都市の名前
朝靄が晴れると、ブランフェルトの風景は数週間前とは一変していた。
荒野の中心に整然と並ぶ簡易住居。その間を縫うように走る水路。そして、百を超える人々が行き交う光景。
レイドは高台に立ち、眼下の集落を見渡していた。
「……さすがに限界だな」
呟きとともに、研究ノートを開く。住居配置図の余白には赤い書き込みが溢れていた。
人口が百名を超えた。最初に構築した簡易住居は六十人分。仮設のテントで凌いでいるが、これからの季節、夜間の冷え込みは厳しくなる一方だ。
「団長、新しい連中の割り振り、まとまったぞ」
ガルムが石段を上がってきた。虎族の巨躯が朝日を背負う。その手には走り書きの名簿があった。
「南部集落から来た職人が三人。石工が二人に、大工が一人だ。それと、農夫が五家族。こいつらは即戦力になる」
「ありがたい。農地の拡張は急務だからな」
レイドは名簿を受け取り、目を通した。百名分の名前と種族、特技が記されている。人間、獣人、ハーフエルフ——多種族がここまで集まるとは、追放された日には想像もしなかった。
「それと——気になることがある」
ガルムの声が低くなった。
「昨日着いた難民の中に、妙な男がいる。三十前後の人間で、名はドルクと名乗った。他の難民と違って荷物が少ない。それなのに体つきは鍛えられている」
「元兵士か?」
「いや、兵士ならもっと隠し方が下手だ。あの男は——周囲を観察している。まるで地形を記録するように」
レイドは眉をひそめた。だが今は証拠がない。
「注意は必要だが、疑いだけで排除はしない。ガルム、自警団の巡回ルートにあの男の居場所を含めておいてくれ」
「了解だ」
ガルムは頷き、石段を降りていった。その足取りに迷いはない。自警団はすでに二十名を超え、彼の統率のもとで日夜交代の巡回体制を敷いていた。
§
診療所と呼ぶにはまだ簡素だが、フィーネの開いた治療所には朝から行列ができていた。
「はい、これで大丈夫ですよ。薬草を煎じて一日三回、食後に飲んでくださいね」
獣人の子供に薬包を渡し、フィーネは額の汗を拭った。
「フィーネ、少しいいか」
レイドが顔を出すと、フィーネは待合の患者たちに「少しだけ失礼します」と断って外に出た。
「百人を超えて、結界と浄水設備の状態はどう見える?」
「それなんですけど——正直、驚いています」
フィーネは集落の中央に設置された浄水装置を指さした。
「人数が倍以上に増えたのに、水質が全く落ちていないんです。普通の浄水魔法なら、とっくに処理能力を超えているはずなのに」
「万象構築魔術で組んだ浄化式は、マナの流入量に応じて自動で処理規模を調整する。この土地のマナ湧出量なら、千人規模でも理論上は——」
「あ、また始まった」
フィーネが苦笑する。レイドは我に返り、咳払いした。
「……つまり、当面は問題ない」
「それは頼もしいですね。でも食料は別問題ですよ? 魔導農法の収穫だけじゃ百人は養えません」
「分かっている。だからこそ、次の手を打つ」
レイドは研究ノートの新しいページを開いた。そこには集落の全体図——いや、それを大きく超える設計図が描かれていた。
§
その日の夕刻、集落の広場に全住民が集められた。
中央の台座にはレイドとミーシャが立ち、背後の壁面にはミーシャの光魔法で設計図が投影されていた。
「みんなに集まってもらったのは、この集落の未来について話し合いたいからだ」
レイドの声が広場に響く。百を超える視線が一斉に注がれた。
「俺たちはここに集落を作った。だが、もう集落では収まらない。食料、住居、防衛——すべてが限界に近い」
ざわめきが広がる。不安の色を浮かべる者もいた。
「だから、ここを都市にする」
沈黙。そして、どよめき。
「ミーシャ、説明を頼む」
「はいなのです!」
ミーシャが弾むように前に出た。光の投影が切り替わり、精緻な都市設計図が浮かび上がる。
「これは古代アルカディア文明の都市設計図を参照した、アルカディア式都市計画なのです。居住区、商業区、農業区、工房区を環状に配置して、中心にマナの循環炉を置くのですよぅ」
住民たちは目を見開いた。光で描かれた都市の姿は、荒野の集落からは想像もつかない壮大さだった。
