第7話 休日の目撃者
土曜日の午後。
俺、桜井駆は、駅前の大型ショッピングモールの中を、目的もなくぶらついていた。
いや、目的がない、というのは嘘だ。
俺の目的は、俺の半歩前を歩く、小さな後ろ姿そのものだった。
「ねぇ、カケル。あそこの雑貨屋さん、見てみてもいい?」
「ん、あぁ。別にいいけど」
俺の返事を聞いて、日高陽菜は嬉しそうに「やった!」と小さく呟き、ぱたぱたと雑貨屋の中へと消えていく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は深いため息をついた。
先週、俺たちが揃って風邪でダウンした事件以来、俺たちの間にはどこかぎこちない空気が流れていた。
いや、陽菜はいつも通りなのだが、俺が一方的に意識してしまっているだけだ。
あの日、俺の腕の中で赤くなっていた陽菜の顔。
俺が作ったお粥を、恥ずかしそうに食べる姿。
そのすべてが、脳裏に焼き付いて離れない。
もはや、こいつをただの「幼馴染」として見ることは、不可能だった。
そんな状況で、なぜ今日二人で出かけることになったのか。
原因は、俺の弟、航だ。
『兄貴、新しいスパイク、欲しいんだろ? 駅前に新しいスポーツ用品店できたらしいぜ。陽菜姉ちゃんも、新しいラケット探してるって言ってたし、二人で行ってくれば?』
今思えば、完全にあの弟にハメられたのだ。
陽菜も陽菜で、航から話を聞いたらしく、「じゃあ、一緒に行こっか!」と何の疑いもなく俺を誘ってきた。断れるはずもなかった。
「カケル、見て見て! このキーホルダー、可愛くない?」
雑貨屋の中から、陽菜が俺を呼ぶ声がする。
俺が店の中に入ると、陽菜はアザラシのマスコットがついたキーホルダーを手に、満面の笑みを浮かべていた。
「……お前、そういうの好きだよな」
「うん! ふわふわしてて、癒されるー」
そう言ってキーホルダーを頬にすり寄せる陽菜。
その無邪気な仕草に、俺の心臓がまたドクンと跳ねる。
今日の陽菜は、いつもと雰囲気が違った。
制服じゃない。白いブラウスに、ふわりとした花柄のスカート。
髪も、いつものポニーテールではなく、下ろしている。
そのせいか、いつもよりずっと大人っぽく見えて、直視するのが難しかった。
(……やばい。普通に、めちゃくちゃ可愛い)
俺は自分の顔が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らす。
「……お前、それ買うのか?」
「うーん、迷うなぁ。でも、今日はカケルのスパイク見に来たんだし、また今度にしよっかな」
陽菜は名残惜しそうにキーホルダーを棚に戻すと、俺の方を振り返った。
「ごめんね、付き合わせちゃって。行こっか、スポーツ用品店」
「……別に。急いでねぇし」
俺たちは雑貨屋を出て、目的の店へと向かう。
並んで歩く、休日のショッピングモール。
周りには、俺たちと同じくらいの年のカップルがたくさんいた。
手を繋いだり、腕を組んだり。その光景が、やけに目に付いた。
(俺たちも、周りから見たら、あんなふうに見えてんのかな……)
そう思った瞬間、心臓が大きく高鳴った。
もし、陽菜と付き合ったら。
もし、あんなふうに、堂々と手を繋いで歩けたら。
そんな妄想が、頭の中を駆け巡る。
ダメだ。これ以上は、理性が保たない。
◇
(カケル、なんだか今日、静かだな……)
彼の半歩後ろを歩きながら、私、日高陽菜は、カケルの広い背中をじっと見つめていた。
先週、二人で風邪を引いてから、彼が少しだけ私を避けているような気がする。
気のせいかもしれない。でも、教室でも、前より目が合わなくなった。
もしかして、私が看病に行ったこと、迷惑だったのかな。
お粥を食べさせてあげたのも、やりすぎだったのかもしれない。
そんな不安が、胸の中をぐるぐると渦巻いていた。
だから、今日、彼を買い物に誘った。
航くんから、カケルが新しいスパイクを探していると聞いた時、これはチャンスだと思ったのだ。二人きりになれば、また、いつもみたいに話せるかもしれない。
今日の服も、髪型も、すごく悩んだ。
少しでも、女の子として見てほしくて。彼が好きな、白いブラウスを選んだ。
(気づいて、くれてるかな……)
ちらりと彼の横顔を盗み見る。
彼は、真っ直ぐ前を見つめていて、何を考えているのかわからない。
