第89話 聖なる夜の奇跡
「……陽菜」
俺が声をかけると、陽菜は、びくりと肩を震わせ、こくりと小さく頷いた。
声が震える。
情けない。
でも、もう逃げない。
俺は、震える手で、陽菜の冷たくなった手を、そっと取った。
その小さな手を、両手で包み込む。
自分の熱が、陽菜に伝わっていくのがわかった。
そして、真っ直ぐに陽菜の目を見つめた。
俺は、大きく息を吸い込んだ。
「……あのさ、陽菜」
「……うん」
「……俺、……今まで、ずっと言えなかったんだけど」
言葉が詰まる。
頭の中が、真っ白になる。
練習した言葉なんて、全部どこかへ飛んでいってしまった。
でもいい。 俺の言葉で、伝えればいいんだ。
「……俺、……陽菜のことが、好きだ」
言ってしまった。
ずっとずっと言えなかった、たった三文字。
その言葉は、冬の冷たい夜空に吸い込まれていくようだった。
陽菜は、何も言わない。
ただ、大きな瞳を見開いて俺を見つめている。
その沈黙が怖い。
俺は、必死に言葉を続けた。
「……ただの幼馴染じゃなくて。……一人の女の子として、好きだ。……陽菜が笑ってると、俺も嬉しくなる。……陽菜が泣いてると、胸が張り裂けそうになる。……陽菜がいないと俺はダメなんだ。……だから、……俺と、付き合ってください」
俺はそう言って、ポケットの中から小さな箱を取り出した。
そして、その箱を開けて、彼女の前に差し出す。
中には、月の形をしたネックレスが、イルミネーションの光を反射してキラリと光っていた。
◇
彼の声が震えている。
私の手を包む彼の手も、同じように震えている。
そして、彼の口から紡ぎ出された言葉。
『……俺、……陽菜のことが、好きだ』
その一言を聞いた瞬間。
すべての時が止まったようだった。
イルミネーションのキラキラとした光も、周りの楽しそうな喧騒も、すべてが遠くなっていく。
私の世界には、今、目の前で、真っ直ぐに私を見つめる彼しかいなかった。
ずっとずっと待ち望んでいた言葉。
夢にまで見た言葉。
彼の不器用な、でも、どうしようもなく誠実な言葉が、一つ、また一つと、私の心の中に降り積もっていく。
『……俺と、付き合ってください』
目の前に差し出された、小さな箱。
中には、綺麗な月のネックレス。
私のために、選んでくれた。
私のことを考えながら、悩んで、迷って、そして、勇気を出して買ってきてくれた。
その想いが痛いほど伝わってきて。
私の目から、堪えていた涙が、ぽろりとこぼれ落ちた。
嬉しい。
嬉しいのに、涙が止まらない。
どうしよう。
早く、返事をしなくちゃ。
カケルが、不安そうな顔で私を見ている。
でも、声が出ない。
ただ、涙だけが、次から次へと溢れ出してくる。
◇
陽菜が、言葉を発しない。
陽菜の瞳から、大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。
やっぱりダメだったのか。
俺の独りよがりだったのか。
やっぱり陽菜は、俺のことなんて、ただの幼馴染としか思っていなかったのか。
俺が、そう思って俯いた瞬間。
「……遅いよ」
陽菜が、か細い声でそう言った。
「え……?」
「……遅いよ、カケルのバカ……!」
陽菜は、涙で、ぐしゃぐしゃの顔のまま、最高の笑顔で笑った。
「……私も、……私も、ずっと、カケルのことが大好きだったんだから……!」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の、心の中の、すべてのものが報われた気がした。
俺は陽菜の、その小さな身体を、力いっぱい抱きしめた。
「……ごめん。……本当に、ごめん」
「……ううん。……嬉しい。……これまで生きてきて一番嬉しいよ」
俺の腕の中で、陽菜が子供のように声を上げて泣いている。
その温もりを、愛おしさを、俺は絶対に忘れない。
俺は、ゆっくりと陽菜から身体を離すと、ネックレスを手に取った。
そして、陽菜の白い首筋にそっとかけてやる。
冷たい金属の感触に、陽菜の肩がびくりと震えた。
月のネックレスが、陽菜の胸元でキラキラと輝いている。
世界で、一番似合っていた。
俺は、もう一度、陽菜の小さな身体を強く強く抱きしめた。
イルミネーションの光が、俺たち二人を優しく包み込んでいた。