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第90話 二人きりの聖夜

 イルミネーションの光の海から、俺たちは、夢見心地のまま、帰り道を歩いていた。


 繋いだ陽菜の手が温かい。さっきまでの凍えるような寒さが嘘のようだ。  

 俺の心の中は、陽菜の「大好き」という言葉だけで、春みたいに温かかった。


「……」

「……」


 二人の間に会話はない。

 でも、その沈黙は、今までで一番心地よかった。


 何を話せばいいんだろう。恋人同士って何を話すんだろう。俺のヘタレな頭では何も思いつかなかった。

 ただ隣にいる陽菜の、その存在を感じているだけで幸せだった。


 やがて、見慣れた家の前の道に着く。

 俺たちの家の明かりは、どちらも消えていた。


 その暗闇を見て、俺は思い出した。

 今日の昼間、航から届いたメッセージを。


『兄貴へ。今夜、親父たちは日高家の皆さんと、俺がプレゼントしたディナー券で、お食事会です。帰りは遅くなると思われます。……まあ、せいぜい頑張れや』


 あの時は、何を言っているんだ、こいつは、としか思わなかった。でも今ならわかる。 あいつが、俺たちのために用意してくれた最高の舞台だということを。

 俺は、心の中で弟に最大限の感謝をした。


「……陽菜」

「……うん」

「……うち寄ってかねぇか? ……親、いねぇし。……その、……準備、してるんだ」


 その精一杯の誘いに、陽菜は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。

 そして次の瞬間、顔を耳まで真っ赤にして、でも最高に嬉しそうな笑顔で、こくりと小さく頷いた。





 俺の家のリビング。

 クリスマスツリーの柔らかな光が、静かな部屋を照らしている。


 俺は、キッチンでごくりと唾を呑んだ。

 陽菜と二人きり。 俺の家で。 その事実に、頭がクラクラする。


 俺は、大きく息を吸い込んだ。

 大丈夫だ、俺。 俺は、もう陽菜の彼氏なんだから。

 その言葉が、俺に不思議な勇気をくれた。


「……わりぃ、ちょっと待っててくれ」


 俺は、リビングでそわそわと待っている陽菜に声をかけると、冷蔵庫から、いくつかの箱を取り出した。

 それは、俺が、この日のために、こっそりと予約し、準備しておいたテイクアウトのディナーだった。

 莉子ちゃん経由で聞き出した、陽菜の好きなイタリアンのお店の特製オードブルとパスタ。 そして、小さなクリスマスケーキ。


「……カケル、これ……」


 テーブルに並べられた料理を見て、陽菜は、驚いたように目を見開いている。


「……お前、お腹、減ってるだろ……一緒に食べたいなって思って」


 俺は、照れ隠しにそう言った。

 本当は違う。 ただ、陽菜を喜ばせたかっただけだ。

 陽菜の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。


「……すごい。……すごいよ、カケル……。……私のために、こんな……」

「……別に。……たいしたこと、してねぇよ」

「ううん。……嬉しい。ほんとに嬉しいよ」


 陽菜は、そう言って、心からの幸せそうな笑顔で笑った。


 二人だけの、ささやかなクリスマスパーティー。

 美味しい料理と甘いケーキ。

 そして何より、隣で笑う陽菜の笑顔。


 そのすべてが、俺にとって最高のプレゼントだった。





 食事を終え、俺たちはソファに並んで座っていた。

 二人で、黙ってクリスマスツリーの光を眺める。

 甘くて温かい空気が、俺たちを包み込んでいた。


「……あのさ、陽菜」

「ん?」

「……これ、プレゼント。もうひとつ、あるんだ……」


 俺はそう言って、ポケットの中から、もう一つのプレゼントを取り出した。

 イルミネーションの下で渡せなかった、もう一つの想い。


 新しい水色のリストバンド。


「……これ……」

「……おう。……陽菜が、ずっと大事にしてくれてた、あのお守り。……嬉しかった。……でも、あれは、ただの幼馴染の俺があげたものだろ?」

「……うん」

「……だから、これからは、……これが、陽菜の新しいお守りだ。……彼氏として……陽菜を守るっていう、印」


 俺の、精一杯の言葉に。

 陽菜は、また瞳を潤ませた。

 そして、最高の笑顔で頷く。


「……うん。……ずっとずっと大事にするね……」


 陽菜はそう言って、新しいリストバンドを、その白い手首に着けてくれた。

 すごく似合っていた。





 カケルがくれた新しいリストバンド。


 私の新しいお守り。


 カケルが、私の、彼氏としてくれる初めてのプレゼント。


 私は、そのリストバンドを、そっと撫でた。

 彼の想いが伝わってくるようで、胸が温かくなる。


「……カケル」

「……ん?」

「……ありがとう。……本当に、ありがとう」


 私がそう言うと、彼は照れくさそうに、でも真っ直ぐに、私を見つめてきた。


 その瞳に吸い込まれそうだった。

 もう言葉はいらなかった。 私たちの心は、もう一つになっていたから。





 俺は、陽菜の潤んだ瞳を見つめていた。

 そして、ゆっくりと顔を近づけていく。


 陽菜は、そっと目を閉じた。

 その答えに、俺の最後の勇気が生まれた。


 俺たちの、唇が、そっと重なった。

 柔らかくて、温かくて、そして、どうしようもなく甘い、初めての感触。


 それは、観覧車での、あの続きなんかじゃなかった。

 もっとずっとリアルで、温かくて、陽菜の味がした。


 時間が止まった。

 世界には、俺と陽菜、二人だけしかいない。

 そう、思った。



 どれくらいの時間、そうしていただろう。

 俺たちは、ゆっくりと唇を離した。


 二人とも、顔を真っ赤にして息を弾ませている。

 陽菜の、大きな瞳が潤んでキラキラと輝いていた。


 その瞳に、俺の間の抜けた顔が映っている。

 俺たちは、顔を見合わせて吹き出してしまった。


「「ふふっ……あはははは!」」


 幸せだった。

 ただ、ひたすらに幸せだった。


 俺は、もう一度、彼女の小さな身体を優しく抱きしめた。


 俺たちの、恋人としての初めての夜は。

 世界で一番、甘くて、温かい、キスと共に静かに更けていった。


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