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封鎖の牙

 翌朝、レイドが管制塔の執務室で探知網の調整記録を確認していると、階段を駆け上がる足音が響いた。


 扉が勢いよく開かれる。


「レイド様、緊急事態ですわ!」


 リリアーナが息を切らして飛び込んできた。普段は崩さない髪が乱れ、頬から血の気が引いている。その手には魔導通信端末から出力された紙片が何枚も握られていた。


「どうした、リリアーナ」


「東方のカーディル交易隊が来ませんの。予定日を三日も過ぎていますわ。それだけではありません——」


 彼女は紙片をレイドの机に並べた。近隣の小村からの通信記録だった。


「ミルクロス村、テルンの集落、ホルスト農場——いずれも同じ内容ですの。『王国の役人が来て、辺境との一切の取引を禁じた』と」


 レイドは紙片を一枚ずつ読み、眉を寄せた。


 どの報告も同じ文言を含んでいた。


 ——王命により、ブランフェルト辺境都市およびその関係者との物資取引を全面的に禁止する。違反者は反逆罪として処罰される。


「勅令か」


 レイドの声が低くなった。


 ヴァルター。あの男が動いた。


 前夜に感じた不穏の正体が、こうして形になって現れたのだ。


「すぐに全員を集めてくれ。緊急会議だ」


 ——管制塔の会議室。


 円卓を囲むように、レイド、リリアーナ、フィーネ、ガルム、ミーシャが着席していた。


「状況を整理する」


 レイドが壁面に展開した魔導地図を指し示した。アルカディア・ノヴァを中心に、周辺の交易路が赤い線で描かれている。その線が、東側でことごとく途切れていた。


「王国の交易圏に属するすべての商人と村落に対し、我々との取引禁止令が出された。事実上の経済封鎖だ」


「食料はどうなりますか?」


 フィーネが真っ先に尋ねた。薬師として、住民の生命に直結する問題を最も懸念しているのだろう。


「自動農業システムのおかげで主食は賄える。水も結界内の循環で問題ない。だが——」


「鍛冶用の鉄鉱石、薬の原料になる希少薬草、建材の木材。これらは外部に依存していますわ」


 リリアーナが補足した。彼女は既に備蓄量を調べてきたらしく、手帳を開いた。


「現在の備蓄で鉄鉱石は二週間。薬草類は一月。木材に至っては、今進めている東区画の建設で一週間も保ちませんわ」


「まずいな」


 ガルムが腕を組んだ。


「住民の間にも、もう広まっている。朝から市場で不安がる声を聞いた。『やはり王国に逆らうべきではなかった』とな」


 沈黙が落ちた。


 レイドは円卓の面々を見回した。それぞれの表情に緊張が滲んでいるが、絶望はない。この仲間たちは、もっと厳しい局面を乗り越えてきた。


「打つ手がないわけじゃない。意見を聞かせてくれ」


「ミーシャの提案なのです!」


 ミーシャが勢いよく手を挙げた。


「古代アルカディア文明には『物質変換炉』という装置があったのです。理論上はマナを物質に変換できるのですよぅ。これがあれば鉄鉱石なんて——」


「理論上、な。再現に必要な魔導回路の設計図はあるのか?」


「……ないのです」


 ミーシャがしゅんと肩を落とした。


「長期的にはその研究も進めたい。だが今は即効性のある手が必要だ」


「レイド様」


 リリアーナが静かに口を開いた。先ほどまでの動揺は消え、交渉人としての鋭い目に変わっている。


「王国の交易圏の外に目を向けるべきですわ。具体的には——ドワーフ王国ドゥルガンとの直接交易を提案いたします」


 会議室がざわついた。


「ドゥルガンか」


 レイドは魔導地図に目を向けた。アルカディア・ノヴァから南西に、ドワーフの地底王国が位置している。鉱物資源の宝庫であり、鍛冶技術は大陸随一。鉄鉱石の供給元としてこれ以上の相手はいない。


「だが、ドゥルガンへの道は——」


「ファングリッジ山脈を越える必要がありますわ。魔獣の巣窟と呼ばれる山岳地帯ですの」


 ガルムが低く唸った。


「傭兵時代に何度か近づいたことがある。A級魔獣がうろつく危険地帯だ。通常の隊商では通れん」


「ですから護衛つきの使節団を編成する必要がありますわ」


 リリアーナは鞄から一枚の地図を取り出し、円卓に広げた。


 レイドはその地図を見て、目を細めた。


 山岳地帯の中に、赤い点線で間道が書き込まれていた。尾根筋を避け、谷間を縫うように描かれたルート。しかもドゥルガンの北門に直結している。


「リリアーナ。この間道は?」


「没落前のクレスティア家が、密かにドゥルガンと取引していた時の記録ですわ」


 彼女は少し気まずそうに視線を逸らした。


「正直に申しますと……この経済封鎖の可能性は、以前から想定しておりました。ヴァルター宰相の性格を考えれば、遅かれ早かれこうなると。ですから最初からこの地図を持参していましたの」


