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03 祝電のない結婚式

 “おめでとう”の空通知は、昼の終業ベルの直前に届いた。

 市内の結婚式場からの問い合わせ。祝電が一通も記録に残っていないという。スライドショーの終盤で、新婦のスマホに通知だけが連なり、本文はすべて空白だった。


「紙の祝電も来ていません。台紙の在庫はあるのに、使用記録がゼロ。……式場としては前代未聞です」

 電話の相手は式場の担当者。押し殺した声に焦りが浮く。

「新婦さまは大丈夫ですか」

「はい……あの、新婦の旧姓と、前婚歴に関わる事情が僅かに……。失礼しました。こちらからは何とも」


 私は黒革の手帖を開く。

 祝電には紙の系譜がある。台紙の型番と、郵便の料金改定の刻み。祝電代行会社の消印コードは癖が強い。どれも、過去を紙に閉じ込めるための印だ。


【相談】式場:祝電ゼロ/スマホ通知“空白”

【人】新婦:旧姓の扱い注意/前婚歴?

【紙】台紙在庫あり/使用ゼロ

【仮】“祝電そのもの”ではなく“祝福の関係”の消去

【縦】第三の消印、出るか


「行きましょう」

 隣で亜麻音がもう制服に腕を通していた。

「紙の匂い、好きなんです。祝電のは澱んだ甘さがする」



 式場は川沿いのガラス張り。館内の香りは白い花のようで、後ろに糊の匂いが微かに潜む。

 控室で、新婦と新郎が並んで座っていた。新婦は落ち着いた目元だが、瞼の縁に残る赤みが眠気にも似ている。新郎は肩に力が入りすぎている。


「忘却管理局、郵務三課の篠原です。祝電の件で」

 形式の挨拶を終え、私は祝電の台紙在庫を見せてもらう。棚にはK-11とK-13の二種。K-12だけが抜けている。

 私は背表紙に指を滑らせた。

 紙の繊維の目が、微妙に違う。K-11は光沢が強く、K-13は手触りが柔らかい。K-12は、指が吸い込まれるような鈍い滑りをするはずだ。


「料金改定は?」

 式場担当者が言う。「二年前の秋に改定があり、祝電料金は据え置きでしたが、台紙の型番は入れ替わりました」

「つまり、旧型番K-12は二年前で廃番。現在の在庫はK-11(古在庫)とK-13(現行)」

「はい。K-12は、ちょうど新婦様の前婚の頃に主流だった型です」

 新郎の指がぴくりと動く。新婦は視線を落とし、微かに頷いた。


【台紙】K-11(古)/K-13(現)/K-12欠

【改定】二年前秋:型番入替

【人】K-12期=新婦の前婚に重なる

【仮】“祝福メディアの記憶”の選択的消去


 私は式場の電報受付ログを確認する。

 本来なら祝電代行会社から式場へ紙が届く時間帯がある。搬入記録は?

 担当者が首を振る。「搬入自体がゼロです。午後の便に乗っていない。代行会社の受付サーバには“受理”の記録が複数ありますが、添付ファイルが空」

 スマホの通知ログを新婦に見せてもらう。

 送信者はバラバラ、本文は空白。だが件名は“おめでとう”と“Congratulations”の二種類にほぼ分かれる。

 本文部分のフォントメトリクスは、空白でも均一ではない。改行コードが入り、不可視文字が混ざっている。


「新婦さん。旧姓であなたに電報を送った人はいますか」

「……祖母が。紙が好きで。前のときも、K-12の白い台紙のを。あの人、台紙の手触りでいつも選ぶから」

「前のときも?」

「はい。……前のときは、結婚式はしませんでした。親族だけの小さな食事会で、祖母は『おめでとう』とだけ書いて、白い台紙を……」


 新婦の声が少しだけ掠れた。

 私は、テーブルの上に置かれた指輪ケースに目をやる。新しい指輪の刻印は鮮やかな縁だ。

 新郎が気づき、少し照れながら言う。「今朝、お互いのを磨き過ぎちゃって。式場の方に怒られて」

「失礼ですが、古い指輪は」

 新婦は一瞬だけ固まり、それからバッグから小さな布袋を出した。中には、刻印が摩耗した細いリング。

「それは……前のものです。返したはずなのに、返された。『あなたが持っていなさい』って」


 私はリングの内側に目を凝らす。

 刻印はかろうじて読める。“L to S”、そして日付。ちょうどK-12の全盛期。

 リングの摩耗の方向が少し変だ。普通は皮膚との接触で均一に削れる。けれどこれは、一点に力が偏っている。別のリングに重ねてつけていた痕だ。


【モノ】旧リング:重ね付け痕/刻印摩耗

【香】台紙K-12の糊=今は廃番

【仮】“前婚にまつわる祝福メディア”の消去が連動し、現祝電まで巻き添え


「幽書屋の手口の一つに、“過去の節目に紐づく対義語を消す”やり方があります」私は手帖に書きながら言う。「別れにまつわるものを消したら、出会いにまつわるメディアまで関係の網目で引きずられる。祝電は網目の中心に近い」

 新郎が息を呑む。

「じゃあ、『おめでとう』が、前に消した何かのせいで……」

「巻き添えで薄くなっている可能性があります。違法な集合忘却の疑いが濃い。K-12台紙に対する操作が行われ、その**“祝福の回路”が今**にも影響している」


 私は式場のストック棚を見せてもらった。

 白い段ボール箱の奥、薄い紙粉が溜まっている。

 その粉を指でぬぐい、匂いを嗅ぐ。……海藻糊の甘さの奥に、微かな蒼。

 箱の内側に、肉眼では見えない凹み。∅――空集合の圧痕だ。

 ここでも、瓶の口が押されている。K-12のストックを狙い、“祝福の口”を閉ざした。


【現場】在庫箱内に“∅”圧痕(蒼)

【経路】代行会社→式場/中継:指輪工房?

