第十六話 魔滅少女と“塔”の魔人⑩
不定形の黒い靄が絶えず揺れ動き、周囲を取り囲む。
一目で、現実世界とは隔絶されていることを物語る異様な景色。
その空間の中心で、少年、少女のシルエットが対峙する。
「……ここは、あなたが作ったの?」
トンガリ帽子を被った少女、アイーシャは普段と変わらぬ口調で尋ねる。
「んー? そうだよ。この塔の中では、結構何でもできるからね、僕」
左右非対称で継ぎ接ぎだらけの服。
全体的に派手な色合いの少年、“塔”の魔人は薄ら笑いを浮かべ、軽々とした口調で答えた。
アイーシャは帽子の鍔を指先でつまみながら、“塔”の魔人を見つめる。
「……どうして……私を……殺さないの?」
「あぁ。別に、いつでも殺せるから」
「……じゃあ、殺す以外で……私と何がしたいの?」
「んー……」
“塔”の魔人は、アイーシャをからかうように、大仰に悩む素振りを見せる。
「まぁ、強いて言うなら、お話、かな」
「……お話?」
「あぁ。僕のキメラを悉く壊してくれた君と、お話がしたい」
「……私は……何も」
ガン、と鈍い音が響き、アイーシャの視界が右へぶれる。
何かに殴られた、と知ったのは、地面に倒れ込んだ後のことだった。
トンガリ帽子が頭から外れ、転がる。
「あのさぁ。あまり僕を舐めないでもらえる? これでも、魔人の中じゃ一番の知識人だよ、僕」
“塔”の魔人は、アイーシャの髪を鷲掴み、無理やりに目を合わせた。
――アイーシャの表情は、変わらない。
――その目からは、恐怖すらも伝わってこない。
「――ふんっ」
“塔”の魔人は、乱暴にアイーシャから手を離すと、どこからか円形のテーブルと椅子を二つ生み出す。
「座りなよ。お話、しよう」
椅子に座った“塔”の魔人は、片手でアイーシャを残った一つの椅子へ促す。
アイーシャは、訝しむ様子もなく勧められるままに腰を下ろした。
「意外に、素直なんだ」
「……殺す気なら……もうやってる……でしょ?」
アイーシャの返答を聞き、“塔”の魔人の口が横に大きく裂ける。
「いいねぇ。そう来なくっちゃ」
「……それで、何を……お話……するの?」
「お前、何でキメラの弱点、知ってたんだ?」
いつの間にか、“塔”の魔人からは、薄ら笑いが消えていた。
「……本で……読んだ」
「本? 人間どもは、魔物の研究なんざ碌にやってないだろ」
「……うん。……でも、読んだ」
「わけわからねぇ」
“塔”の魔人は困惑の表情で、天を仰ぐ。
「……私からも……いい?……お話」
“塔”の魔人は、アイーシャに目を向け、無言で先を促す。
「……あなたは……どうしてあんなこと……してるの?」
「あんなこと?」
「……キメラ製造」
スッ、と“塔”の魔人は目を細める。
空気が、変わった。
テーブルの上に出したグラスに、赤い液体が注がれている。
“塔”の魔人は一息でその液体を飲み干した。
空になったグラスが粉々に握りつぶされる。
「――悪いことだ、とお前も言うか?」
「……も?」
「キメラを見て、大概の魔人は言うよ。『そんなことしても無意味だ』ってな」
独白に近い“塔”の魔人の話を、アイーシャは静かに聞き入る。
「そんな奴らをぶっ殺して、俺は魔人の頂点に立つんだよ」
「……だから、魔物を……弄ぶの?」
「あぁ。俺は、自分じゃ戦わねぇ。命が大事ってな」
「……キメラは……矛であり……盾?」
”塔”の魔人は、アイーシャの言葉に口角を上げる。
「お前、やっぱ話分かるなぁ!」
アイーシャは、嬉々として語る“塔”の魔人の姿を眺める。
――なぜ、自分が連れてこられたのか。
“塔”の魔人は、自分に共感する存在を欲していたのだと、アイーシャは察した。
「……どうして、私が……そう、だと?」
アイーシャの一言で、“塔”の魔人は自分の真意が見透かされたことを看破する。
「だってよ。お前も同類だろ。自分では戦わない――お荷物だ」
