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芽吹きの兆し

 宰相府からの書状は、簡潔だった。


 ——辺境領ブランフェルトにおける無許可の開拓行為について、速やかに報告書を提出せよ。


 レイドは書状を折り畳み、上着の内ポケットに仕舞った。


「どうなさいますの?」


 リリアーナが不安げに問う。


「放っておく」


「……は?」


「報告書を出したところで、向こうの目的は開拓の妨害だ。返事をすれば付け入る隙を与えるだけだろう。無視が最善だ」


 リリアーナは一瞬呆気に取られ、それから小さく笑った。


「大胆ですわね。——ですが、理に適っていますわ」


「それより今は、やるべきことが山ほどある」


 レイドは広場を見渡した。


 朝もやの中、集落はすでに動き始めていた。


 あの宣言から五日が経っていた。


 種族間の壁が消えたわけではない。食事の席で人間と獣人が離れて座ることもあるし、矮人たちは相変わらず自分たちだけで固まりがちだ。


 だが、変化は確かにあった。


「おい、そっちの杭をもう少し深く打ち込んでくれ」


 ガルムの低い声が響く。


 広場の北側で、彼は自警団の詰所を建設していた。といっても、丸太を組み合わせた簡素な小屋だ。その周囲で、獣人の若者と人間の男が並んで杭を打っている。


「ガルム団長、パトロールの巡回路はこれでいいですか」


 人間の元農夫が手書きの地図を差し出す。ガルムは腕を組んで地図を睨み、太い指で一点を示した。


「ここの丘陵地帯が死角になる。獣人の嗅覚が利く二名をこちらに回せ」


「了解です」


 何の躊躇もなく頷く元農夫。ほんの数日前まで獣人を遠巻きにしていた男だった。


 共に汗を流すというのは、言葉より雄弁な対話なのだろう。レイドは内心でそう思いながら、集落の南側へ足を向けた。


 鍛冶場から金属を打つ音が聞こえる。


 レイドが万象構築魔術で築いた簡易鍛冶場——炉と鞴、金床を魔術式で最適配置した作業場で、矮人のドルンが汗だくで鉄を打っていた。


「よう、魔術師殿」


「調子はどうだ、ドルン」


「最高だ。この炉は温度の安定性が段違いだぞ。魔力で制御してるんだろう? 矮人の本国でもここまでの精度は出せん」


 ドルンが鉄を水に浸す。ジュッと蒸気が立ち上り、その中から現れたのは一本の鋤だった。刃先の曲線が美しい。荒野の硬い土壌を想定した、実用一辺倒の設計だ。


「師匠、次は俺にもやらせてください!」


 鍛冶場の隅で、人間の少年が目を輝かせていた。名前はトビー。難民の一人で、まだ十五になったばかりだ。


 ドルンが鼻を鳴らした。


「矮人の鍛冶をやりたいだと? 百年早い」


「でも、さっき鉄の叩き方を教えてくれたじゃないですか」


「……あれは暇だったからだ。深い意味はない」


 口ではそう言いつつ、ドルンの口元は緩んでいる。レイドは口を挟まず、その光景を目に焼き付けた。


 こういう小さな繋がりが、共同体の礎になる。


 診療所はさらに賑わっていた。


 フィーネが天幕の下で忙しく動き回っている。彼女の前には長い列ができており、人間も獣人も矮人も関係なく順番を待っていた。


「はい、これを一日三回、食後に煎じて飲んでくださいね」


「フィーネ先生、うちの子の咳が——」


「大丈夫ですよ、乾燥した空気のせいです。薬草を蒸して吸入すれば楽になります」


 フィーネの手つきは的確で、患者への声かけも温かい。忙殺されているはずなのに、その表情はこれまでで一番生き生きしていた。


「……あの人、すっかり『先生』だな」


 レイドが呟くと、傍らのミーシャが得意げに胸を張った。


「フィーネお姉ちゃんの薬草知識は、古代アルカディアの薬学体系と親和性が高いのです。ミーシャが少しだけ古代の処方を教えてあげたのですよぅ」


「少しだけ、か」


