帰還の朝、居場所の答え
戦いが終わって三日が経った。
連合軍の本隊がアルカディア・ノヴァの城門をくぐったのは、朝靄がまだ街路に漂う早朝のことだった。先頭を歩くガルムの巨躯には新たな傷跡が幾筋も刻まれていたが、その足取りに疲れはない。背後に続く兵士たちの表情は一様に疲弊していたが、街の住民たちが沿道に並んで迎える姿を見て、誰もが背筋を伸ばした。
「おかえりなさい!」
「よく帰ってきてくれた……!」
獣人の子供が駆け寄り、ドワーフの老鍛冶師が目頭を押さえ、エルフの薬師が静かに頭を下げる。種族の垣根を越えた歓迎が、帰還した兵士たちを包み込んだ。
レイドは隊列の後方から、その光景を眺めていた。
「……ああ、帰ってきたんだな」
独り言のように呟く。深緑の瞳に映る街並みは、出征前と変わらない。ミーシャが維持してくれた都市結界のおかげだ。
◇
中央広場に設けられた仮設の救護所は、フィーネの指揮のもとで目まぐるしく動いていた。
「三番のテントに重傷者を! 軽傷の方はこちらで薬を受け取ってください!」
フィーネの声が広場に響く。白衣の袖をまくり上げ、金髪を無造作に束ねた姿は、普段の穏やかな薬師とは別人のようだった。ハーフエルフの細い手が次々と傷口に触れ、淡い緑の光が傷を塞いでいく。
「フィーネ先生、こっちの兵士、左腕の骨が——」
「わかりました。添え木と固定帯を準備して。植物魔法で骨接ぎをしますから」
人間の兵士も、獣人の戦士も、等しく治療を受けている。三日前まで互いに言葉を交わしたこともなかった者同士が、同じ天幕の下で肩を並べて回復を待っていた。
レイドが救護所を訪れると、フィーネは一瞬だけ足を止めた。
「レイドさん。怪我、ちゃんと診せてくださいね」
「俺は大丈夫だ。それより、休憩は取れているのか?」
「……あとで取りますよ」
その目の下の隈が、答えを物語っていた。レイドは黙って回復薬の箱を担ぎ上げ、テントの間を運び始めた。フィーネが小さく微笑んだのを、背中で感じた。
◇
一方、都市の行政棟ではリリアーナが各国の撤収手続きに追われていた。
「ファングランド軍の補給物資は三日分を追加で提供いたしますわ。帰路の安全のためですの」
「ドゥルガンの工兵隊には、街道の応急修復を依頼してもよろしいかしら。もちろん正式な報酬契約として」
赤毛をハーフアップにまとめた快活な令嬢は、三つの会議を同時に捌きながら、書類の山を的確に処理していく。商人としての交渉術と貴族としての外交感覚が、戦後処理という複雑な局面で遺憾なく発揮されていた。
「リリアーナ嬢、ドワーフ王からの親書が届いている」
ガルムが分厚い封書を差し出した。虎族の傭兵は、鎧を脱いだ平服姿だった。
「ありがとうございますわ、ガルムさん。それと——慰霊祭の件、各国への打診は進んでいますの?」
「ああ。種族ごとに弔いの作法が違う。だが、死者を悼む気持ちは同じだ」
ガルムの琥珀色の瞳が、一瞬だけ揺れた。彼の部隊からも犠牲者が出ている。
「合同慰霊祭をやりたい。人間も獣人もエルフもドワーフも、一緒に弔う。それが——あいつらへの一番の手向けだろう」
「……賛成ですわ。各国の代表に正式に提案いたしましょう」
リリアーナは書類にペンを走らせながら、静かに頷いた。
◇
夕暮れ時、レイドは都市の地下中枢を訪れた。
古代遺跡の最深部。マナの中核炉が青白い光を放つ空間の片隅に、ミーシャはひとりで座っていた。銀髪が床に広がり、虹色の瞳はどこか虚ろだった。
「ミーシャ」
「……ご主人様」
いつもの弾むような声ではなかった。人工精霊の少女は膝を抱え、小さな体をさらに小さく丸めていた。
「ルクスは——姉様は、最後に笑っていたのです。千年間ずっと苦しんでいたのに、消える時だけ、あの頃の姉様に戻って……」
声が震えた。ミーシャの頬を涙が伝う。人工精霊に涙腺はない。だがマナで構成された体が、感情に呼応して光の雫を零していた。
「使命は果たしたのです。エルシオン様の遺志も、姉様の願いも。なのに——なのに、ミーシャは——」