「最初から……」


 フィーネが驚いた声を上げた。


「用意周到ですわね、と笑ってくださって構いませんわ。商人は常に最悪を想定するものですもの」


 レイドは小さく息をついた。感嘆に近い吐息だった。


「笑わないさ。むしろ助かった。リリアーナ、この間道の安全性は?」


「クレスティア家の記録では、主要ルートより魔獣の遭遇率は格段に低いとされていますわ。ただし、百年以上前の情報ですの。現在の状況は確認が必要ですわ」


「団長」


 ガルムが身を乗り出した。


「自警団から精鋭を選抜すれば、使節団の護衛は可能だ。俺が直接率いる」


「ガルムさんが抜けたら都市の防衛が手薄になりますよ」


 フィーネが懸念を示した。


「その点は結界の防衛機能を一時的に強化すれば補えるだろう。ミーシャ、可能か?」


「もちろんなのです! ミーシャにかかればちょちょいのちょい、ですよぅ」


「よし。使節団の編成と間道の事前調査を並行して進めよう。リリアーナはドゥルガンへの交渉材料を準備してくれ。我々が提供できるもの——魔導技術の一部を取引品に含められないか検討したい」


「承知いたしましたわ。ドワーフは実利を重んじる種族ですの。こちらの魔導インフラ技術は、彼らの地底都市でも需要があるはずですわ」


 会議が具体的な行動計画に移り始めた矢先だった。


「——待ってくれ」


 ガルムが低い声で遮った。


 その声音に、部屋の空気が一変した。虎族の傭兵は普段から寡黙だが、今の声には明確な警戒の色があった。


「この封鎖、外だけの問題じゃないぞ」


 全員の視線がガルムに集まった。


「今朝、自警団の巡回班から報告が上がった。住民の一部に『王国に帰順すべきだ』と囁いて回っている人物がいる」


「……内部工作」


 レイドの声が、冷たく硬くなった。


 昨夜、探知網で検出した不自然な魔力反応。外部への通信波の痕跡。それらが一本の線で繋がった。


「経済封鎖で外から締め上げ、同時に内側から切り崩す。二正面作戦か」


「ヴァルター宰相の常套手段ですわ」


 リリアーナが唇を引き結んだ。


「宮廷でも同じ手法で何人もの貴族を失脚させていますの。外堀を埋めてから、内側の不満分子を焚きつける——」


 レイドは椅子の背に体を預け、天井を見上げた。


 この都市に集まった人々の顔が浮かぶ。迫害を逃れてきた獣人の家族。居場所をなくした職人たち。ここでようやく安息を得た者たちが、再び不安に晒されている。


「誰が煽動しているか、特定できているか」


「まだだ。ただ、東区画の新住民の間で広まっているらしい」


 東区画。最近受け入れた住民が多い地区だ。


「フィーネ。東区画の住民の様子に変わったことは?」


「……言われてみれば、ここ数日、薬を受け取りに来る人が減った気がします。以前は毎日顔を出していた方が何人か……」


 フィーネの表情が曇った。


「ガルム、監視は目立たないようにやってくれ。住民を疑っている素振りは見せるな。不安を煽るだけだ」


「わかっている」


 レイドは円卓に両手をつき、全員を見据えた。


「外の封鎖にはドゥルガン交易で対抗する。内の工作には——まず正体を突き止める。この都市は誰も見捨てない。だが、この都市を壊そうとする者には、毅然と対処する」


 会議が終わり、それぞれが持ち場へ散っていく。


 レイドは窓際に立ち、朝日に照らされる街並みを見下ろした。


 市場では住民たちが不安げに言葉を交わしている。結界の光は変わらず街を守っているが、その内側に潜む影は、結界では防げない。


「ご主人様」


 ミーシャが隣に立った。虹色の瞳が、珍しく真剣な光を帯びている。


「あの通信波の件、もう一度調べ直すのです。ミーシャ、気づいたことがあるのです」


「何だ?」


「あの通信波——受信先が王都じゃなかったのです。もっと近い。ずっと近い場所に、中継点があるのです」


 レイドの目が鋭く細まった。


 封鎖と工作。外と内からの挟撃。


 だがその糸を引く者は、想像よりもずっと近くにいるのかもしれない。

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