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揺らぐ灯火、折れぬ旗

 中継点の存在が判明してから、レイドは一睡もできなかった。


 ミーシャの解析によれば、通信波の中継地点はアルカディア・ノヴァから半日圏内——おそらく東の渓谷付近。封鎖網の内側に、敵の目と耳が潜んでいることを意味していた。


 朝を迎えた執務室で、レイドはガルムと向き合っていた。


「間諜がいる。ほぼ確実だ」


 ガルムが低い声で断じた。虎族特有の縦瞳が、苛立ちを隠さずに揺れている。


「封鎖が始まってから、妙な噂が広がっている。『王国に謝罪すれば許される』『レイドが王国を敵に回したせいだ』——こういう話が、決まって新参の難民の間から出てくる」


「発信源は特定できたか?」


「いくつか辿った。だが巧妙だ。誰が最初に言い出したのか、はっきりしない。自然に不満が広がったようにしか見えないんだ」


 レイドは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


 経済封鎖から七日。備蓄の食糧はまだ二ヶ月分あるが、鉄鉱石と薬草の在庫が心許ない。特に鉄は、建設にも農具にも武具にも必要な基幹資源だ。


「住民を集めてくれ。今日の昼、広場で話す」


「演説か?」


「ああ。隠し事をしている場合じゃない。俺が追放された経緯も含めて、全部話す」


 ガルムの眉が動いた。


「……本気か、団長」


「嘘で守れるほど、この街は小さくない。もう八百人を超えている。信頼は事実の上にしか築けない」


 ガルムは一瞬だけ目を閉じ、短く頷いた。


「わかった。昼までに全員を集める」


 その足音が遠ざかるのを聞きながら、レイドは研究ノートを開いた。演説の骨子を考えなければならない。だが指はペンを持ったまま動かず、代わりに古い記憶が蘇る。


 宮廷の大広間。居並ぶ貴族たちの冷ややかな視線。宰相ヴァルターの声が、今も耳に残っている。


「——お前の魔法は役立たずだ」


 あの言葉を、今度は自分の言葉で塗り替える。



   ◇



 正午の広場は、異様な熱気に包まれていた。


 八百人を超える住民が所狭しとひしめき合い、人間、獣人、エルフ、ドワーフの姿が入り混じっている。子供たちの不安げな目。腕を組んで険しい顔をする男たち。隣人の手をそっと握る女性たち。


 レイドは壇上に立った。風が銀灰色の短髪を揺らす。


 深く息を吸い、腹の底から声を出した。


「単刀直入に話す。まず、俺がこの地に来た経緯からだ」


 広場が静まり返る。


「俺は王国の宮廷魔術師だった。だが宰相ヴァルターに『役立たず』と追放された。理由は単純だ。俺の魔術は敵を焼き払えない。城壁を砕けない。戦場で派手な成果を出せない」


 ざわめきが広がった。追放の噂は断片的に知られていたが、本人の口から聞くのは初めてだ。


「王国は俺を必要としなかった」


 レイドの声に恨みはなかった。事実を述べるだけの、淡々とした響き。


「だから俺はここに来た。誰にも必要とされなかった土地に。呪われた荒野と呼ばれ、見向きもされなかった場所に」


 視線を広場の隅々まで巡らせる。知った顔がいくつもある。


「お前たちも同じだ。人間に裏切られた獣人。両方の種族に居場所がなかったハーフエルフ。借金に潰された商人。故郷を追われた難民。——俺たちは皆、どこかで『不要だ』と切り捨てられた人間だ」


 沈黙が重く落ちる。


 だがレイドの表情は穏やかだった。


「今、王国は経済封鎖で俺たちを締め上げようとしている。狙いは明白だ。物資を断ち、不安を煽り、内側から崩壊させる。——正直に言う。鉄鉱石と一部の薬草は、あと一ヶ月で底をつく」


 動揺が波のように広がった。誰かが小さく悲鳴を上げる。


「だが」


 レイドの声が、静かに、しかし確かに広場を貫いた。


「王国は俺たちを必要としなかった。なら、俺たちも王国がなくても生きていけることを証明しよう」


 間を置く。言葉の重さを、一人ひとりに届けるように。


「水道はある。食糧は自給体制に入った。結界は健在だ。鉱石の不足は——俺がなんとかする。万象構築魔術は、確かに敵を焼き払えない。だがこの街を守り、この街を育てるためにある」


