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祭りの夜と遠い嵐

 ——王都クレスティア。王国魔術師団本部、観測塔。


 薄暗い石造りの部屋で、若い魔術師が観測水晶を凝視していた。


 水晶の内部に浮かぶ大陸の地図。その上を、マナの流れが色鮮やかな光の線となって走っている。


 だが一点だけ、異常があった。


 大陸西端——ブランフェルト荒野。かつて「死の荒野」として記録から抹消された土地に、目を疑うほどの光が灯っている。


「……また反応が強くなっている」


 観測員のエルツは、震える手で数値を書き留めた。マナ活動指数、四七二〇。都市級の数値だ。王都でさえ五〇〇〇前後であることを考えれば、あの不毛の荒野から出る値としては異常という他ない。


「班長、報告書を上げたいのですが」


「またか。先月も握り潰されただろう」


 白髪交じりの班長が面倒そうに振り返った。


「荒野のマナ反応なんぞ、地下遺跡の残存マナが季節変動で揺らいでいるだけだ。上はそう判断した」


「ですが、この変動パターンは自然現象ではありません。明らかに人為的な——魔術インフラの稼働を示しています」


 班長の目が一瞬だけ鋭くなった。しかしすぐに首を振る。


「あの荒野に人は住めん。報告書は受理するが、期待するな」


 エルツの報告書は、予想通り上層部の書棚に埋もれた。


 ただし——一通の写しが、ある人物の執務室に届くまでは。


 宰相ヴァルター・ゼーリヒは、報告書の数値を二度読み返した。


「ブランフェルト荒野、マナ活動指数四七二〇。人為的パターン」


 灰色の瞳が細まる。


 あの荒野に追放した男が一人いた。名前を読み上げるまでもない。


「……あの役立たずが、まだ生きていたか」


 冷笑が唇に浮かんだ。万象構築魔術——戦場では何の役にも立たない曲芸。あんなものを操る男が荒野で生き延びているとは、多少の幸運には恵まれたらしい。


 だが。


 ヴァルターはもう一度、数値に目を落とした。


 四七二〇。


 冷笑が消えた。


「……都市級、だと?」


 椅子の肘掛けを握る指に力がこもる。


 一人の追放された魔術師が、わずか数ヶ月でこの規模のマナ活動を生み出している。しかもあの荒野で。仮に古代遺跡のマナ源を掘り当てたのだとすれば——。


「カイン」


 影のように控えていた男が、音もなく前に出た。黒衣に身を包んだ痩身の中年。諜報局の筆頭官。


「荒野に密偵を送れ。最低五名。あの男が何をしているか、すべて洗い出すのだ」


「御意」


「それから——」


 ヴァルターの声が一段と低くなった。


「仮に脅威と判断した場合は、余の裁可を待たず排除してよい。追放された罪人が荒野で不穏な活動をしている。それだけで十分な大義名分であるな」


 カインは無表情のまま一礼し、闇に溶けるように退出した。


 一人残されたヴァルターは、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろした。


「駒は駒らしく、消えておればよいものを」


 呟きは、氷のように冷たかった。



 §



 同じ頃、ブランフェルト荒野では——笑い声が夜空に響いていた。


「ガルムさん、もう三杯目ですよ!」


「うるせえ、祭りだろうが。飲まねえ方がおかしい」


 集落の中央広場に篝火が焚かれ、長テーブルに各種族の料理が所狭しと並んでいた。


 獣人たちが持ち込んだ香辛料たっぷりの串焼き。エルフの技法で仕込んだ薬草茶。人間の職人が焼いた素朴なパン。ドワーフの流民が密かに醸していた地酒まである。


 辺境の集落が産声を上げてから初めての——収穫祭だった。


 レイドはテーブルの端に腰を下ろし、その光景を眺めていた。


 つい数ヶ月前まで、草一本生えない荒野だった場所だ。今は百を超える人々が暮らし、子供たちが駆け回り、異なる種族が同じ食卓を囲んでいる。


「はい、レイドさん」


 フィーネが木の器を差し出した。琥珀色の液体から、甘い果実の香りが立ち上る。