「ただし——」
ミーシャの表情が珍しく真剣になった。
「設計図には『七つの柱』と呼ばれる防衛機構の記述があるのです。古代都市の守りの要だったらしいのですが……この部分、損傷がひどくて詳細が読めないのですよぅ」
「七つの柱?」
ガルムが腕を組んだ。
「防衛機構なら最優先で解読すべきだろう」
「もちろんだ。だが今は都市建設の基盤が先だ」
レイドは設計図の地下部分を指した。
「ミーシャの情報では、遺跡の未探索区画に大規模な魔力増幅装置がある。これが起動できれば、都市全体のインフラを一気に稼働させられる」
「石工と大工は俺が取りまとめる」
新しく加わった難民の中から、日焼けした壮年の男が手を挙げた。周囲の職人たちも頷く。
「農地の拡張なら任せてくれ。この土壌——いや、この魔導農法、うちの村にもあれば飢えずに済んだのに」
農夫の一人が悔しそうに、しかし希望を込めて言った。
リリアーナが一歩前に出た。
「外部との交易路の確保と資材調達はわたくしが担当しますわ。近隣の町との交渉は、すでに下地を作ってありますの」
一人、また一人と、役割を申し出る声が上がった。
レイドは広場を見渡した。種族も出自も違う者たちが、同じ方向を向いている。
§
会議が終わり、人々が散り始めた頃。
フィーネがレイドの隣に来た。
「レイドさん」
「ん?」
「この場所に、名前をつけませんか」
レイドは振り返った。フィーネの碧い瞳が、沈む夕日に照らされて琥珀色に輝いていた。
「集落とか、拠点とか——そういう呼び方じゃなくて。ちゃんとした名前。ここに暮らす人たちの、帰る場所の名前」
「……そうだな」
レイドは広場を見渡した。焚き火の周りで語り合う獣人の家族。水路の傍で遊ぶ子供たち。工房の明かりの下で図面を広げる職人たち。
「みんなで決めよう」
翌日、簡易な投票が行われた。
候補はいくつも挙がった。「新天地」「自由の砦」「虹の都」——だがミーシャが提案した一つの名前に、票が集中した。
「『アルカディア・ノヴァ』なのです。かつてここにあった文明の名を継いで、でも新しく始めるという意味を込めて——」
圧倒的多数で決まった。
レイドは集落の入り口に、万象構築魔術で石碑を立てた。滑らかな白石の表面に、文字が刻まれる。
——アルカディア・ノヴァ。すべての種族に開かれた都市。
住民たちが歓声を上げた。フィーネが目を潤ませ、ガルムが静かに頷き、リリアーナが「素敵な名前ですわ」と微笑んだ。
ミーシャだけが、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「ミーシャ?」
「……なんでもないのです。ただ、昔のアルカディアも、最初はこうだったのかなって」
その言葉の奥に何があるのか、レイドにはまだ分からなかった。
§
その夜。
レイドは地下遺跡への入り口で、探索の準備を進めていた。
明日から未探索区画への本格的な調査が始まる。都市建設の命運を握る魔力増幅装置。その存在を確かめなければならない。
ミーシャが目を閉じ、遺跡の奥へと意識を伸ばした。人工精霊としての感覚が、地下深くのマナの流れを辿る。
「——あ」
ミーシャの虹色の瞳が大きく見開かれた。
「ご主人様、これ——反応があるのです。遺跡の最深部、第七層。古代の魔力増幅炉が……まだ生きている」
「生きている? 千年前の装置がか?」
「ただの装置じゃないのです。これはアルカディア文明の心臓部——都市の全機能を司っていた中枢炉なのですよぅ」
ミーシャの声が震えていた。興奮か、それとも恐怖か。
「マナの脈動パターンから推測すると、炉の出力は——この集落の現在の魔力消費量の、百倍以上」
レイドの手が止まった。
百倍。それだけの出力があれば、都市計画のすべてが実現できる。結界も、インフラも、農地の拡張も。
だが同時に、それほどの力が千年間眠っていた理由を考えずにはいられなかった。
「明日、最深部に向かう。ガルムにも——」
言いかけた瞬間、地面がかすかに振動した。
地下深くから、心臓の鼓動のような、低く重い脈動が伝わってくる。
まるで目覚めを待っていたかのように——古代の炉が、鳴動を始めていた。




