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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第10章 消えない記憶と二人の葛藤(2月/3月)
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第97話 バレンタインと見えない壁

 二月十四日、バレンタインデー。その特別な響きを持つ一日は、朝から、学校中をそわそわとした甘い空気で包み込んでいた。


 廊下のあちこちで、女子たちが、可愛らしくラッピングされた小袋を交換し合っている。

 男子たちは、平静を装いながらも、どこか、落ち着かない様子で自分の机の引き出しを、何度も確認していた。


 俺、桜井さくらいかけるも、その浮き足立った空気の例外ではなかった。

 いや、むしろ、俺こそが、この学校で一番そわそわしていた男かもしれない。


(……陽菜、……くれる、かな)


 心の中で、何度そう呟いただろう。

 俺たちは恋人同士だ。

 だから、きっとくれるはずだ。


 でも、もし、くれなかったら?

 そんなくだらない不安が、俺の心を支配する。

 授業中も、陽菜の小さな後ろ姿ばかりが気になって仕方がなかった。



 放課後。

 俺が、教室で、帰る準備をしていると、楓と沙織がやってきた。


「はい、桜井くん。これ、いつもお世話になってるから」

「義理だけどね! 勘違いしないでよ!」


 二人はそう言って、小さな可愛らしい袋を、俺の机の上に置いた。


「……おう。サンキュ」


 俺がそう言って礼を言うと、二人は満足そうに頷いて去っていった。

 そのやり取りを見ていた健太が、ニヤニヤしながら俺の肩を叩く。


「やるじゃねぇか駆。お前も、隅に置けねぇな」

「……義理だって言ってただろ」

「まあまあ。……でも、わざわざ持ってきてくれるってのは、なぁ」

「……うるせぇ」


 健太のからかいを受け流しながら。

 俺の視線は、自然と教室の入り口へと向いていた。

 陽菜は、どこ行ったのか。


 俺の心臓が、焦りと期待でドキドキと鳴っていた。


 その時だった。教室の後ろのドアがガラリと開いた。神崎だった。

 神崎は、俺を一瞥すると、ふん、と鼻で笑い、陽菜の席へと近づいていく。

 そして、その机の上に、何か小さな箱を置いた。 ブランド物の高級そうなチョコレート。


(……てめぇ)


 俺の胸の奥で、黒い炎が燃え上がる。

 まだ諦めていなかったのか、こいつは。

 俺が神崎を睨みつけていると、教室の前のドアから陽菜が入ってきた。


「おぉ日高、おつかれ。これ、俺からだ。……まあ義理だけどな」


 神崎が、キザなセリフと共にチョコを指さす。

 陽菜は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに困ったように曖昧に笑った。


「あ、ありがとう、神崎くん。……でも、ごめんね。私、もう……」


 陽菜が、何かを言いかけた、その時。 俺は気づけば立ち上がっていた。

 そして、陽菜の、腕を、掴んでいた。


「……行くぞ、陽菜」

「え、ちょ、カケル!?」


 俺は何も言わずに陽菜の手を引いて、教室を飛び出した。

 背後で、神崎の驚愕に満ちた声が聞こえた気がした。





「……ご、ごめん、陽菜。……急に」


 学校を出て、帰り道を歩きながら、俺は、ようやく、そう言った。


「……ううん。……大丈夫だよ」


 陽菜は、少しだけ息を切らしながら、でも嬉しそうにそう言った。 そして、恥ずかしそうに俯きながら、一つの小さな紙袋を、俺の前に差し出してきた。


「……あのさ、カケル。……このまま帰るの、やだな……。……お部屋で、これ渡したいから」


 その、あまりにも可愛らしいお誘いに、俺はどんな表情をしたらいいのかわからなくなった。感情が波打ち、俺は陽菜に、ただ黙って頷くことしかできなかった。



 俺の部屋。二人きりになるのは、クリスマスの夜以来だった。

 