「……私は……あなたとは……違う」
「違わねぇよ」
アイーシャの反論を、“塔”の魔人は即座に否定する。
「何も違わねぇ。結局はお前も、何の力も持たねぇ。何かに依存する存在だ」
アイーシャの目が、反抗の火を抱いて僅かに揺らいだ。
「……私は……ちゃんと……戦える」
「――じゃあ、やって見せろよ」
“塔”の魔人の右腕が伸び、アイーシャの首を鷲掴みにする。
そのまま、アイーシャの体は地面へと押し付けられた。
倒れた椅子の音が、ようやく耳に届く。
「ほぉら。やっぱりお前は弱ぇ」
「…………」
「このまま首を折ってもいいけど……。どうする?」
圧倒的な優勢の位置から、“塔”の魔人は余裕を全身で醸し出す。
「……一つ、いい?」
「遺言か? 誰も聞いちゃいねぇぞ」
「……絶対……あなたが……魔人の頂点に立つのは……無理」
「……あぁ?」
アイーシャの首にかかる手に、力が入る。
顔色一つ、変えることなく、アイーシャは続ける。
「……魔人の上に……魔王がいる……あなたは……一番には……なれない」
先に顔色を変えたのは、“塔”の魔人だった。
その顔は、驚愕と、焦燥に包まれる。
「お前、どうして、それを……」
「……『魔人は魔王の元で、魔物を使役し、人類を滅ぼさんとしている』」
――何度も繰り返し読んだ、古い古い手製の本。
――その一節は、いつ何時でも、引き出せる。
「……本で……読んだ」
ブワッ、と“塔”の魔人の顔から汗が噴き出す。
目の前の少女が、得体の知れない存在に映る。
――どこまで知っている。
――人間への流布は……観察した限りなさそうだ。
――こいつだけの知識か?
――いや、こいつに知識を与えた……“本”を書いた者がいる!
「――殺さなければ」
“塔”の魔人の目から、光が、感情が、消えた。
――殺さなければ。
魔人の脳内で、繰り返し、暗示のように同じ言葉が反響する。
機械的な動作で、アイーシャの首が締め上げられる。
アイーシャの顔が徐々に紅潮する。
アイーシャの視界が、白く弾ける。
さらに力を加えるべく、無機質な“塔”の魔人は前かがみに、アイーシャの眼前まで顔を近づけた。
「……ほら……」
僅かに残る酸素を吐き出すように、アイーシャはか細く声を上げる。
「……自分で戦わないから……すぐ油断する」
空虚な空間に、鈍い音が短く響いた。
首にかかる手から、急激に力が抜けていく。
アイーシャに馬乗りになっていた“塔”の魔人が、ゆっくりと左へ倒れていく。
その体が完全に地面に触れた頃、アイーシャはゆっくりと体を起こした。
“塔”の魔人は、自分を見下ろす少女と目が合う。
「――なに……を……」
「……『魔人の急所は、体のどこかにある紋章』」
アイーシャは、“塔”の魔人の後ろ首に突き立てたナイフを撫でる。
「……あなたの……魔力……流れを見た」
アイーシャの手は、ナイフの柄を握る。
「……ここだけ……ちょっとだけ……魔力の流れが違う」
アイーシャは、魔人の背に沿ってナイフを這わせる。
厚い布を裂く音が響き、その内部が露わになる。
――螺旋の塔を模した、禍々しい黒いタトゥーが、真っ二つに裂かれた。
「おま……え。……なに……も……の……」
その造形が徐々に崩れ、“塔”の魔人は黒煙と化していく。
恐怖に震える魔人の目を、アイーシャは静かに見つめていた。
やがて、魔人の体は完全に消滅する。
一人取り残された空間にアイーシャはポツンと立っていた。
「……わたしも……戦える」
アイーシャは、落ちたトンガリ帽子を拾い上げ、頭にのせる。
「……役に立ったよ……クリミア……」
名前を呼んだ瞬間、アイーシャの心に広がるのは、遠い日に感じた温かさ。
「……帰ろう」
アイーシャは、ゆったりと虚空に手を掲げる。
「……帰ろう。……みんなのところに……」
パリンーー。
まるでグラスが割れるように、黒い靄に覆われた空間が崩壊していく――。




