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封じられた宝の山

 三日間、馬車は揺れ続けた。


 王都を出てからというもの、窓の外の景色は緩やかに荒廃していった。豊かな緑の平野が、やがて枯れた草地に変わり、そしてついには赤茶けた岩と砂塵の広がる大地が視界を埋め尽くした。


 ブランフェルト荒野。


 千年前の大戦で滅んだ古代魔導文明アルカディアの跡地にして、クレスティア王国が「不毛の辺境」と呼んで見向きもしない土地だ。


 馬車が大きく跳ねて止まった。御者台から護衛兵の隊長が降り立ち、荷台の扉を開ける。


「ここまでだ、アシュフォード」


 護衛兵隊長のグレンは、日に焼けた顔を渋い表情に歪めた。四十代半ばの歴戦の兵士で、三日間の道中、レイドに対して必要以上に冷たくも温かくもなく、ただ職務として淡々と接してきた男だった。


「ここから先は我々も立ち入れない。宰相閣下の命令では、荒野の中心部に居を定めよ、とのことだ」


「中心部か。ずいぶんと親切な追放だな」


 レイドは苦笑しながら馬車を降りた。三日間の揺れで凝り固まった体を伸ばすと、乾いた風が銀灰色の髪を攫っていく。


 眼前に広がるのは、果てしない荒野だった。ひび割れた大地が地平線まで続き、所々に突き出た岩柱が墓標のように並んでいる。空気には淡い瘴気が混じり、鼻の奥がかすかに痺れた。