「……あのね、カケル。……これ……受け取ってくれるかな」


 陽菜が少し緊張した声で、紙袋を差し出してくれる。

 俺は、少し震えた手で、その紙袋を受け取った。

 中には、手作りの、ハート型のチョコレートが、入っていた。


「……これ、今、食べていいか?」

「うん。もちろんだよ。……カケルのために、作ったんだから」


 陽菜は、そう言って笑顔を見せてくれた。 俺は、そのチョコレートを、一口食べた。 甘くて、少しだけほろ苦い。これは、世界で一番美味いチョコレートだ。


「……うまい」

「……ほんと?」

「……おう。……世界一、うまい」


 俺の、不器用な言葉に。 陽菜の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。そして最高の笑顔で笑った。

 俺は、その笑顔に吸い寄せられるように、顔を近づけていった。





 カケルの顔が近づいてくる。

 私は、そっと目を閉じた。


 唇に触れる柔らかな感触。

 甘いチョコレートの味。

 そして彼の味が混じり合う。


 幸せで胸がいっぱいだった。


 もっと。 もっと、カケルを感じたい。

 そう思った、その時だった。



 キスが、少しずつ深くなっていく。

 カケルの大きな手が、私の腰を優しく引き寄せた。

 私も、カケルの広い背中に腕を回す。

 カケルのもう片方の手が、私の背中を、ゆっくりと撫で始めた。



 そして、カケルは、私を優しくベッドに横たえた。

 

 カケルが、私を優しく見つめている。








(……やだ)




 頭の中で声がした。


 違う。 違うのに。


 カケルは優しい。


 私を傷つけるようなこと、絶対にしない。



 わかってる。

 わかってるのに。



 カケルが、私を、ベッドの上に優しく押し倒したその瞬間。


 私の体に跨る、獣のような熱い息遣いが。


 私のワンピースを引き裂いた、あの音が。


 あの暗闇での絶望的な記憶が、一瞬で蘇り、私の頭の中を埋め尽くした。



 勝手に身体がこわばる。


 呼吸が浅くなる。


 心臓がバクバクと、嫌な音を立てて速くなっていく。



(……違う、カケル、ごめん、違うの……!)



 心の中で叫ぶ。


 でも、声が出ない。


 身体が、動かない。


 ただ、涙だけが、頬を伝っていく。





 陽菜の身体がこわばっている。

 ベッドの上で、小刻みに震えている。


 俺は、ハッとして、彼女から身体を離した。


「……陽菜?」


 目の前の彼女の顔を見て、俺は、息を呑んだ。

 その顔は真っ青で。大きな瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。

 その瞳に浮かんでいるのは、喜びじゃない。 怯えだった。


「……ごめん」


 俺は、絞り出すようにそう言った。


 俺のせいだ。

 俺が、また、陽菜を傷つけた。


 体育倉庫での、あの事件。

 陽菜の、心の傷は、まだ、癒えていなかったんだ。

 それなのに、俺は、自分の欲望のままに、陽菜を求めようとした。


 俺は、あの西園寺と、同じじゃないか。


「……わりぃ。……俺、……最低だ」


 俺が自分を責めていると。

 陽菜が震える手で、俺の頬に、そっと触れた。


「……違うよ、カケル」


 その声は、涙で震えていた。


「……違うの。……カケルは、悪くない。……私が、……私がダメなだけなの。……ごめんね。……本当は、私もカケルと、もっと触れ合いたいのに。……身体が、勝手に怖がっちゃうの……」


 その痛々しい告白に。俺の胸は、張り裂けそうだった。

 俺は、なんて馬鹿だったんだろう。

 俺が、すべきことは一つしかない。


 俺は彼女の小さな身体を、もう一度、今度は、壊れ物を扱うように、優しく優しく抱きしめた。


「……ごめん、陽菜。……俺が、焦りすぎてた。……お前が、一番、辛いのにな」

「……カケル……」

「……いいんだ。……焦らなくて、いい。……俺たちは、まだ、始まったばかりなんだから。……ゆっくり、行こうぜ。……お前の、ペースで」


 俺のその言葉に、陽菜は、俺の胸に顔をうずめて、子供のように声を上げて泣いた。

 俺は、ただ、その小さな背中を、優しく撫でてやることしかできなかった。


 俺は誓った。

 絶対に、陽菜を傷つけないと。

 陽菜の心の傷も、俺が、全部受け止めてやると。


 見えない分厚い壁。

 でも、きっと乗り越えられる。


 俺は、そう信じていた。

 そうでないと、どうしようもない不安に押しつぶされそうだった。




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