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大地を耕す魔法陣

 翌朝、レイドは農地の端に立っていた。


 昨夜のミーシャの報告は気がかりだったが、観測波はその後途絶えている。今すぐ対処すべき脅威ではないと判断し、レイドはもう一つの急務に意識を切り替えた。


 食料だ。


 アルカディア・ノヴァの人口は百五十を超えた。交易で穀物を仕入れてはいるが、輸送は不安定で、価格も安くない。自給率の向上は都市の存続に直結する問題だった。


「レイドさん、土壌サンプルの分析、終わりましたよ」


 フィーネが駆け寄ってくる。手には数本の試験管と、自作のメモ帳。


「どうだった」


「やっぱりマナ含有量は異常なほど高いです。でも窒素やリンといった養分は枯渇気味で……普通に耕しても、すぐには実りません」


「マナは豊富だが、土が痩せている。なら——」


 レイドは研究ノートを開き、昨夜描いた魔法陣の図面を広げた。


「マナを変換して、土壌に必要な養分を直接供給する。土そのものを作り変えるんだ」


 フィーネが目を丸くした。


「土を……作り変える?」


「万象構築魔術なら、分子レベルで物質の配列を記述できる。マナを触媒にして、不足している養分を合成すればいい」


「それ、規模はどのくらいを想定してるんですか」


「農地全面。約三ヘクタール」


「——正気ですか?」


 フィーネの声が裏返った。


 だが、レイドは本気だった。


 農地の四隅に基点石を埋設し、それを結ぶように魔法陣を地中に敷設する。魔力増幅炉からの供給を受けて常時稼働し、土壌の養分バランスを自動で最適化する仕組みだ。


 フィーネの植物魔法と組み合わせれば、作物の成長速度を通常の三倍にまで引き上げられる。理論上は。


「ミーシャ、魔力増幅炉の現在の出力余裕はどのくらいだ」


「えーっと……現状で定格出力の六十二パーセント使用中なのです。残り三十八パーセントが使えますよぅ」


「農業システムの消費は推定でどのくらいになる」


「ご主人様の設計だと……定格の二十パーセント前後、ですかね」


 余裕はある。ただし、ぎりぎりとも言える。


 レイドはノートに数字を書き留めた。炉の負荷は八十パーセントを超える。余裕を食い潰す形だ。


「まあ、当面は問題ない。先に進めよう」


 心の隅に引っかかるものを感じながら、レイドは基点石の加工に取りかかった。


 同じ頃、都市の東区画では別のプロジェクトが動いていた。


 魔力鍛冶炉の建造である。


「こりゃあ……大したもんだ」


 白髪の老人が、煉瓦を積み上げた炉の骨格を見上げて呟いた。


 トバル。難民の中にいた元鍛冶職人だ。日に焼けた肌に深い皺。両手は火傷の痕だらけだが、指先は驚くほど器用だった。


「団長が設計した炉の構造、見せてもらったが……正直、度肝を抜かれたよ」


 ガルムが腕を組んで隣に立つ。


「レイドの魔術は規格外だからな。で、あんたの目から見てどうなんだ」


「魔力を金属に浸透させる回路が組み込まれている。これがあれば、鍛造しながら同時に魔力を練り込める」


 トバルの目が輝いた。若者のような光だった。


「わしの師匠——ドワーフのボルグ親方が、よく言っていたんだ。『最高の鍛冶炉とは、金属と魔力が踊る場所だ』と。この炉は、まさにそれだよ」


「ドワーフに師事していたのか」


 レイドが農地から戻り、炉の様子を見に来ていた。


 トバルは頷いた。


「若い頃、ドゥルガンの入口にある交易町で五年間修業した。ボルグ親方は地底王国でも指折りの鍛冶師でな。人間のわしを弟子にとってくれた、変わり者だった」


「今でも繋がりはあるのか」


「……どうだろうな。二十年以上前の話だ。だが、親方は『腕のいい鍛冶師に種族は関係ない。いつでも戻ってこい』と言ってくれた」


 トバルはそう言って、少し寂しそうに笑った。


 レイドはその言葉を心に留めた。ドゥルガンとの繋がり。将来、交易の窓口になるかもしれない。


「さて、トバルさん。炉の中核部分だが、鍛冶師の視点から改良点はあるか」


「ああ、いくつかな。まず送風口の角度だが——」


 トバルは迷いなく指摘を始めた。炉内の空気の流れ、温度の分布、金属への魔力浸透の最適なタイミング。どれも実践に裏打ちされた知識だった。