【仮】リング工房を経由して“祝福回路”を撹乱


「新婦さん。指輪を作った工房はどちらですか」

 新婦は店の名を出した。そこは式場の提携先で、彫金と刻印に強い。

 私は頷き、式場担当の許可を取り、工房へ向かった。



 工房は古い煉瓦造りの二階。階段を上ると金槌の音が微かに響く。扉を開けると、銀の粉が浮遊していた。

 カウンターの奥に、細身の職人が立っている。目元にルーペをかけたまま、こちらを見た。


「忘却管理局の篠原です。祝電台紙の箱に、圧痕が付いていました。こちらの工房に在庫預かりがあると聞いて」

 職人の動きが止まる。

「預かりはしていませんよ。……昔は結婚式場の備品を一部保管してましたが、今は」

「昔?」

「二年前まで。料金改定の前に、まとめてK-12をね。印刷会社が潰れて、在庫を引き取ったんです。紙が好きなお客さんが多かったから」


 私は作業台の上の瓶に目を落とす。

 透明な瓶。口の縁が蒼く、薄く擦れている。

 横に置かれた赤ゴム印は「至・式場」。

 スタンプ台にはインクがない。

 私は瓶の口をそっと紙に押してみる。凹む。インクは出ない。圧だけが残る。


「瓶で押すんですね」

 職人はルーペを外し、視線を逸らした。

「誰が、そんなことを」

「質問を変えます。左利きの方はここに?」

「……主任が。今は辞めてます。二か月前に」

 私は亜麻音と目を合わせた。

 未入力転送が始まったのは、ちょうど二か月前。


 工房の奥の棚に、古い台帳があった。

 私はページをめくる。新婦の旧姓、指輪の注文歴、刻印の書体。

 そこに、薄い圧。ページの角に**∅が押されている。

 そこから先のページの紙の目**が微かに乱れている。水に濡らして乾かした紙の波。

 消す前に、一度濡らした――紙の繊維を緩め、凹みを深く通すために。


【工房】瓶口=“∅”圧痕/台帳角にも痕

【人】左利き主任:二か月前退職

【仮】幽書屋の下請け/“祝福回路”の栓を閉める役


「主任の退職先を」

 職人は逡巡して、メモに一行書いた。

 私はそれを手帖に貼付し、工房を辞した。



 式場へ戻ると、夕陽がガラスに溶けていた。

 私は新郎新婦の前に座り、仮復元の方針を伝える。


「今回の対象は“祝福の回路”です。記憶そのものではなく、回路の通り道を案内で補います」

「案内?」新郎が首を傾げる。

「式場内の掲示、スライド、紙の順序を微調整します。K-12の触感と糊の匂いを、K-13に重ねて再現する。本文は空白でも、“おめでとう”の通り道を用意します」


 私は式場スタッフと手分けし、以下の三つを行った。

 ① スライドの最終ページにK-12台紙の透かしを薄く重ね、旧フォントの“おめでとう”のアウトラインだけを載せる(文字情報はない)。

 ② 受付の花の間に、K-12の糊に似た香りの海藻スプレーを一吹き。

 ③ 紙席札の縁に、薄墨で圧痕風の円をつける(**∅**とは違う、満ちた円)。


【仮復元案内】

・スライド:透かし+アウトライン

・香り:海藻糊微香

・紙席札:満ちた円(∅の反転)

→ 目的:“祝福の回路”の道案内を敷設


 披露宴の後半、新婦の友人代表の挨拶が終わるころ、空通知がまた届いた。

 スマホ画面に“おめでとう”の件名。本文は空白――のはずが、一瞬、指の腹で撫でるように画面をなぞると、微かな凹凸が伝わる感覚がある。

 振動が違う。触覚が、空白の中に輪郭を描いた。


 新婦が息を吸い、画面を胸に当てた。

 新郎が手を重ねる。

 私はスライドの最後のページに目をやった。

 旧フォントのアウトラインが光を拾い、紙の繊維のように見えた。

 拍手が起きる。誰かが泣く。名前は呼ばれない。だが、祝福は通った。


【処理結果】“祝福回路”案内により、空通知→触覚の輪郭へ

【副次】掲示と香りでK-12→K-13の橋渡し成功

→ 結論:祝うことは名前でなく道で可能。回路を閉ざす**∅**に対し、満ちた円で上書き



 閉式後、私は控室で新婦の祖母の写真を見せてもらった。

 白髪の女性が、白い台紙を持って笑っている。手に触れた紙が好きだったのだろう。

 新婦は写真を見つめ、静かに言った。

「名前がなくても、届くんですね」

「届かせるのが、私の仕事です」


 式場を出ると、亜麻音が風を嗅ぎ、眉をひそめた。

「官報の匂いがします」

「官報?」

「紙の塗工とインクの油。それに……PDFの焼きこみの匂い」

 私は笑ってしまう。言語として正しいのかは置いて、彼女の比喩は真を射る。

「官報のPDFに、一行だけ余白が出た、と監視アラートが上がってます」

 局からのメッセージ。

 一行の余白。消されたのは、条文ではなく――**“施行日を待つ記憶”**かもしれない。


 手帖を閉じる。

 第三の消印は今日も薄い。けれど、私の字は濃い。

 忘れたものではなく、今届けるものに鉛筆の芯を倒す。


――――

次回予告:04「官報の余白」

官報PDFの一行の空白。差替え履歴のハッシュが示すのは、法の抜けか、誰かの“待っていた日”の欠落か。


応援:★面白かったらブクマ&一言感想が、次の配達路ルートを開きます。

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