第二十一話 女王陛下と“節制”の魔人④
ある、初秋の夕暮れ時。
人通りが無い魔法院の廊下をレミリオは分厚い魔法書を片手に歩いていた。
(はぁ。まったく、書庫の担当は頭が固い。ちょっとくらい長居させてくれても……)
規則だから、の一点張りで自分を追い出した初老の女性に悪態をついていたレミリオはふと、中庭の石像を見る。
魔法に長け、その身の魔力量が水準を逸脱している者を称える目的で建てられた、六体の像。
レーデス=フィジア=ジオーレ。
レミリオの父の名が、一体の石像の足元に彫られている。
「――まったく。なんて仰々しい」
同級生が自分へ向ける鬱陶しい眼差しの元凶を睨むレミリオは、彼方の森の木々がざわめくのを認める。
レミリオは気だるそうに、パラパラと魔導書をめくる。
「まだ読めてないけど――」
目当てのページを開き、文面をひと撫ですると、レミリオはバタン、とその本を閉じた。
「どうか、失敗しませんように――!」
レミリオが向けた杖の先。
レーデスの石像の前に水の壁が作られた。
直後、不意な突風が中庭を突き抜ける。
舞い上がる木の葉は、中庭の石像に容赦なく降りかかった。
「まぁ、気にするほどでもないけど――」
レミリオは、今しがた初めて唱えた水の魔法の出来栄えを見て、満足そうに再び歩き出す。
「――一応僕の父親だから、これくらいは……ね」
水の壁に阻まれた落ち葉が、レーデスの石像の前で零れ落ちる。
その水壁は、徐々に形を崩し、光の屈折を利用して一つの文字を空中に浮かび上がらせた。
――クソおやじ、と。
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揺れる馬車の中。
女王ミーシャと、レーデス、ラティスの三名は“節制”の魔人が根城としている、哀涙の洞と呼ばれる洞窟へと進んでいた。
「――で? そのゴランってやつは、何者だよ」
唐突に口を開いたラティスが、レーデスに問う。
レーデスは考えを纏めるように数瞬沈黙したのち、静かに語り出した。
「……ゴランと再会したのは、若いころベロンに出向した時だ。同じ魔法院の出でな」
「そりゃまた、随分な偶然だな。うじゃうじゃある魔法院の同級生なんざ。俺は一人も再開しちゃいねぇ」
「まぁ、腐れ縁ってやつだ。あいつは、土の魔法が得意でな。俺の精神魔法を『根暗』だとよく馬鹿にしてきたもんだ。だが――」
レーデスはミーシャとラティスを順番に眺める。
「ゴランほど責任感と実力を兼ね備えた者はそういない。奴がベロンに留まらず、王都に来ていたら……ラティス。お前といい勝負かもな」
「マジか! そりゃあ、早く会いてぇな」
「すぐに会えるさ、きっと……」
レーデスがそこまで話すと、馬車の中は再び沈黙が満つ。
レーデスの両こぶしは、ワナワナと震えていた。
荒い地面を蹴る馬の蹄音だけが、聞こえてくる。
「それじゃあ、少し作戦を詰めるか」
その沈黙を破り、ミーシャは空間に文字を浮かべる。
光の屈折を利用した魔法。
空気中の水分に干渉するこの精緻な魔法は、高度な魔法技術とセンスが要求される。
ミーシャのお気に入りの一つだ。
「私たちはこれから“節制”の魔人の討伐に向かうが、その前にゴランを見つけ、保護する。情報が欲しいからな」
「そして、“節制”のとこまで行って、倒す。――ザックリしすぎじゃないですかね?」
「しかし、現状、他に手が無いこともまた、事実だ」
ふぅー、と息を吐き、ミーシャは天井を見上げる。
その横顔に一瞬だけ、悲しさと悔しさが滲んだ。
そしてすぐに、決意の顔をレーデスとラティスに向かわせる。
「――今回は、三百、でいこうと思う」
「――ま、妥当な数字だと思いますよ。……悔しいけどな」
「して、あの役、は私が?」
「いいや――」
ミーシャが右手を鳴らすと、どこからともなくガラスが割れるよな音が響く。
「あの馬鹿もんが。性懲りもなく……」
レーデスが息子への呆れを隠しきれていないことも意に返さず、ミーシャは傍受の主に語り掛ける。
「聞いていただろう? レミリオ。わざと結界を弱くしといてあげたんだから」
そう言って、ミーシャは悪戯っぽく口角を上げた。
「ま、待ってください! 女王陛下! 愚息にはちと荷がきつい……」
叫ぶように話すレーデスの肩を、ラティスはグッとつかむ。
「諦めろ、レーデス。あの顔の女王陛下は止められんねぇ。それに――」
ラティスの言葉尻と、ミーシャの言葉が重なる。
「魔人の能力解析、今回はアンタにやってもらうよ、レミリオ」
「――レミリオなら、何とかしてくれると俺は思うぜ、レーデス」
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馬車が、哀涙の洞へとたどり着く。
長大な上で複雑なその洞窟は、地元ベロンの民でさえ立ち入ることはない。
レミリオは馬車の荷下ろしを行いながら、女王からの命を頭の中で反芻していた。
(僕が、魔人の能力解析。正体だけじゃない、対処法も、僕が……)
レミリオの両こぶしが、小刻みに揺れる。
三百という数字が、頭の中心から動こうとしない。
(やらなければ――)
レミリオは、自らを奮い立たせるように、両の頬を叩く。
(僕がしっかりやらなければ、多くの人間が、死ぬ――)
女王が放った三百という数字。
――三百人までの命と引き換えに、解析と対応策を提示せよ。
これが、レミリオに課せられた命令の全容。
弾き出そうな心臓を抱えながら、レミリオはミーシャたちに続いて洞窟へと歩を進める。
レミリオの視界の端が、紫のカエルの死骸を捉えた。
腹部は膨張し、口から黒い泡が溢れている。
(――スモッグフロッグが、毒で死ぬ?)
