第87話 ホーリー・ミッション
「……ぷっ、……くくく……あはははは!」
俺、桜井航は、兄貴の部屋のベッドの上で、腹を抱えて笑い転げていた。
涙が出るほど面白い。俺の兄貴は、やっぱり天才だ。色んな意味で。
事の発端は、数分前。
俺は、兄貴が風呂に入っている隙に、ヤツのスマホをこっそりと拝借した。
目的はもちろん情報収集だ。クリスマスに向けて、あのヘタレな兄貴が、一体どんなプランを練っているのか。それを事前に把握しておく必要があった。
そして俺は見てしまったのだ。兄貴の、あまりにも純粋で、あまりにも絶望的な、その検索履歴を。
『クリスマス デート 高校生 絶対に成功させる方法』
『女子が喜ぶ 告白の言葉 例文』
『イルミネーション 感動的なセリフ』
『プレゼント タイミング 告白前』
『キス 仕方 初めて』
(……ダメだこりゃ)
俺は、頭を抱えた。
兄貴は、本気でネットの情報を鵜呑みにするつもりだ。
このままでは、クリスマスの夜、陽菜姉ちゃんの前で、どこかの誰かが書いたサムいセリフを棒読みで披露しかねない。それは、あまりにも悲劇だ。 いや喜劇か。
俺が腹を抱えて笑っていると、スマホが、ぶるぶると震えた。莉子からだった。
俺は、兄貴のスマホを机に戻し、自分のスマホで通話に出る。
『どうだった、航くん? 何か、情報はあった?』
「……ああ。……想像を、絶する、情報がな」
俺は、兄貴の、あまりにも輝かしい検索履歴を、スクリーンショットに撮り、莉子に送信した。数秒後、電話の向こうから、莉子の堪えきれない噴き出すような笑い声が聞こえてきた。
『……ぷっ……あはははは! なにこれ! カケルお兄ちゃん、面白すぎる!』
「だろ?」
『これはダメね。……このままじゃ、お姉ちゃんが可哀想だわ。一周回って面白いかもしれないけど、一生の思い出が、それでいいはずがないもの』
「ああ。……こうなったら、俺たちが、やるしかねぇ」
『ええ。……聖なる任務、コードネームは "ホーリー・ミッション" ね』
俺と莉子の意思は、完全に一致した。
俺たちの最後の大作戦が、今、始まろうとしていた。
◇
「……で? 具体的には、どうするのよ、隊長」
電話の向こうで、航くんが、自信満々に、言った。
『いいか、莉子。まずは、プレゼントだ。兄貴は、絶対に何を買えばいいか、わかってない。お前は、陽菜姉ちゃんに、それとなく、欲しいものを、聞き出せ』
「了解! ……でも、お姉ちゃん、絶対に、カケルお兄ちゃんがくれるものなら、なんでも嬉しいって言うわよ。あの人は、そういう人だもの」
『だろうな。……で、どちらにしても聞き出した情報は、すぐに俺にリークしろ。俺が、それを兄貴に、それとなく伝える』
完璧な連携プレー。 私たちは、もはや、熟練のスパイコンビのようだった。
「デートプランは、どうするの? あの検索履歴じゃ不安しかないわよ。『イルミネーション 感動的なセリフ』って、一体どんなセリフを言うつもりなのかしら!」
『やめてくれ、想像させんな。……だから、俺が、リビングに、さりげなくこれを置いておく』
航くんが、メッセージで一枚の写真を送ってきた。 それは、お洒落な情報雑誌の表紙だった。 特集は、『クリスマスに行きたい! 感動イルミネーションスポット20選』。
「……用意周到ね」
『当たり前だろ。……兄貴は、単純だからな。これを見れば、絶対に食いつくはずだ』
「ふふっ。楽しみね」
『ああ。……そして、一番、大事なのが、ここからだ』
航くんの声が、少しだけ、低くなる。
『……クリスマスの夜。……俺たちは、両家の親を、巻き込む』
「え!?」
『俺たちの親父とおふくろ、陽菜姉ちゃんのところの、おじさんとおばさん。四人まとめて、『日頃の感謝を込めて』って言って、レストランのディナーチケットをプレゼントするんだ』
「……そ、そんなもの、どこで……」
『俺の、お年玉を貯めたへそくりだ』
「……航くん……!」
私は、感動で言葉を失った。 なんて男らしいのかしら。
『……これで、クリスマスの夜、桜井家も、日高家も、もぬけの殻になる。……あとは、わかるな?』
「……うん。……二人きりの聖なる夜の完成ね」
『そういうことだ。……ディナーから帰ってくるまでの間に、まあ、せいぜい兄貴には、頑張ってもらうしかねぇな』
航くんは、そう言って少しだけ照れたように笑った。
その不器用な優しさが、私は大好きだった。
◇
数日後。 私は、リビングで、お姉ちゃんとテレビを見ていた。
作戦は順調に進んでいた。カケルお兄ちゃんが、私にプレゼントのことで質問をしてきたときは驚いたけれど、私が伝えた情報を元に、お姉ちゃんが喜んでくれそうなものを選んで、ネックレスを買ったらしい。
航くんが、リビングに置いておいた雑誌も、効果は抜群だったみたい。
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「ん?」
「……クリスマス、カケルお兄ちゃんと、どこか行くの?」
私が尋ねると、お姉ちゃんは、顔を真っ赤にして、もじもじと俯いた。
「……う、うん。……イルミネーション見に行こうって……」
「ふーん? ……そっか。……よかったね、お姉ちゃん」
私は、そう言って、心からの笑顔で笑った。
その笑顔に嘘はなかった。
大好きなお姉ちゃんが幸せなら、私も、幸せなのだから。
聖なる夜は、もう、すぐそこまで来ている。