第十九話 女王陛下と“節制”の魔人②
「――行ったか、あいつら」
王宮内の執務室で、女王ミーシャは窓の外に流れる雲の帯を眺めていた。
その後ろで恭しく控えていたレーデスが、口を開く。
「女王陛下が意図された通り、彼らは南の城塞都市へ向かったようです」
「その前に、アイーシャの家に寄って、だろう? そうじゃないと意味がない」
「しかし、女王陛下――」
レーデスの声色には、戸惑いと大いなる不安が感じ取れる。
「本当に、あの“魔滅”無しで、魔人の交戦なさるのですか……」
捕虜として尋問した魔物の情報。
何度も繰り返し精査したそれを基に弾き出した結論が、“魔滅”を含む王国の未来を逃がすこと。
「……魔人による挟撃など、前代未聞」
ミーシャの視線は、壁に貼られた王国の地図。王都の北と南につけられた印へ向けられた。
ミーシャ自身、何度も自分に言い聞かせた言葉を繰り返す。
「どう転んでも、これが最善なのだ……王国の存続の可能性を高めるには、な」
血が滲むような鬼気迫る女王ミーシャの言葉に、レーデスはただ沈黙で応えた。
コンコンコン。
不意に、執務室の扉がノックされる。
「ラティスのようです」
「通せ」
レーデスがゆっくり扉を開けると、目の前には赤髪で褐色の肌を持つ偉丈夫、ラティス=クロム=ローデンが立っていた。
「レーデス。俺だと分かってんならもっと気軽に開けてくれよ」
「それは無理だな。誰かがお前になり替わっているやもしれん」
はんっ、とラティスは鼻を鳴らす。
「王国軍総大将の俺の騙る? そんな奴いるとでも――」
「いくらでもいるだろうさ。魔人の力はそれほど、だ」
戦士としての矜持をないがしろにするようなレーデスの発言。
二人の熱を帯びた視線が、交錯する。
「お~い。そんなとこで喧嘩すんな~。ったく、いつまで経っても男はガキだねぇ」
「女王陛下! このレーデスっつー男は俺のプライドを足蹴にしたんですぜ!?」
「事実を述べただけだろうが」
口論へと発展しかかった両者の口が、無意識に閉じられた。
まったく言葉を話せなくなった二人は、女王ミーシャをただ見つめる。
「生憎、時間もそんなに無いもんでね」
ミーシャは冷ややかな目でレーデスとラティスを見遣る。
「――出発なんだろ? ラティス」
投げかけられた質問に、ラティスは大きく何度も、首を縦に振って応えた。
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女王直属の王立軍は隊列を組み、北の要塞都市“ベロン”へと向かっている。
その隊列の中、高度な盗聴防止の魔法が施された馬車に、女王ミーシャは揺られていた。
「――して。今回の魔人に関する情報は?」
ミーシャは同席するレーデスとラティスを交互に見る。
ラティスは発言をレーデスに譲るように、身を引いて背もたれに体を預けた。
小さくため息をつき、レーデスは話し始める。
「今回の魔人は、“節制”の魔人と言われているそうです」
「“節制”? 随分と慎ましい二つ名、だな」
ミーシャの反応を予測していたのか、レーデスは軽く頷いて先を続けた。
「能力の詳細について、尋問にて聞き出すことは叶いませんでした。あのオークも、詳細までは知らなかったようで……」
「まぁ、そうだろうな。予測の範囲だ」
「しかし――」
そこに来て、レーデスの言葉が、止まる。
それは、用意していた言葉を出そうかどうか、その躊躇いがにじみ出るものだった。
「――ったく。はっきり言っちまえよ、レーデス。隠し事はよくないぜ」
「ラティス。しかし――」
言葉を紡ごうとするレーデスをラティスは右手で制す。
その横顔を見たレーデスは、ラティスの決意を受けて引き下がった。
「なんだなんだ。口達者なレーデスが黙るとは、珍しい」
「女王陛下」
慇懃な声色でミーシャに声をかけるラティス。
ミーシャは、ラティスと目を合わせながらその続きを促した。
「女王陛下。オークは魔人の情報を漏らした後、自ら命を絶ちましたが……」
ラティスは大きく息を吸い、心を落ち着かせる。
「最後に、申しておりました。“節制”に、女王は勝てない。必ず殺される、と」
ふん、とあしらうように鼻を鳴らし、ミーシャは尊大にふんぞり返る。
「人類最強の魔法使いである私が負けるなら、もう人間はおしまいだな」
「しかし、我々が必ず女王陛下をお守りいたします」
「ほう、レーデス。言ってくれるじゃないか」
ミーシャはからかうような視線を、レーデスへ向ける。
「それじゃあ、お前の息子も頼らせてもらうよ」
「――レミリオ、ですか……」
レーデスは、この隊列のどこかにいるであろう実子を思い出す。
「なかなかに頭が切れる若者と聞いておるぞ」
「いやいや。まだ未熟な若造でして……」
「ほう、そうかい――」
ミーシャは右手首をくるりと回す。
何かが割れるような音が、馬車の中に響いた。
「――傍受? この結界の中を?」
ラティスが虚空を見つめながら呟く。
「どうやら、悪戯好きな輩が入り込んでいたようだ。覚えがある魔力だが……どう思う、レーデス?」
ニヤニヤと顔を向けるミーシャから目を逸らすように、レーデスは口元を右手で覆いながら横を向く。
「――あとで、しっかり指導しておきます……」
「あまり責めてやるなよぉ。所詮は子供の悪戯、さ」
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隊列に加わる馬車の一つ。
女王が乗るそれよりもはるか後方で、窓際に一人の少年が座っている。
(――痛っ! 結界からはじき出されたか……)
女王のことだから、気づいてしばらく放っておいたんだろう。
「本当、悪戯が好きな女王様だ」
「おう、レミリオ。なんか言ったか?」
なんでもない、と背後の声に応じて、レミリオはまた片肘をついて車窓を眺める。
(父上だけじゃない――)
レミリオは、その拳を固く握る。
(僕も、全力で女王陛下を守りますよ……)
隊列は、夜通しその行軍を続け、北の要塞都市“ベロン”がレミリオの目に写ったのは、昼を少し過ぎたころだった。




