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役立たずの烙印

 クレスティア王国の大広間に、冷たい沈黙が降りた。


 天井から吊るされた魔導灯が青白い光を放ち、居並ぶ群臣たちの顔を照らしている。誰もが視線を伏せ、あるいは壁の紋章を見つめ、中央に立つ一人の男を直視しようとしなかった。


 レイド・アシュフォードは、その沈黙の中心にいた。


 銀灰色の短髪に深緑の瞳。宮廷魔術師の正装である紺色のローブを纏い、背筋を伸ばして玉座の前に立っている。その手には、使い込まれた革表紙の研究ノートが一冊。


「——よって、宮廷魔術師レイド・アシュフォードの職を解き、王都からの退去を命ずる」


 玉座の右手に立つ男が、朗々と宣告した。


 新任宰相ヴァルター・ゼーリヒ。四十五歳にして王国の実権を握ったこの男は、鷹のように鋭い目でレイドを見下ろしていた。痩身に仕立ての良い黒衣を纏い、胸元には宰相の紋章が金色に光っている。


「異論があれば述べよ。もっとも——」


 ヴァルターは薄い唇の端を吊り上げた。


「お前の魔法が役立たずであるという事実に、異論の余地などないがな」


 群臣の間からかすかなざわめきが漏れた。だが、それは抗議ではない。同意の空気だった。


 レイドは口を開いた。


「宰相閣下。一つだけ確認させていただきたい」


「何だ」


「俺が十年間で修復した王都の防壁結界。あれは現在も機能しています。昨年の疫病時に構築した隔離区画の魔術式も、南区の水路再建に用いた——」


「くどい」


 ヴァルターの声が大広間に響いた。


「余は貴様の小間使いとしての功績を問うているのではない。宮廷魔術師とは、王国の剣であり盾である。戦場で敵を焼き払い、城壁を砕く力こそが求められる」


 一歩前に出て、ヴァルターは群臣に向き直った。


「諸君も知っての通りだ。万象構築魔術——聞こえは良いが、その実態は何だ? 火も起こせぬ、風も操れぬ、六属性のいずれにも秀でぬ半端な技術に過ぎん。水道管の修繕や結界の補修など、職人に任せれば済む話であるな」


 笑い声が上がった。


 レイドは群臣の顔を見渡した。かつて共に研究に没頭した第二魔術班の同僚たち。防壁修復の際に背中を預けた魔術師たち。彼らは皆、目を逸らしていた。


 ある者は天井を仰ぎ、ある者は靴先を見つめ、ある者は隣人と何事かを囁き合う振りをしている。十年間の日々が、音もなく否定されていく。


 レイドの視線が玉座に向かった。


 国王エドムント三世。白髪交じりの壮年の王は、玉座に深く腰掛けたまま微動だにしない。だが——一瞬だけ、その瞳が揺れた。口元がわずかに動き、何かを言いかけたように見えた。


 しかし、それだけだった。


 エドムントは唇を引き結び、視線をヴァルターの背に戻した。そこに、かつてレイドの研究を「面白い」と評した王の姿はなかった。


 レイドは静かに息を吐いた。怒りではない。落胆でもない。ただ、長い間ぼんやりと感じていた違和感が、ようやく形を取ったような感覚だった。


「——承知しました」


 群臣がざわめいた。あまりにもあっさりとした受諾だったからだ。


 ヴァルターですら、わずかに眉を動かした。


「抵抗はせんのか」


「抵抗して何が変わりますか」


 レイドは肩をすくめた。


「宰相閣下が求めるのは戦場の魔術。俺の万象構築魔術は、確かにその基準には合わない。であれば、ここに留まる理由はありません」


「……ふん。分を弁えているのは結構なことだ」


 ヴァルターは手を振った。


「行き先はブランフェルト荒野とする。あの不毛の地で好きに研究でも何でもするがいい。王国の辺境領として名目上の管理権を与えてやろう」


 大広間にどよめきが走った。


 ブランフェルト荒野。千年前の大戦で滅びた古代魔導文明アルカディアの跡地。マナの暴走が未だに続くとされる呪われた土地。まともな人間が足を踏み入れる場所ではない。


 事実上の死刑宣告だと、誰もが理解した。


「——ブランフェルトか」


 レイドは呟いた。その声に、恐怖はなかった。


 研究ノートを開き、ある頁に目を落とす。そこには細かな文字でびっしりと書き込まれたメモがあった。『アルカディア文明のマナ循環理論——大気中マナの自然集束現象について』。数年前から独自に調べていた古代魔術の理論。実地検証の機会をずっと求めていた。


