没落令嬢の算盤
集落の入り口に立つと、百人を超える難民の列が荒野の地平線まで続いているのが見えた。
老人、子供、怪我人。疲れ切った顔ばかりだ。レイドは傍らのガルムに目配せし、受け入れの準備を指示する。
「フィーネに伝えてくれ。負傷者の手当てを最優先で頼む」
「了解だ。だが団長、あの馬車の主——警戒した方がいい」
ガルムの視線の先で、紋章入りの馬車の扉がゆっくりと開いた。
降り立ったのは、赤毛をハーフアップにまとめた若い女性だった。旅塵にまみれた外套の下、仕立ての良いドレスがちらりと覗く。背筋はまっすぐに伸び、疲労の色を見せながらも、その碧い瞳には確かな意志の光が宿っていた。
彼女は集落を一望すると、小さく息を呑んだ。
「——まあ」
驚きの声は一瞬で消え、代わりに鋭い観察の眼差しが集落を舐めるように走る。水路、建物の配置、魔導灯の位置。その目は明らかに全体の構造を読み取ろうとしている。
レイドは一歩前に出た。
「ようこそ、ノヴァ・アルカディアへ。俺はレイド・アシュフォード。この集落の——まあ、代表のようなものだ」
「存じ上げておりますわ」
女性は優雅に、しかし形式張らない自然な所作で頭を下げた。
「リリアーナ・フォン・クレスティアと申します。見ての通り、家名以外に誇れるものは何も残っておりませんけれど」
自嘲を含んだ微笑み。だが卑屈さはない。
「クレスティア家といえば、かつて王国の財務を担った名門だな」
「ええ。『かつて』ですわね。父の代で全て失いました」
リリアーナの声に僅かな翳りが差したが、すぐに表情を切り替える。
「レイド様。単刀直入に申し上げてよろしいかしら」
「ああ、構わない」
「この集落には三つの強みがあります。第一に、古代遺跡に由来する豊富なマナ資源。第二に、多種族が共存する柔軟な社会構造。そして第三に——あなたという規格外の魔術師の存在」
レイドは少し目を瞠った。到着してものの数分で、ここまで正確に本質を見抜く人間は珍しい。
「しかし」
リリアーナは人差し指を立てた。
「致命的に欠けているものがありますの。商才と外交。いくら優れた技術があっても、それを富に変える仕組みがなければ、この集落は自給自足の村で終わってしまいます」
「……耳が痛いな」
実際、その通りだった。レイドは魔術と建設に没頭するあまり、経済面の整備を後回しにしていた。食糧も物資も、常に綱渡りの状態が続いている。
「わたくしに、この集落の商業と物流の管理をお任せいただけませんこと?」
「いきなりだな。俺たちはまだ会って五分も経っていない」
「ええ。ですから、まずは実力をお見せしますわ」
リリアーナは外套を翻し、難民の列に向かって歩き出した。
◇
フィーネが負傷者の手当てに駆け回っている横で、リリアーナは驚くべき手際を見せていた。
「そちらの家族は四人ですわね。食糧は三日分を基本配給、幼児がいるので乳製品を追加。次の方——荷物の中に工具がありますわね? 大工の経験は? ありますの。では居住区の東棟をご案内して」
難民一人一人の状態を瞬時に把握し、持っている技能を聞き出し、配給量と住居の割り振りを即座に決めていく。しかもその判断が的確だった。
レイドは腕を組んで、その光景を眺めた。
「……すごいな」
隣でガルムが低く唸る。
「口の回る女だ。だが、口だけかもしれん」
「いや、見てみろ。配分に無駄がない。うちの備蓄量を正確に見積もっている。到着してすぐに倉庫の規模から逆算したんだろう」
ガルムは黙った。それは認めざるを得ないという沈黙だった。
リリアーナの前に、獣人の母子が進み出た。虎族の幼い兄妹が、怯えた目で彼女を見上げている。貴族に良い思い出などないのだろう。
リリアーナは膝をつき、目線を子供たちに合わせた。
「長い旅でしたわね。お腹が空いているでしょう?」
懐から小さな包みを取り出す。干し果物だった。おそらく彼女自身の携帯食の残り。
「どうぞ。遠慮なさらないで」
兄妹は恐る恐る手を伸ばし、それを受け取った。リリアーナは微笑んで二人の頭を撫でる。その手つきに、貴族特有の傲慢さは微塵もなかった。
少し離れた場所で、フィーネがその光景を見つめていた。
「……意外、ですね」
フィーネの声には、警戒心が薄れた響きがある。到着直後のリリアーナのお嬢様然とした態度に身構えていたのだろうが、あの自然な振る舞いは演技では出せない。