「これ、魔導農場で採れた果実で作ったんです。ミーシャが発酵の魔法陣を組んでくれて」


「果実酒か。……いい香りだな」


 一口含むと、穏やかな甘みが広がった。


 フィーネがレイドの隣に座る。篝火の明かりが金髪を淡く照らし、普段は髪で隠している長い耳の先がわずかに覗いていた。


「賑やかですね」


「ああ」


「……こんなに色んな種族が一緒にご飯を食べてるの、私、初めて見ました」


 フィーネの声がかすかに震えた。ハーフエルフとして、人間にもエルフにも居場所がなかった彼女にとって、この光景がどれほどの意味を持つか。レイドには分かっていた。


「ここは、いい場所になる」


 空を見上げながら呟いた。星が綺麗だった。荒野の空気は澄んでいて、王都では見えない星まで見える。


「なりますよ、きっと」


 フィーネが静かに微笑んだ。


 広場の向こうでは、ガルムが獣人の子供を肩車して歩いている。普段の寡黙さが嘘のように、豪快に笑っていた。リリアーナは商人の流民たちと何やら熱心に話し込んでいる。交易路の話だろう。祭りの最中でも商機を逃さないあたりが彼女らしい。


「団長」


 ガルムが酒瓶を片手に近づいてきた。


「いい夜だ」


「ああ、そうだな」


「だが——」


 ガルムの声が低くなる。


「昨日のリリアーナの報告、忘れたわけじゃないだろう」


 王都からの悪意ある噂。ヴァルターの影。


 レイドは果実酒の器を膝の上に置いた。


「忘れてないさ。だからこそ、今夜は皆に笑っていてほしい」


「……ふん。お前らしい」


 ガルムは鼻を鳴らしたが、その口元には笑みがあった。


 祭りは深夜まで続いた。子供たちが眠りにつき、大人たちも酔いに身を任せ始めた頃——。


 レイドは広場の外れに立つ小さな影に気づいた。


 ミーシャだった。


 銀髪の人工精霊は、東の空をじっと見つめていた。虹色の瞳に篝火の光が映り、普段の無邪気さは欠片もない。


「ミーシャ?」


「……ご主人様」


 振り返ったミーシャの顔は、出会って以来見たことのない真剣さをたたえていた。


「嵐が来るのです」


「嵐? 天候か?」


「違うのです。もっと大きくて、冷たいもの。ミーシャの感覚器——古代語でいうマナ・センサリウムが警告を出しているのです」


 東の空は澄み渡っている。雲一つない星空だ。


 だがミーシャは、目に見えない何かを確かに感じ取っていた。


「複数のマナ反応が、この荒野に向かって移動しているのです。一つは東から。もう一つは——南東から」


 レイドの目が鋭くなった。


 東は王都の方角。南東は——商業都市ヘルムガルドがある。


「数は?」


「東の集団は五から七。訓練されたマナ遮蔽を使っていますけど、ミーシャの目は誤魔化せないのですよぅ。南東の集団はもっと多いのです。十以上。でもこっちは隠れる気がないみたい」


 レイドは東の空を見つめた。


 マナ遮蔽を使う集団。それは一般の旅人ではありえない。訓練された工作員——密偵だ。


 ヴァルター。動き出したか。


「……ミーシャ、この情報はまだ誰にも言うな」


「なのです?」


「今夜は祭りだ。皆の笑顔を、もう少しだけ守りたい」


 ミーシャは小さく頷いた。


 レイドは広場に目を戻した。篝火の周りで、まだ数人が笑い合っている。フィーネが眠そうな子供に毛布をかけ、ガルムが妻と肩を並べて星を見上げている。


 守るべきものが、ここにある。


 レイドは研究ノートを取り出し、結界の強化案を書き始めた。



 §



 翌朝の街道を、二つの集団が荒野に向かって進んでいた。


 東からの一団は、目立たない商人風の馬車。だがその荷台には武器が隠され、御者台に座る黒衣の男——諜報筆頭官カインの目は、獲物を追う猛禽のそれだった。


 そして南東から近づくもう一つの馬車列。


 先頭の馬車に掲げられた旗には、天秤と鍵を組み合わせた紋章が描かれていた。


 ——商業ギルド本部の紋章。


 二つの嵐が、静かに、確実に、荒野へと近づいていた。

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