 しかし、レイドの注意を引いたのは目に見える風景ではなかった。


 足の裏に、微かな振動を感じる。


 いや、振動ではない。脈動だ。大地の深部で、何かが息づいている。


「……マナか」


 思わず呟いた声に、グレンが怪訝な顔を向けた。


「何か言ったか?」


「いや、なんでもない。それより隊長、補給品の確認をしたい。水と食料は何日分ある?」


 グレンは部下に命じ、木箱を二つ降ろさせた。開けてみれば、干し肉と乾パン、水袋が数個。どう見ても一週間分がいいところだ。


「少ないな」


「宰相閣下の命令だ。『追放者に過剰な便宜を図る必要はない』とな」


 グレンはそう言いながらも、自分の背嚢から水袋をもう一つ取り出し、無言でレイドに差し出した。


「……いいのか」


「余りだ。捨てるよりましだろう」


 それは明らかな嘘だった。兵士が任務中に水を余らせるはずがない。レイドは黙って受け取った。


 部下たちが馬車に戻り始める中、グレンだけが動かなかった。荒野を一度見渡し、それからレイドの目を真っ直ぐに見つめた。


「アシュフォード。本当に、ここで良いのか」


 それは命令書にはない、一人の男としての問いかけだった。


「宮廷に嘆願すれば、まだ——」


「隊長」


 レイドは穏やかに遮った。


「あの宮廷に戻ったところで、俺の魔術は『役立たず』のままだ。それなら——」


 荒野を見渡す。風が砂を巻き上げ、視界を白く染める。常人なら絶望しか見えない光景だ。


 だがレイドの瞳には、別のものが映っていた。


「——ここで好き勝手やらせてもらう方が、よほど楽しそうだ」


 グレンは数秒の間、レイドの顔を見つめていた。それから、ふっと表情を緩めた。


「変わった男だな、お前は」


「よく言われる」


「……達者でな」


 グレンは踵を返し、馬車に乗り込んだ。車輪が軋み、砂埃を上げながら馬車が遠ざかっていく。やがて地平線の向こうに消え、レイドは完全に一人になった。


 風の音だけが荒野に響く。


 静寂。


 そして——レイドは研究ノートを取り出した。


「さて、始めるか」


 右手を地面に押し当て、魔力を流し込む。万象構築魔術の基本——対象の構造を魔術式として読み取る〈解析〉だ。


 意識が地中に沈んでいく感覚がある。表層の乾いた�ite土、その下の岩盤層、さらにその下の——


「っ!」


 レイドは思わず目を見開いた。


 地下深くに、想像を遥かに超えるマナの奔流があった。大気中のマナとは比較にならない密度と純度。まるで大地そのものが巨大な魔力の貯蔵庫になっているかのようだ。


「これは……おかしい。通常の地脈じゃない」


 研究ノートを開き、猛烈な勢いで数値を書き込んでいく。


「マナ密度、王都の約十七倍。いや、深部はさらに濃い。二十倍以上か? つまりこの魔術式の変換効率を前提にすれば——待て、そもそもこれだけの高密度マナが自然に生じるはずがない。人工的な集積……? だとすれば、千年前のアルカディアが——」


 独り言が止まらなくなる。レイドの悪い癖だった。


 我に返ったのは、日が傾き始めた頃だった。気づけば研究ノートは三ページも埋まっている。


「……まずい。野営の準備もしていない」


 慌てて立ち上がり、周囲を改めて見渡す。すると、奇妙なことに気がついた。


 荒野全体を薄く覆う瘴気が、北東方向の一帯だけ明らかに薄い。自然現象では説明がつかない、不自然なほど明確な境界線があった。


「結界……? まだ生きているのか」


 古代遺跡の防御機構が、千年の時を経てなお機能している。その可能性にレイドの心臓が高鳴った。


 だが、探索は明日だ。今は生き延びることが先決だった。


 万象構築魔術で地面の岩盤を再構成し、簡易な石壁を三方に立ち上げる。風除けと瘴気の遮断を兼ねた野営地だ。さらに地中から掘り出した石を組み合わせて竈を作り、枯れた灌木の残骸を集めて火を起こした。


 パチパチと薪が爆ぜる音が、荒野の静寂に染み渡る。


 夜空を見上げれば、王都では見えなかった星々が信じられないほど鮮明に輝いていた。大気中のマナが高い地域では、星の光が増幅されるという論文を読んだことがある。それが今、目の前で証明されている。


「千年前の呪いの土地? 違う」


 レイドは干し肉を齧りながら、研究ノートの数値を見返した。口元に、抑えきれない笑みが浮かぶ。


「これは——封じられた宝の山だ」


 魔術研究者として、これほど心躍る環境はない。高密度のマナ、古代文明の遺構、未知の魔術体系の痕跡。追放という名目でなければ、むしろ金を払ってでも来たい場所だ。


 もし、このマナを制御できれば。


 水路を引き、土壌を再生し、建物を建て——この不毛の荒野を、人が住める土地に変えられるかもしれない。万象構築魔術なら、それが可能だ。宮廷の連中が「役立たず」と嗤った魔術で。


「見てろよ、ヴァルター」


 呟きは、風に溶けた。


 焚き火の炎が揺れる。星明かりの下、レイドは研究ノートに新たなページを開いた。「ブランフェルト再生計画——第一稿」と書き付ける。


 その時だった。


 ——ガサリ。


 焚き火の向こう、闇に沈んだ荒野の茂みから、微かな物音がした。


 レイドの手が止まる。研究ノートを閉じ、静かに腰を上げた。瘴気に紛れて気配を感じ取りにくいが、確かに何かがいる。獣か、魔物か。


 右手に淡い魔力を灯し、闇の方角に向ける。


「誰かいるのか」


 返事はない。だが気配は消えなかった。むしろ、怯えたように震えている。


 魔力の光が茂みの奥を照らした瞬間、レイドは息を呑んだ。


 枯れた灌木の陰に、一人の少女がうずくまっていた。


 ボロボロの外套を纏い、泥と埃にまみれた姿。碧い瞳が焚き火の光を反射して、怯えた獣のように揺れている。そして——風になびく金色の髪の隙間から、わずかに覗く長い耳。


 人間のものではない、その耳。


 少女は声もなく、ただレイドを見つめていた。

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