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逆流する創造の奔流

 大地が悲鳴を上げていた。


 虚空の神殿の最深部——漆黒の玉座に座すネヘルを中心に、目に見えぬ巨大な渦が大陸全土のマナを呑み込んでいる。


 レイドは片膝をつきながら、その光景を見据えていた。


 万象収斂。


 千年前の大賢者が構築した、大陸規模のマナ吸収術式。かつてアルカディア文明を滅ぼした禁忌が、今まさにこの世界を食い尽くそうとしている。


「まだ立つか、アシュフォード」


 ネヘルの声には感情がない。ただ事実を確認するように、冷たく問いかける。


「当然だ」


 レイドは震える脚に力を込めて立ち上がった。大気中のマナが急速に薄まっている。魔術の発動に必要な最低限のマナすら、指先から零れ落ちていくような感覚だった。


「無意味だな。万象収斂は止まらん。大陸の全マナが余に還る——それが、アルカディアの真なる遺産だ」


 ネヘルの周囲に渦巻くマナの奔流が、一層激しさを増した。



  ◇



 神殿の外では、異変が加速していた。


 連合軍の陣地で、ドワーフの砲手が突然膝を折る。獣人の剣士が剣を取り落とす。エルフの弓兵が弦を引く力を失う。


 マナが——消えていく。


「何が起こっている!」


 前線指揮を執っていたガルムの咆哮が荒野に響いた。四蛇との戦いで負った傷がまだ痛むが、そんなものは些事だ。目の前で仲間たちが次々と倒れていく方がよほど問題だった。


「ガルムさん、これは——」


 駆け寄ったフィーネの顔色も蒼白だった。薬師としての治癒魔術が、まるで発動しない。手のひらに集めようとしたマナが、見えない力に引き寄せられるように神殿の方角へ流れていく。


「植物たちが……枯れていく」


 フィーネの声が震えた。彼女の足元で、つい先ほどまで青々と茂っていた野草が、みるみるうちに灰色に変わっていく。


「地下水路のマナ循環も停止しましたわ!」


 リリアーナが通信用の魔導具を叩きながら叫んだ。だが魔導具そのものが機能しなくなりつつある。


「通信が途絶える前に入った報告では、フィレンツァの農地が一夜にして荒野に戻ったと——各地で同じ現象が起きていますの」


 大陸規模の災厄。それが、万象収斂の真の姿だった。



  ◇



 四つの戦場を制した精鋭たちが、神殿最深部を目指して合流した。


 ガルム、フィーネ、リリアーナ。それぞれが死闘を潜り抜け、傷だらけの身体を引きずってレイドの元へ急ぐ。


 だが——


「これは」


 ガルムが立ち止まった。


 最深部への通路を、漆黒の結界が覆っている。触れた瞬間、指先が弾かれ、虎族の頑強な皮膚にすら焦げ跡が残った。


「駄目ですわ。物理的にも魔術的にも突破できません」


 リリアーナが分析するまでもなかった。結界の向こう側では、レイドがたった一人でネヘルと対峙している。


「レイドさんっ!」


 フィーネが結界に両手を押し当てて叫んだ。声は届いているのか、届いていないのか。向こう側のレイドは振り返らない。振り返る余裕がないのだ。


「団長……」


 ガルムが拳を握り締めた。歯を食いしばる音が、静寂の中に響く。


 絶望が、空気のように広がっていった。



  ◇



 最深部で、レイドは限界を悟りつつあった。


 万象構築魔術は現象を記述し再現するメタ魔術だ。だが記述に必要なマナそのものが枯渇すれば、何も生み出せない。


 ネヘルはマナを吸い続けている。際限なく。大陸のマナ総量を一身に集約し、その力は秒ごとに膨れ上がっていく。


「理解したか。お前の万象構築は確かに興味深い体系だ。だが所詮、マナなくして術式は走らん」


「……ああ、その通りだ」


 レイドは認めた。正面からのぶつかり合いでは勝てない。マナの総量で圧倒的に負けている。


 だが——脳裏で、ある術式の記憶が明滅した。


 万象回帰。


 第百十話であの古代遺跡の最深部で見つけた術式。万象収斂の対になる存在として記録されていたそれを、レイドは当時「防御用の術式」としか認識していなかった。


 違う。あれは防御じゃない。


 万象収斂が「集める」なら、万象回帰は「還す」。つまり——


「ご主人様!」


 突然、頭の中にミーシャの声が響いた。


「ミーシャ? どうやって——」


「ルクスさんから継承した都市核制御権限なのです! 神殿の結界を迂回して、アルカディア・ノヴァの都市核を経由した直接通信回線を確立したのですよぅ」


 レイドの目が見開かれた。ルクスが最期に託した都市核の管理者権限。あれがこんな形で生きてくるとは。


「ミーシャ、今この通信——仲間全員に繋げられるか」


「もちろんなのです。都市核はアルカディア・ノヴァの全インフラと接続されているのです。ちょちょいのちょいですよぅ」


 一瞬の静寂。そして——結界の向こう側にいる全員の意識が、一つの回線で繋がった。


「聞こえるか、みんな」


 レイドの声が、仲間たちの脳裏に直接響く。


「団長!」


「レイドさん!」


「レイド様!」


 三者の声が重なった。


「無事なのね——よかった」


 フィーネの声が微かに震えている。安堵と、それでも拭えない恐怖。


「正直に言う。俺一人じゃネヘルには勝てない」


 レイドは率直に告げた。虚勢を張っている場合ではない。


「だが——俺にはアイデアがある」


 全員が息を呑む気配が、通信越しに伝わってきた。


「ネヘルは万象収斂で大陸のマナを吸い上げている。なら、俺たちは逆をやる」


「逆……ですの?」


 リリアーナの問いに、レイドは頷くように言葉を続けた。


「アルカディア・ノヴァの全インフラ——水道、通信網、結界、農地の魔力循環、鍛冶場の炉、市場の物流路——俺がこの一年で築いた魔術回路の全てを一つの術式として接続する。万象回帰。収斂の逆、創造のマナを送り出す回路だ」


「都市そのものを、魔術の触媒にする……」


 ガルムが低く唸った。途方もない発想だが、レイドならやりかねない。いや、レイドにしかできない。


「ミーシャ、都市核から各インフラへの接続経路を開け。リリアーナ、商業ネットワークの全通信ノードを中継点として開放してくれ。ガルム、防衛結界の出力を全て攻勢に回す——守りは捨てろ」


 矢継ぎ早の指示。それぞれが一瞬だけ躊躇し、そしてすぐに腹を決めた。


「了解なのです! 都市核制御、全権限開放しますよぅ!」


「商業ネットワーク、中継ノード全開放。損害計算は後でしますわ」


「防衛結界、全出力を攻勢転換。守りを捨てろってのは団長らしいな」


 ガルムの口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。


 そして——フィーネが、真っ先に動いた。


 結界に両手を当てたまま、彼女は目を閉じる。植物魔法の使い手として、大地のマナの流れを誰よりも敏感に感じ取れる。その感覚を研ぎ澄まし、アルカディア・ノヴァの農地に根を張る無数の植物たちと意識を繋げた。


「あなたが築いたものを、今度は私たちが動かす番です」


 フィーネの声は、もう震えていなかった。


 静かで、揺るぎない決意。


 その言葉を合図にするかのように——遥か西方、アルカディア・ノヴァの街並みが淡い光に包まれ始めた。水路が脈動し、通信網が唸りを上げ、結界が形を変えていく。


 都市が、目覚める。


 仲間たち全員が、結界の外からそれぞれの力を注ぎ始めた。

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