 最前列にいた獣人の鍛冶師が、拳を握りしめていた。その隣で、人間の農夫が目を赤くしている。


「ここは俺たちの街だ。誰かに与えられたんじゃない。俺たちが自分の手で築いた場所だ。——それを手放すつもりはない」


 一拍の沈黙の後、誰かが拍手を始めた。それが広がり、歓声に変わり、やがて広場全体を揺るがす咆哮となった。


 だがレイドは群衆の中に、まだ不安を抱えた目があることも見逃さなかった。



   ◇



 演説の後、フィーネは薬箱を肩にかけて居住区を回り始めた。


 最初に訪ねたのは、先月辺境に辿り着いたばかりの難民家族だった。母親と幼い兄妹。父親は王国兵に捕らえられたまま消息がない。


「調子はどうですか? お子さんの咳、まだ続いてます?」


 フィーネは薬草を煎じながら、母親の話に耳を傾けた。封鎖の不安。子供たちの将来。ここにいて本当にいいのかという迷い。


「……王国に戻ったほうがいいのかもしれないって、そう言う人もいるんです」


 母親の声は震えていた。フィーネは湯気の立つ薬湯を手渡しながら、静かに微笑んだ。


「私もね、どこにも居場所がなかった時期があるんです。人間にもエルフにも受け入れてもらえなくて」


 長い耳を覆う金髪をそっと払った。普段は隠しているハーフエルフの証。


「でもここでは誰も、私の耳を見て顔をしかめたりしない。お子さんたちもそうでしょう? お友達と走り回ってるって聞きましたよ」


 母親の目に涙が浮かんだ。フィーネはその手をそっと握った。


 こうして一軒、また一軒と回っていく。薬を届け、話を聞き、時には一緒に泣いた。


 同じ頃、居住区の別の場所では、ガルムの妻カーラが獣人の住民たちを集めていた。ガルムに似た大柄な虎族の女性は、穏やかだが芯の強い声で語りかけた。


「あんたたち、ファングランドを出た時のことを忘れたのかい。あの時だって明日がどうなるかわからなかった。でも私たちは生き延びた。ここには壁がある。水がある。仲間がいる。——ここが私たちの居場所だよ」


 獣人の子供たちが母親の足元にまとわりつく。その光景を見て、年配の狼族の男がゆっくりと頷いた。


「……カーラの言う通りだ。ここを出て、どこへ行くってんだ」


 少しずつ、だが確実に空気が変わり始めていた。



   ◇



 夜が更け、街は静寂に包まれた。


 レイドは魔力増幅炉の制御室にいた。青白い光を放つ炉心の前で、ミーシャと向き合っている。


「結論から言ってくれ。鉱石の代替生成は可能か?」


「理論上は可能なのです」


 ミーシャが宙に古代文字の図式を投影した。虹色の瞳が炉心の光を反射して輝いている。


「万象構築魔術で鉱石の分子構造を記述し、マナを物質に変換するのです。古代アルカディアでは『錬成術』と呼ばれた技術体系ですよぅ」


「だが?」


「消費マナが膨大なのです。鉄鉱石一トンの生成に、現在の炉の出力だと丸三日かかる計算ですよぅ。月の必要量を賄うには、炉の出力を最低でも三倍にしなければ」


 レイドは図式を睨みつけた。三倍。現状の炉でそれは不可能だ。


「炉心の拡張はできるのか」


「できるのです。ただし——」


 ミーシャの声が珍しく慎重になった。


「大地の心臓から直接マナを引き上げる量を増やすことになるのです。制御を誤れば、炉が暴走するリスクがあるのですよぅ。古代アルカディアが滅びた原因の一つが、マナの過剰汲み上げだったとミーシャは記録で読んだのです」


「……古代文明の二の舞か」


 レイドは研究ノートを開き、炉心の設計図を見つめた。ペンが走り始める。


「安全係数を三重に設定して、段階的に出力を上げる。まず一・五倍から試す。ミーシャ、古代の制御式で参考になるものはあるか」


「ご主人様が喜びそうなものが三つほどあるのです」


 二人の議論は深夜まで続いた。



   ◇



 その頃、フィーネは住民への巡回を終え、疲れた足取りで宿舎への帰路についていた。


 夜風が肌寒い。星明りの下、外壁沿いの小道を歩いていると——ふと、微かな光が視界の端を掠めた。


 外壁の隅、物陰に人影がある。


 フィーネは足を止めた。薬師として培った観察眼が、異変を捉える。


 男が片手をかざし、何かを呟いている。指先に淡い光——魔力の流れ。だがそれは、レイドが構築した魔導通信網とは異なる波長だった。もっと古く、もっと粗い信号。


 寡黙で目立たない男。名前は確か——ベルク。


「——住民の動揺は計画通り。あと二週間で内部崩壊に持ち込める」


 低い声が夜気に溶けた。


 フィーネの心臓が跳ね上がった。息を殺し、壁の影に身を潜める。指先が震えていた。


 通信が途切れ、男が振り返る気配がした。


 フィーネは唇を噛み、音を立てずに後退った。


 ——レイドに、今すぐ伝えなければ。


 駆け出した足音が、夜の街に小さく響いた。


 外壁の向こうでは、封鎖を敷く王国軍の篝火がいくつも揺れている。内と外、二つの脅威に挟まれた都市の夜は、まだ明けない。

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