「悲しいんだろう」
レイドはミーシャの隣に腰を下ろした。
「使命を果たしたから悲しんじゃいけない、なんてことはない。お前は兵器じゃない。守護者でもない」
「でも、ミーシャは古代遺跡の管理精霊として——」
「ミーシャ」
レイドの手が、銀色の髪にそっと触れた。
「お前はこの街の家族だ。泣きたい時は泣けばいい。それが、生きてるってことだろう」
ミーシャの虹色の瞳が大きく見開かれた。千年の時を超えて、誰にも言われなかった言葉。兵器として造られ、守護者として封印され、管理者として機能してきた存在に、初めて与えられた居場所。
「——あ」
堰が切れた。
ミーシャは声を上げて泣いた。子供のように、遠慮なく、千年分の孤独を吐き出すように。レイドはただ隣に座って、その背中をさすり続けた。
◇
翌日、連合軍の司令部で、ヴァルターの処遇が正式に決定された。
深淵教団に利用されていたという事情は考慮されたが、数々の妨害工作——経済封鎖、暗殺者の派遣、聖剣旅団への密命——の責任は免れない。宰相の地位は剥奪。王国における一切の公職から追放される。
「因果なものだな」
レイドは報告書を閉じながら呟いた。傍らのガルムが怪訝そうに見る。
「あの男のことか」
「ああ。ヴァルターが俺を追放しなければ、俺はこの辺境に来ることもなかった。この街も、お前たちとの出会いも、何もなかったかもしれない」
「……団長らしい感想だ」
ガルムは短く笑った。
「普通は恨むだろう」
「恨んでないとは言わない。ただ——複雑だな。それだけだ」
◇
その日の午後、クレスティア王国のヴィルヘルム三世が、レイドのもとを訪れた。
正式な謁見ではなく、執務室での私的な会談だった。護衛も最小限。国王自らが一介の辺境領主を訪ねるという異例の形式が、この申し出の重みを物語っていた。
「レイド・アシュフォード。宮廷魔術師への復帰を、王家の名において正式に要請する。地位も待遇も、以前とは比較にならぬものを用意しよう」
レイドは窓辺に立ったまま、しばらく沈黙した。
宮廷魔術師。かつて追われた場所。万象構築魔術を「役立たず」と断じられ、研究ノートを抱えて王都の門を出たあの日から、すべてが始まった。
「陛下。ご厚意に感謝いたします」
感情が昂ると混じる敬語。レイドは自分でもそれに気づいて、小さく苦笑した。
「だが、お断りさせてください」
「理由を聞いても?」
レイドは窓の外に目を向けた。
夕陽に照らされた街並みが広がっている。獣人の子供たちが走り回り、ドワーフの鍛冶場から槌の音が響き、エルフの薬師が花壇の手入れをしている。フィーネが救護所の片付けをしながら誰かと笑い合い、リリアーナが商人たちと交渉を続け、ガルムが若い兵士たちに稽古をつけている。地下からはミーシャのマナの波動が、街全体を優しく包んでいた。
追放された日には想像もしなかった光景。誰も見向きもしなかった荒野に築いた、種族を超えた居場所。
「——俺の居場所は、もうここにあるから」
ヴィルヘルム三世は、しばらくレイドの横顔を見つめていたが、やがて静かに微笑んだ。
「そうか。……そうだな。お前がここにいるからこそ、この街は輝いているのだろう」
国王は立ち上がり、レイドの肩に手を置いた。
「ならば明日の首脳会議で、この街の未来について話し合おう。大陸連合における正式な地位と——ふさわしい名を」
レイドの深緑の瞳が、わずかに見開かれた。
「名前、ですか」
「アルカディア・ノヴァは仮称だろう。この街が大陸の新たな時代の象徴となるならば——それにふさわしい名が要る」
国王が去った後、レイドは夕陽に染まる街を見つめ続けた。
追放から始まった旅路が、ひとつの答えに辿り着いた。だが物語は終わらない。この街の名前が決まる時、新しい章が始まる。
翌朝の首脳会議の議題表が、執務机の上で静かに風に揺れていた。
——議題第一項:辺境自治都市の大陸連合正式加盟および改名について。




