第93話 二人の初詣
一月一日、元旦。新しい年を迎えた。
俺、桜井駆は、少しだけ着慣れない、新調したコートの襟を立てながら、隣の家の玄関をじっと見つめていた。
今日は、陽菜と初詣に行く約束をしていた。
恋人として、初めて迎える新年。その特別な響きに、俺の心は、朝からずっと浮き足立っていた。
――ガチャリ。
陽菜の家の玄関のドアが開く。
そして、そこに現れた彼女の姿を見て、俺は呼吸を忘れた。
「……お待たせ。……行こっか」
そこに立っていたのは、俺の知らない日高陽菜だった。いや違う。俺の知っている誰よりも可愛い陽菜が、今までで一番綺麗な姿でそこに立っていた。
淡いクリーム色を基調とした華やかな振袖。色とりどりの花の刺繍が、上品にあしらわれている。
髪は綺麗に結い上げられ、可愛らしいつまみ細工の髪飾りが揺れていた。
薄く化粧を施したその横顔は、修学旅行のときに見た舞妓姿の時とは違う、清楚で凛とした美しさを放っている。
その完璧な和服美少女の姿に、俺は言葉を失っていた。
「……カケル?」
俺が固まっていると、陽菜が不安そうな顔で俺の名前を呼んだ。
その声で、俺はハッと我に返った。 ダメだ、俺。ここで見惚れてるだけじゃダメなんだ。 俺はもう、陽菜の彼氏なんだから。
「……いや、……その……」
俺は震える唇を、必死に動かした。
「……すげぇ、……綺麗だ。……今まで、見た、どんな陽菜より、……一番、綺麗だ」
俺の、その不器用な言葉に、陽菜の顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなる。
「……ほんと?」
「……おう。……マジで、……心臓、止まるかと、思った」
「……ふふっ。……よかった……」
陽菜は、嬉しそうにはにかんだ。
その笑顔を見て、俺の心臓は、もう限界だった。
俺は、この笑顔を、一生守り続けなければならない。
◇
俺たちが向かった近所の神社は、新年を祝う大勢の人でごった返していた。参道には屋台がずらりと並び、甘酒の甘い香りが漂ってくる。
その賑やかな喧騒の中を、俺たちは並んで歩いていた。 陽菜の、慣れない草履の歩幅に合わせてゆっくりと。
「うわっ!」
不意に後ろから来た子供に押されて、陽菜がよろめいた。
俺は、とっさにその手を掴んだ。
「……大丈夫か?」
「う、うん。ごめん……」
◇
カケルと手を繋いでいる。
それが、当たり前みたいに、自然なことになっている。
前まで、あんなにぎこちなかったのが嘘みたいだ。
カケルの大きくてゴツゴツした手のひら。その温もりが、私の心の奥までじんわりと温めてくれる。 もう、離したくない。 ずっと、こうしていたい。
私の振袖姿を見て、カケルは「綺麗だ」って、言ってくれた。あの、カケルが。
カケルのその一言だけで、私は、もう舞い上がってしまいそうだった。
この日のために、お母さんと一緒に、何時間もかけて着付けを頑張って本当によかった。
カケルに可愛いって思ってもらいたい。カケルの特別な一人になりたい。ずっと、想っていた願い。そうした想いが結ばれた奇跡みたいなこの時間が、愛おしくてたまらなかった。
◇
拝殿の前には、長い長い列ができていた。
俺たちは、その最後尾に並ぶ。陽菜と手を繋いだまま。
周りのカップルたちが、俺たちのことをちらちらと見ているのがわかる。その視線が少しだけ誇らしかった。
そうだ。陽菜は、俺の彼女なんだ。世界で一番可愛い俺だけの彼女なんだ。
その、どうしようもない独占欲が胸を満たす。
ただ手を繋いでいるだけじゃ足りない。
俺は繋いでいた手を、一度、そっと離した。
陽菜が、びくりとして、不安そうな顔で俺を見る。
その瞳が「どうして?」と問いかけている。
俺は、何も言わずに、もう一度、彼女の小さな手を取った。
そして、今度は。 指と指を絡ませるように、固く固く握りしめた。
恋人つなぎ。
俺が、ずっとしたかった、でも、できなかった、恋人だけの特別な、繋ぎ方。
◇
(……あ)
カケルの、指が。 私の指の間に、するりと入ってきた。
そして、ぎゅっと絡め取られる。
恋人つなぎ。
私が、ずっとずっと憧れていた、特別な、繋ぎ方。
心臓がきゅんと音を立てて甘く締め付けられる。
熱い。
彼の手のひらから伝わってくる熱が、私の全身に駆け巡っていくようだった。
ただ手を繋ぐのとは、全然違う。
もっと直接的に、彼の想いが伝わってくる。
指と指が触れ合う、その小さな接点から、彼の、ドキドキが、私のドキドキと重なって、一つの大きな鼓動になっていくみたいだった。
顔が熱くて、どうにかなりそう。
私は、俯いたまま、彼の顔を見れない。
でも、彼に私の気持ちが伝わるように。
私も同じくらいの力で、ぎゅっと、その手を握り返した。
◇
陽菜が、俺の手を、強く握り返してくれた。
その小さな指先の力強さが、陽菜のすべての気持ちを、俺に伝えてくれているようだった。俺は、それだけで、もう、十分だった。
やがて俺たちの番が来た。
俺たちは、並んで、賽銭箱の前に立つ。
そして、目を閉じて、静かに手を合わせた。
(……神様)
俺は、心の中で祈った。
(どうか、これからも、ずっと。陽菜の隣で笑っていられますように。陽菜の笑顔を、俺が守り続けられますように……)
隣で、陽菜も何かを必死に祈っているようだった。
その綺麗な横顔を、俺はそっと横目で見た。
この時間が永遠に続けばいいのに。そう本気で思っていた。