 レイドは感心しながら魔法陣を修正していく。理論と実践の融合。これこそが万象構築魔術の真価だ。


 三日後。


 魔力鍛冶炉が完成した。


「いくぞ、トバルさん」


「ああ」


 炉に火が入る。通常の炎ではない。魔力を帯びた蒼い炎が、炉の中で渦を巻いた。


 トバルが鉄塊を炉に入れ、鎚を振るう。一打ごとに魔法陣が淡く脈動し、魔力が金属に染み込んでいく。


「——素晴らしい」


 トバルの声が震えた。


「金属が応えている。魔力を受け入れて、自ら形を求めている。こんな鍛冶は初めてだ」


 完成した鍬は、通常の鉄の鍬より軽く、しかも頑丈だった。刃先には薄く魔力の光沢が走っている。


「これなら魔力を帯びた高品質な農具を量産できる。辺境の硬い土でも楽に耕せるだろう」


「……ありがてぇ」


 トバルが鍬を撫でた。老鍛冶師の目に光るものがあった。


「こんな理想的な鍛冶場は——生まれて初めてだ」


 一方、農地では自動農業システムが稼働を始めていた。


 基点石から伸びた魔法陣の網が、三ヘクタールの農地を覆っている。土壌の養分データがリアルタイムで分析され、不足した成分が魔力変換で補給される。


 フィーネが植物魔法を重ねると、種を蒔いてわずか数日で青々とした芽が顔を出した。


「嘘でしょう……」


 フィーネ自身が驚いていた。


「種蒔きから三日で、もうここまで育つなんて。王都の農民が知ったら卒倒しますよ」


「フィーネの植物魔法あってこその結果だ。魔法陣だけじゃここまで早くはならない」


「もう、褒めても何も出ませんよ?」


 フィーネは照れたように耳を隠す髪をいじった。


 住民たちの反応は劇的だった。


 魔力を帯びた農具で土を耕し、自動で養分が最適化される畑に作物を植える。かつての荒野とは思えない光景に、あちこちから声が上がった。


「ここは本当に辺境なのか?」


「王都より暮らしやすいんじゃないか」


 ガルムが夕食の席でレイドに報告した。


「住民の士気は高い。だが、それだけに目立ち始めているぞ」


「分かっている」


 レイドは食事の手を止めた。


「成長すれば外部からの注目を集める。防衛力の強化が急務だ」


 その夜、レイドは工房で研究ノートを広げた。


 ミーシャが横で浮遊しながら、炉の稼働データを読み上げる。


「ご主人様、気になることがあるのです」


「なんだ」


「自動農業システムの魔力消費量が、当初の推定を上回っているのですよぅ。稼働初日は定格の十九パーセントだったのに、三日目で二十三パーセントまで上がっているのです」


 レイドのペンが止まった。


「土壌面積は変わっていないのにか」


「はい。原因は調査中ですけど……このペースだと、魔力増幅炉の負荷が定格の九十パーセントを超える日も遠くないかもしれないのです」


「……そうか」


 レイドはノートに書き込んだ。


 『課題:成長しすぎると外部からの注目を集める。防衛力の強化が急務』


 そしてその下に、もう一行。


 『魔力増幅炉の負荷増大——対策を講じなければ、都市の基盤そのものが揺らぐ』


 ペンを置き、窓の外を見る。


 農地には、月明かりの下で魔法陣の淡い光が脈打っていた。美しい光景だ。だが、あの光の一つ一つが炉の余力を削っている。


 ——そして、遥か東。王都クレスティア。


 宰相執務室の燭台が、羊皮紙の束を照らしていた。


「ほう」


 ヴァルター・ゼーリヒは、机上に広げられた報告書に目を落とした。


 密偵からの第一報。


 『辺境ブランフェルト荒野、異常なマナ活性化。推定人口百五十超。インフラ水準は地方都市を凌駕。水道・通信・防壁を完備。統治者は追放魔術師レイド・アシュフォード』


 宰相の目が、鋭く細められた。


「あの役立たずが——たかが数ヶ月で、ここまでやったというのか」


 報告書を閉じる音が、静まり返った執務室に響いた。


「……面白い。だが、余の目の届かぬ場所で勝手に国を作られては困るのだよ」


 ヴァルターの指が、卓上の地図——辺境を示す一点を、静かに叩いた。

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