でも、その真剣な横顔が、やっぱり私は大好きだった。
スポーツ用品店に着くと、カケルは真っ先に陸上コーナーへと向かった。
色とりどりのスパイクが並ぶ棚の前で、彼の目が、キラキラと輝いている。
部活の話をしている時の彼は、いつも本当に楽しそうだ。
「カケル、どれがいいとかあるの?」
「んー、今履いてるやつの、新しいモデルが出たって聞いたんだけどな……あった、これだ」
カケルは一足のスパイクを手に取り、感心したように眺めている。
「へぇ、カッコいいね。カケルに似合いそう」
「……そうか?」
私がそう言うと、彼は少しだけ照れたように、そっぽを向いた。
その反応が、可愛くて、愛おしい。
私も、ソフトテニスコーナーで新しいラケットをいくつか見てみる。
でも、正直、ラケットなんてどうでもよかった。
今、この瞬間、カケルと二人きりでいられること。それだけで、十分だった。
結局、カケルは目当てのスパイクを買い、私も新しいグリップテープを買った。
店を出て、少し疲れた私たちは、フードコートで休憩することにした。
「私、クレープ買ってくる! カケルは何飲む?」
「……じゃあ、コーラ」
「オッケー!」
私がクレープ屋の列に並んでいると、不意に、背後から声をかけられた。
「あれ? 日高さんと、桜井くん?」
振り返ると、そこにいたのは、同じクラスの男女カップルだった。
確か、男子の方が鈴木くんで、女子の方が加藤さん。
二人は、クラスでも公認のラブラブカップルだ。
「あ、鈴木くんに、加藤さん。こんにちは」
「やっほー! 二人も買い物? もしかして、デート?」
加藤さんが、ニヤニヤしながら聞いてくる。
「ち、違うよ! 偶然会っただけだって!」
私は慌てて否定する。
でも、心臓は正直だ。デート、という言葉の響きに、勝手にドキドキしてしまう。
「ふーん? 偶然ねぇ。でも、二人っていっつも一緒じゃん。もう付き合っちゃいなよー」
「そうだよ。お似合いだって、クラスでもみんな言ってるぜ?」
鈴木くんまで、からかってくる。
どうしよう。カケルが戻ってくる前に、早くこの場を離れないと。
彼が聞いたら、絶対にまた、気まずくなってしまう。
私が焦っていると、まさにそのタイミングで、カケルがコーラのカップを二つ持ってこちらへやってきた。
「陽菜、まだか……って、え」
カケルは、鈴木くんたちに気づくと、固まった。
「よお、桜井。奇遇だな。日高さんとデートか? 隅に置けねぇなー」
「い、いや、これは……」
鈴木くんの言葉に、カケルが狼狽えているのがわかる。
やめて。そんなこと言わないで。カケルを、困らせないで。
◇
最悪だ。 なんで、こんなところでクラスの奴らに会うんだよ。
鈴木と加藤は、俺と陽菜の顔を交互に見て、ニヤニヤと楽しそうにしている。
「デートか? 隅に置けねぇなー」
その言葉が、俺の頭の中でぐわんぐわんと反響する。
違う。これは、デートなんかじゃ、断じてない。
でも、もし、そうだと言ったら?
こいつらは、きっとクラス中に言いふらすだろう。
「桜井と日高が付き合い始めた」と。
そうなったら、陽菜との今の関係は、どうなる?
もう、今までみたいに、気軽に話せなくなるかもしれない。
隣にいることが、当たり前じゃなくなるかもしれない。
それが、怖かった。 失うのが、怖かった。
「ちげーよ!」
俺の口から、自分でも驚くほど大きな声が出た。
「そ、そんなんじゃねぇから! こいつとは、ただの幼馴染で、家が隣なだけだって! だから、勘違いすんな!」
言ってしまった。 最悪の言葉を、最悪のタイミングで。
俺の言葉を聞いて、鈴木と加藤はきょとんとした顔をしている。
そして、隣に立つ陽菜の顔が、一瞬にして凍りついたのを、俺は見てしまった。
「……そ、そうなんだ。ご、ごめん、変なこと聞いちゃって」
「じゃ、じゃあ、俺らもう行くわ! またな!」
気まずい空気を感じ取ったのか、鈴木と加藤はそそくさとその場を立ち去っていった。
後に残されたのは、俺と、そして、俯いたままの陽菜だけだった。
「……あ」
陽菜が、小さく声を漏らす。
見ると、彼女が注文したばかりの、生クリームとイチゴがたっぷり乗ったクレープが、ぐしゃりと地面に落ちていた。
「……ごめん。手、滑っちゃった」
陽菜は、そう言って、力なく笑った。
その笑顔は、今まで俺が見た中で、一番、悲しそうだった。