 レイドは研究ノートを閉じ、小さく笑った。


「ありがたく頂戴します」


 その言葉に、ヴァルターの目がわずかに細くなった。



   ◇



 王都ルクレシアの城門は、午後の陽光を受けて白く輝いていた。


 護衛兵二人に挟まれ、レイドは石畳の道を歩いた。背には使い古した革鞄が一つ。中身は研究ノート数冊と、最低限の着替え、それに筆記具。宮廷魔術師としての十年間の蓄積が、この鞄一つに収まってしまう事実が、むしろ清々しかった。


「あの……レイド殿」


 護衛兵の一人が、気まずそうに声をかけた。まだ若い兵士だ。


「自分は去年の疫病の時、南区で——」


「ああ、隔離区画の警備に就いてくれた兵だろう? あの時は助かった」


 レイドが振り返ると、若い兵士は顔を歪めた。


「あの魔術がなければ、疫病は南区全体に——いえ、王都の半分に広がっていたかもしれません。それを、役立たずだなんて」


「気にするな」


 レイドは穏やかに言った。


「評価基準が違うだけだ。宰相閣下は間違っていない。戦場で火球の一つも撃てない魔術師は、確かに宮廷には不要だろう」


「しかし——」


「それに」


 城門が近づいてきた。門の向こうには、西へと続く街道が一本。その遥か先に、ブランフェルト荒野が待っている。


「これでようやく、自由に研究ができる」


 レイドは城門をくぐった。


 振り返らなかった。


 粗末な幌馬車が一台、門の外に用意されていた。御者台には無愛想な老人が座り、荷台には数日分の食料と水が積まれている。宮廷からの最後の「温情」というわけだ。


 レイドは荷台に腰を下ろし、研究ノートを膝の上に広げた。


「ブランフェルト荒野。古代アルカディア文明の中枢域。マナ湧出量は大陸随一、ただし千年間の放置で完全に制御を失っている」


 ページをめくり、自分の走り書きを目で追う。


「マナ循環理論が正しければ、あの荒野の地下にはアルカディアの導管ネットワークが残っているはずだ。それを万象構築魔術で再起動できれば——」


 レイドの目が輝いた。早口になっていることに、自分では気づいていない。


「いや待て、まず現地調査だ。荒野の状態を確認して、マナの流れを測定して、それから——」


 馬車が揺れ始めた。王都の白い城壁が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 レイドは顔を上げ、西の空を見つめた。


 沈みかけた太陽が、地平線を赤く染めている。その先に広がるのは、誰にも見向きされない荒野。


 だが、レイドの胸には不思議な高揚感があった。


 十年間、宮廷の枠組みの中で縮こまっていた何かが、今、解き放たれようとしている。



   ◇



 同じ頃。王城の最上階、宰相の執務室。


 ヴァルター・ゼーリヒは革張りの椅子に深く腰掛け、窓から王都の街並みを見下ろしていた。西の城門から一台の馬車が遠ざかっていくのが、かろうじて見える。


「行ったか」


 扉の前に控えていた黒衣の男が、無言で頷いた。影のように存在感を消した、密偵の類だ。


 ヴァルターは机の上の書類に目を落とした。そこにはレイドの経歴と、万象構築魔術に関する報告書がまとめられている。


「……宮廷からは追い出した。あの男がいては、余の計画に支障が出る」


 ヴァルターは報告書の一頁を指で叩いた。万象構築魔術の理論概要が記されている。


「だが、この技術そのものは別だ」


 立ち上がり、窓辺に歩み寄る。夕陽が彼の鋭い横顔を赤く照らした。


「あの男の研究ノートを回収しろ。追放先で事故にでも遭ったことにすれば、荷物の回収は自然だろう」


 黒衣の男が顔を上げた。


「始末も、ご命令ですか」


 ヴァルターは薄く笑った。


「急くな。まずはノートだ。万象構築魔術の理論だけは——使えるかもしれん」


 密偵が音もなく退室した後、ヴァルターは再び椅子に腰を下ろした。


 机の引き出しから、古びた一枚の羊皮紙を取り出す。そこに描かれた紋章は、王国のものではない。千年前に滅びたはずの、アルカディア文明の刻印だった。


「役立たずの魔術師め。お前は自分が何を持っているか、まるで分かっておらんな」


 執務室に、ヴァルターの低い笑い声だけが残った。

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