ふと、リリアーナの視線がフィーネの方を向いた。一瞬——ほんの一瞬だけ、その目がフィーネの髪に隠れた耳元で止まる。だが何も言わず、すぐに視線を難民の列に戻した。
レイドはその微かなやり取りに気づいたが、あえて触れなかった。
◇
日が傾く頃には、百人以上の難民の受け入れがほぼ完了していた。通常なら丸一日かかる作業を、リリアーナの差配で半日に短縮したことになる。
レイドは仮設の会議室——と言っても、木の板を並べただけの簡素な部屋だが——にリリアーナを招いた。
「さっきの手際は見事だった。正直に言えば感服している」
「お褒めに預かり光栄ですわ。でも、あれは序の口ですの」
リリアーナは鞄から数枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに広げた。
「道中で作成した、この集落の収支計画書です」
「道中で? この集落に来る前にか?」
「噂は各地に広がっておりますもの。荒野に魔術師が街を建てていると。情報を集めれば、ある程度の規模と課題は推測できますわ」
レイドは計画書に目を落とした。食糧生産量の推定、人口増加の予測、必要な交易品目のリスト。驚くべきことに、数字はかなり正確だった。
ガルムが後ろから覗き込み、低く呟く。
「……当たっている。食糧の備蓄量まで、ほぼ誤差がない」
「リリアーナ。一つ聞いていいか」
「何なりと」
「これだけの能力がありながら、なぜ王都で道が開けなかった?」
リリアーナの表情が一瞬だけ硬くなった。
「商業ギルドは女性の正規加入を認めておりませんの。没落貴族の娘が門を叩いたところで、嘲笑されるのが関の山。クレスティアの名は、今や借金の代名詞ですもの」
声は平静を保っていたが、その奥に押し殺した悔しさが滲んでいる。
「ここに来たのは最後の賭けだ、と?」
「ええ。既存の秩序に縛られない場所でなければ、わたくしの居場所はありませんの」
レイドは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。追放された魔術師。差別を受けた薬師に獣人の傭兵。そして今度は、旧弊に阻まれた没落貴族の令嬢。
この街に集まる人間は、誰もが既存の世界から弾き出された者ばかりだ。
「わかった。商業と物流の管理を任せる。ただし、最初は試用期間だ。一ヶ月で成果を見せてくれ」
「十分ですわ」
リリアーナは姿勢を正し、真っ直ぐにレイドの目を見た。
「必ず、この街を交易路の要衝にしてみせます」
その目に迷いはなかった。レイドは小さく頷く。この手の確信に満ちた目を、彼は知っている。鏡の中で何度も見た目だ。
◇
会議が終わり、リリアーナが部屋を出ようとした時、彼女は足を止めた。
「一つ、お伝えし忘れておりましたわ」
鞄の底から、革製の証書入れを取り出す。中には金の箔押しが施された一枚の書状が収められていた。
「商業ギルドの広域通行証ですの。クレスティア家に残された、最後の財産」
レイドの目が見開かれた。広域通行証——それは商業ギルドが発行する、複数の都市間で正規の交易を行うための許可証だ。通常、新興の集落が手に入れるには数年の実績と莫大な審査料が必要になる。
「これがあれば、近隣の街と正規の交易路を開けますわ。関税の優遇も受けられます」
「それは……とんでもない切り札だな」
「ただし」
リリアーナの声が引き締まった。
「有効期限は残り三ヶ月。更新には相応の交易実績が求められます。期限までに成果を出せなければ——」
「全てが水の泡、か」
「ええ。通行証も、この街の未来も、わたくしの最後の賭けも。全てが」
三ヶ月。九十日で、この荒野の集落を正規の交易拠点に変えなければならない。
レイドは証書入れを受け取り、その重みを噛みしめた。薄い革と紙一枚。だがそこに込められた価値と期限の重圧は、どんな魔導書よりも重い。
「面白い」
口元に笑みが浮かんだ。困難であればあるほど、燃え上がるものがある。研究者の性だ。
「三ヶ月で結果を出す。リリアーナ、明日から早速——」
「ええ。まずは近隣の集落との物流経路の調査から始めますわ。既に三つほど、目星をつけておりますの」
レイドは思わず笑った。この女性は、合流する前から動き始めていたのだ。
窓の外では、沈みゆく夕陽が荒野を茜色に染め上げている。百人の新たな住民を迎え、商業の柱となる人材を得て、そして——三ヶ月という砂時計が、静かに落ち始めた。