「えへへ。ちょっとだけ、古代の解毒法と鎮痛術のエッセンスを——」


「ミーシャ」


「……ほんのちょっとなのです」


 レイドは苦笑した。ミーシャの「ちょっと」は大抵、現代の常識を覆すレベルの知識だ。だが、それが人々の役に立っているなら悪いことではない。


 実際、ミーシャは住民たちにも懐かれ始めていた。子供たちが「ミーシャお姉ちゃん」と呼んで周囲にまとわりつき、彼女も満更ではない様子で古代の童話を聞かせている。千年の孤独を過ごした人工精霊にとって、それがどれほど救いになっているか——レイドには想像がつく。


 午後、レイドは集落の東端にある空き地に一人で向かった。


 研究ノートを開き、地面に魔術式を描き始める。


「マナの循環経路を植物の根系に同調させて、成長サイクルを加速する。理論上は可能なはずだ」


 独り言が漏れる。万象構築魔術の応用——大地のマナを植物が吸収しやすい波長に変換し、成長を促進する魔法陣。


「この地はマナの湧出量が桁違いだからな。うまくいけば——いや待て、マナの過剰供給で植物が変異する可能性も考慮しないと——」


 レイドの手が止まらない。魔術式の図形がノートの紙面を埋め尽くし、それを地面に転写していく。三重の円環、マナの流路を示す幾何学模様、植物の生命力に干渉するルーン文字。


 試作品が完成したのは日が傾き始めた頃だった。


 直径三メートルほどの魔法陣の中央に、フィーネからもらった薬草の種を蒔く。


「起動」


 魔法陣が淡い緑の光を放った。マナが地中から吸い上げられ、種を包み込む。


 数分後——土を割って、小さな芽が顔を出した。


「……成功だ。だがこの規模では、集落全体の食料をまかなうには程遠いな」


 一つの芽を生やすのに、これだけの魔術式が必要になる。規模の拡大には根本的な設計の見直しが要る。


 だが、原理は証明された。あとは効率の問題だ。


「ご主人様、またご飯を食べ忘れていますね」


 ミーシャが呆れた顔で水袋を差し出した。


「ミーシャが計算したところ、この魔法陣を農地規模に展開するには、古代のマナ循環炉の技術を応用すれば——」


「詳しく聞かせてくれ」


「まずご飯を食べてからなのです」


 レイドは観念して水袋を受け取った。


 その夜。


 集落の中央にある作業小屋で、レイドは帳簿と格闘するリリアーナと向かい合っていた。


 ランプの灯りが二人の顔を照らす。


「集落の現状をまとめましたわ」


 リリアーナが几帳面な字で埋められた帳簿を開いた。


「住民数は現在七十三名。五日前から十二名増えていますの。内訳は人間が四十一、獣人が二十、矮人が十一、ハーフエルフが一名」


「増加が早いな」


「ええ。周辺の難民集落から、ここの噂を聞きつけて流れてくる者が後を絶ちませんの。浄水設備と診療所がある、種族差別がない——それだけで、彼らには希望になるのですわ」


 リリアーナの目が帳簿の別のページに移った。


 その表情が、わずかに曇る。


「……ですが、問題がありますわ」


「聞こう」


「物資の消費量が、人口の増加に追いついておりません」


 リリアーナの指が数字の列を辿る。穀物の備蓄量、一日あたりの消費量、入荷の見込み。彼女の計算は精緻だった。商家で培った才能が、ここで遺憾なく発揮されている。


 だからこそ、その結論は容赦がない。


「レイド様」


 リリアーナが帳簿から顔を上げた。翡翠色の瞳が、まっすぐにレイドを見据える。


「現在の人口増加ペースと物資消費量から計算しますと——あと二週間で食料が底をつきますわ」


 ランプの炎が揺れた。


 レイドの脳裏に、昼間の小さな芽が浮かぶ。


 あの魔法陣を、二週間以内に農地規模まで拡大しなければならない。


「——やるべきことが、また増えたな」


 静かに呟いて、レイドは研究ノートを開いた。

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