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第91話 初めての「おはよう」

 俺たちの、恋人としての初めての夜は、世界で一番、甘くて、温かい、キスと共に静かに更けていった……なんて、綺麗な思い出のまま終わるはずがなかった。


 俺たちが、ソファの上で、二度目、三度目のキスを夢中で交わしていた、そのときだった。

 ――ガチャリ、と。 玄関のドアが開く音がした。そして、リビングのドアが勢いよく開け放たれる。


「ただいまー! いやー、美味しかったわねぇ!」

「本当ね! 航くんには、感謝しないと!」


 そこに立っていたのは、最高にご機嫌な、俺たちの両親だった。

 四人はリビングのソファで、唇を重ねんばかりの距離で、固まっている俺たちを見て、一瞬だけ、きょとんとした顔をした。


 そして次の瞬間。すべてを察したのだろう。四人は顔を見合わせて、ニヤリと悪戯っぽく笑った。


「「「「お邪魔だった?」」」」


 その完璧にハモった、からかうような声に、俺と陽菜は、地球の裏側まで逃げ出したくなった。





 クリスマスの朝。


 俺、桜井さくらいかけるは、自分の部屋のベッドの上で、天井を睨みつけながら、昨夜の出来事を思い出していた。


 陽菜と恋人になった。そして陽菜との初めてのキス。その、甘くて、柔らかな感触。思い出すだけで、顔から火が出そうになる。

 そして、その直後に訪れた、地獄のような気まずい時間。親たちからの生暖かい視線とニヤニヤが止まらない尋問タイム。

 天国と地獄。 その両方を、一晩で味わってしまった。


(……でも)


 俺は、ベッドから起き上がった。

 窓の外は快晴だ。昨日までの俺とは違う。

 俺は、もう陽菜の「彼氏」なのだ。

 その事実が、俺の胸を温かいもので満たしていく。


 俺は顔を洗い、髪をセットし、昨日よりも少しだけ自信に満ちた足取りで、階下へと降りた。


 リビングでは、母親が朝食の準備をしていた。

 俺の顔を見るなり、ニヤニヤと笑ってくる。


「おはよう、カケル。……昨日は、よく眠れた?」

「……うるせぇ」


 俺は、照れ隠しにそう言って、席に着いた。

 もう何を言っても無駄だ。


 カレンダーが目に入る。十二月二十五日。

 今日、陽菜は、何してるんだろう。

 昨日、あんなことがあったから、気まずくて会ってくれないかもしれない。

 

 でも会いたい。

 声が聞きたい。

 顔が見たい。


 俺は、意を決してスマホを手に取った。





 クリスマスの朝。


 私は、自分の部屋のベッドの上で、枕に顔を埋めたまま動けずにいた。

 昨日の夜の出来事が、何度も、何度も、頭の中で再生される。


 カケルからの告白。

 月のネックレス。

 そして、初めてのキス。


 その一つひとつが、あまりにも甘くて幸せで。私は、もう、どうにかなってしまいそうだった。

 でも、その後の、お父さんたちの乱入。恥ずかしすぎて、死んでしまうかと思った。


(……今日、どんな顔して、カケルに会えばいいの……)


 私は、ベッドの上でごろごろと転がり回る。その時だった。

 

 ――ピコン、と、スマホが鳴った。

 

 カケルからのメッセージ。


『おはよう』


 たった四文字。


 でも、そのシンプルな言葉に、彼の不器用な優しさが、全部、詰まっている気がして。私の胸は、温かいものでいっぱいになった。


 私も返信する。


『おはよう、カケル』


 すぐに既読がついた。

 でも、そこから返信がない。


 数秒が、数分のように感じられる。

 長い、長い沈黙。


 ドキドキしながら、画面を見つめていると、新しいメッセージが届いた。


『あのさ、陽菜。もしよかったらなんだけど』

『今日、もう一日、一緒に過ごしてくれないか』


 カケルが誘ってくれた……。

 嬉しさが溢れてくる。

 以前、舞に言われた言葉が蘇る。


『あんたは桜井くんのために、二日間、予定を完全に空けておくこと!』


 舞は、やっぱり、天才だ。


『うん! もちろん!』


 私は、震える指で、そう返信した。

 すぐに、彼からスタンプが一つだけ送られてきた。

 嬉しそうに、ガッツポーズをしている犬のスタンプ。


 思わず、笑顔になってしまう。 


「ふふっ」





 よかった。 OKしてくれた。

 俺は、スマホを胸に抱き、そしてベッドの上で、意味もなく転がり回る。

 嬉しくてたまらない。


 俺たちの、恋人としての初めての一日が始まる。


 俺は、慌ててベッドから起き上がると、クローゼットを開けた。

 何を着ていこう。 どこへ行こう。 考えるだけで楽しくて仕方ない。


 俺たちの恋人としての、初めての朝は、世界で一番、甘くて、温かい「おはよう」と共に始まった。






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