レミリオは雷撃に撃たれたように一瞬硬直した。
「――! 止まって!」
ミーシャの傍らに控えながら、レミリオは全軍に向けて声を張る。
「どうした、レミリオ」
「陛下。このまま洞窟に入るのは危険です。全滅してしまう――」
話しながら、レミリオは木の枝程度の杖を洞窟の入り口上部、少し右にズレた場所へと向ける。
「“そよぐ風、猛る風。今、その性をひとつに”」
杖の先から放たれたのは、流れが異なる二つの風が混ざり合う魔法。
その魔法は、洞窟上部の茂みへと飛び、何かを破壊するような高い音を響かせる。
「強い風が来ます! 皆、できるだけその風は吸わないでっ!」
レミリオが言った直後。
猛烈な突風が、洞窟を吹きおろし、王国軍を土煙に飲み込んだ。
「今のは、毒のトラップ、か。しかし、何とも……」
「僕が毒無効の魔法を攻撃魔法に上乗せしたので、多少なら大丈夫です」
困惑するラティスを尻目に、レミリオは冷静に述べる。
「はへぇ。初めて見たぜ。それ、オリジナル?」
「ええ。まぁ。念のため、馬車の中で作っておきました」
「いや、そんな簡単に出来ねぇだろ、オリジナル魔法なんて」
ラティスの反応を意に返さない様子のレミリオに、不意に拳骨が飛んだ。
「レミリオ! いきなり魔法を放つ奴があるかっ!」
「っ痛ぇな! 親だからっていきなり拳骨はねぇだろ!」
「こいつ! 父親に向かってぇ!」
グンッ、と取っ組み合いになりかけたレミリオとレーデスの双方が、地面に押さえつけられる。
「まぁまぁ、親子喧嘩は大概に、だぞ、レーデス」
「し、しかし、女王陛下」
「さっきの判断は正しかった。あの突風の規模。どうやら高濃度の魔力で作られた毒の風が出ていたはず。しかし――」
ミーシャは地面にひれ伏すレミリオを見下ろす。
「独断での魔法使用は、軍を乱しかねない行為。結果ではなく、過程も相応のものでなければならない」
ミーシャはレミリオを押さえつける力を解く。
「レミリオ。なぜ、気づいた?」
拘束を解かれ、その場で正座させられながらレミリオは語る。
「――洞窟の入り口近くで見たんです。スモッグフロッグの死骸を」
「スモッグフロッグと言えば、毒霧で攻撃してくる魔物だな」
「陛下のおっしゃる通りです。そして、その特性ゆえ、魔物自身は高い対毒性を有します。しかし、僕が見たスモッグフロッグは、明らかに毒で死んでいました」
「つまり、極めて致死性の高い毒がこの地にある、と。しかし、なぜあの場所だと?」
女王の追及に、レミリオは淀みなく言葉を紡ぐ。
「今日は、洞窟の左側、東からの風が強い。先頭を行く偵察部隊が毒を感知できなかったのは、まず我々が風上にいたからです。洞窟の上部、右半分に限定して魔力を探しました」
そして、とレミリオは呼吸を置かずに続ける。
「この毒は、おそらく極めて重い。スモッグフロッグが死に絶えるほどの毒に、僕たちが気づけなかったもう一つの理由は、毒の濃度が、極端に下へ滞留していたからです」
ミーシャは慌てて拘束を解き、地面に伏せさせたレーデスを立たせる。
レーデスは体をチャックし、問題なし、といった様子で頷いた。
「僕たちがこれから向かう洞窟は、奥に行くほど落ちくぼむような地形です。何もせず奥へ進めば、きっと逃げる間もなく皆死んでいたでしょう」
ここまで言い終わると、レミリオは正座のまま頭を下げた。
レミリオから謝罪の意を受け取ったミーシャは、両手を広げる。
「すばらしい! やはり私の目に狂いはなかったな!」
そう言うと、ミーシャは全軍に伝わるよう、拡声の魔法を使う。
「皆の者! 此度はこのレミリオに助けられたぞ! 彼は英雄だ!」
レミリオを称える声が周囲からこだまする。
「――うるさい」
耳を塞ぐレミリオの頭へ、ミーシャの思念魔法が届く。
『この調子で、本番も頼むぞ』
『……僕に、できるでしょうか』
『なぁに、できなければ――』
ミーシャは悪戯っぽい笑みでレミリオを見下ろした。
『三百と言わず、皆がここで死ぬだけだ』
魔法をかけられたわけではない。
ただ、レミリオはすぐには立ち上がることができなかった。




