り小柄だが、芯の強さは負けていない。彼女も使節団の後方支援として同行する。


「旦那さんをお願いしますね」


 フィーネがカーラの手を握った。


「うちの人は強いけど、薬を飲むのだけは嫌がるの。熱が出ても黙ってるから、目を光らせておいて」


「任せてください」


 二人が笑い合うのを、レイドは少し離れた場所から見ていた。こうした光景がある限り、この街は大丈夫だと思えた。



   ◇



 翌朝、使節団が出発した。


 リリアーナ、ガルム、トバル、カーラを含む十二名。荷馬車二台に交易品と物資を積み、西の山岳地帯へと進む。街の住民たちが門まで見送りに出た。


「いってらっしゃいなのです! お土産はドワーフのお菓子がいいのです!」


 ミーシャが塔の上から手を振っている。


「ドワーフに菓子文化があるかは疑問だが」


 レイドは苦笑しながら、使節団の背が山の稜線に消えるまで見届けた。


 その後は休む暇もなかった。


 使節団の不在中、街の自給体制を強化しなければならない。経済封鎖が続く以上、外部からの物資供給は期待できない。


「ミーシャ、例の実験を始めるぞ」


「了解なのです!」


 地下遺跡の研究室。レイドは古代の記録を参照しながら、魔術による鉱石の生成実験に取り組んだ。万象構築魔術で鉱物の結晶構造を記述し、マナを物質に転換する。理論上は可能だが、膨大な魔力を消費する。


「大地の心臓からの直接供給ラインを使えば、鉄鉱石レベルなら生成可能なのです。ただし、ミスリルのような希少鉱石は構造が複雑すぎて、ご主人様でも安定生成は難しいのですよぅ」


「鉄鉱石で十分だ。建設資材と農具の分だけ賄えればいい」


 三時間の試行錯誤の末、拳大の鉄鉱石の塊が魔法陣の上に形を成した。純度は天然物にやや劣るが、精錬すれば使える品質だ。


「成功した……部分的にだが、これで当面は凌げる」


 レイドはノートに数値を書き込みながら、小さく息をついた。


 だが、安堵は長く続かなかった。


 研究室を出て執務室に戻ると、窓の外に広がる星空が目に入った。美しい夜だ。この空の向こうで、ヴァルターが軍を動かす準備をしている。


 レイドは机に向かい、研究ノートを開いた。いつもなら魔術式の計算で埋まるページに、今夜は違うものを書きつけた。


 ——経済封鎖。間諜。そして軍事介入の示唆。


 ペンを握る手に力がこもった。


 ——お前の魔法は役立たずだと言った。この街を潰そうとしている。俺が築いたものを、仲間を、住民を。


 文字は次第に荒くなり、紙面を引っ掻くように刻まれた。


 ——だが、俺はここを守る。お前の想像もつかない方法で。


 ペンを置いた。怒りを吐き出すのは、ここだけでいい。住民の前では、いつも通りの穏やかな団長でいなければ。


 レイドは研究ノートを閉じ、深く息を吸った。



   ◇



 使節団が山岳地帯に入って二日目。


 トバルの案内で間道を進む一行は、順調に高度を上げていた。かつての交易路は荒れていたが、馬車が通れないほどではない。


「この先の峠を越えれば、ドゥルガンの外縁部だ」


 トバルが前方の岩壁を指差した。


「師匠の工房は——」


 その言葉が途切れた。


 ガルムが片手を上げ、全員を止めた。虎族の耳が鋭く立ち、風の中から何かを拾っている。


「……聞こえるか」


 低い声に、全員が息を潜めた。


 最初はかすかな振動だった。足元から伝わる、不規則な揺れ。やがてそれは明確な音になった。


 地鳴り。


 そして——金属が激しく打ち合わされる音。


「あの方角は」


 トバルの顔が蒼白になった。


「ドゥルガンの前哨鉱山だ。あそこが襲われている——」


 ガルムが腰の大剣に手をかけた。風に乗って、かすかな咆哮が聞こえる。獣の声だ。だが、ただの野生の魔獣ではない。


 複数の咆哮が、まるで連携するように重なっていた。


「統率されている」


 ガルムが低く唸った。


「魔獣が——組織的に動いている」


 峠の向こうから立ち昇る黒煙が、山岳の空を濁らせ始めていた。

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