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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第7章 修学旅行と恋模様(11月)

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第64話 隣の体温

 修学旅行当日。 まだ夜が明けきらない早朝六時。


 俺、桜井さくらいかけるは、自分の部屋の鏡の前で、人生で最も真剣な顔で、髪の毛と格闘していた。

 航にもらったワックスを、恐る恐る手に取り、髪になじませてみる。だが、俺の不器用な手では、お洒落な髪型になるどころか、鳥の巣が悪化しただけだった。


「……くそっ、どうすんだよこれ」


 俺が、半泣きで頭を抱えていると、階下から、母親の明るい声が聞こえてきた。


「カケル! 陽菜ちゃんのお母さんが、もうすぐ車出してくれるって! 準備できたのー?」

「……今行く!」


 結局、俺は、ワックスを洗い流し、いつも通りの無造作な髪で、リビングへと降りた。

 玄関のドアを開けると、隣の家の前に、見慣れたミニバンが停まっている。

 運転席からは、陽菜のお母さんが、にこにこと手を振っていた。


「カケルくん、おはよう! さあ、乗って乗って!」

「……おはようございます。すみません、いつも」

「いいのよ、気にしないで! 陽菜も、もう乗ってるから」


 俺が、後部座席のスライドドアを開けると、そこには、すでに陽菜が座っていた。


 その姿を見た瞬間、俺は息を呑んだ。


 今日の陽菜は、少しだけ、いつもと雰囲気が違った。

 髪は、いつものポニーテールだけど、サイドの髪を、少しだけ編み込んでいる。 服装も、白いニットにチェックのスカートという、いかにも女の子らしい可愛らしい格好。

 その姿に、俺の心臓は、朝から、全力で鼓動していた。


「……おはよ、カケル」

「……おう」


 俺が、陽菜の隣に乗り込むと、車は静かに走り出した。 車の中は、陽菜の甘い匂いで、満ちている。


「それにしてもカケルくん。この前の文化祭、本当に、本当に、ありがとうね」


 運転しながら、おばさんが、バックミラー越しに俺に言った。


「え?」


「陽菜から全部聞いたわよ。あんな、怖い目、酷い目に遭ったとき、カケルくんが身体を張って守ってくれたって。……本当に、あなたが、陽菜の幼馴染でよかったわ。……あなたは、陽菜のヒーローね」


「……っ!」


 その、あまりにもストレートな感謝と賞賛の言葉に、俺と陽菜は、同時に、顔を真っ赤にして俯いた。


「も、もう! お母さん! そんな、大げさだよ!」

「あら、本当のことじゃない。ねぇ、カケルくん?」

「……いえ、俺は、ただ……」


 俺は、何も言い返せない。

 ただ、恥ずかしさで死にそうだった。

 おばさんは、そんな俺たちの様子を見て、穏やかな目をしていた。





 集合場所である駅のホームは、早朝にもかかわらず、人の波と、けたたましいアナウンスの音でごった返していた。

 俺たちの学校の、二年生全員が、そこに集結しているのだ。その熱気は、すさまじかった。


「うおおおっ! 修学旅行だあああああっ!」

「京都で、八つ橋、食いまくるぞ!」

「USJ! フライングダイナソー、絶対乗る!」


 あちこちで、そんな、興奮した声が、聞こえてくる。

 俺、桜井駆は、その喧騒の中心で、自分の心臓が、周りの騒がしさに負けないくらい、速く、そして大きく脈打っているのを感じていた。


 三泊四日。 陽菜と、ずっと一緒にいられる。

 その事実は、俺の心を甘い期待で満たすと同時に、どうしようもないくらいの緊張感で縛り付けていた。


「よぉ、駆。顔、ガチガチだぞ。遠足前の小学生かよ」


 隣で、健太が、俺の肩を、バンバンと叩いてくる。その後ろでは、葵ちゃんが、楽しそうにくすくすと笑っていた。


「……うるせぇ。別に、緊張なんかしてねぇよ」

「嘘つけ。お前の、その、ポーカーフェイスが崩れてるときは、だいたい、日高さんのこと考えてるときだって、俺は知ってんだからな」


「……」


 図星だった。 俺は、何も言い返せない。


「あ、いた、カケルー!」


 その声は、太陽みたいに明るくて。 俺のすべての不安を、一瞬で吹き飛ばしてくれた。

 振り返ると、そこには、陽菜が舞と一緒に、こちらへ手を振りながら駆け寄ってくる姿があった。


「おはよ、カケル! 健太くんも!」

「おう、日高さん! 結城さんも! いやー二人とも、気合い入ってんなー。可愛いじゃん」

「でしょー? 陽菜なんて、昨日の夜、楽しみすぎて、全然眠れなかったんだから」

「も、もう! 舞まで、からかうんだから!」


 舞の暴露に、陽菜は、顔を真っ赤にして、彼女の脇腹をぽかぽかと叩いている。


 その、じゃれ合う二人の姿が眩しくて、 俺は、目を細めた。

 よかった。 陽菜は、楽しそうだ。 それだけで、俺の心も、温かいもので満たされていく。


 やがて新幹線のドアが開き、俺たちは荷物を持って順番に乗車した。


 俺たちの席は、もちろん、同じ車両だ。

 蓮と舞が、事前に、クラスの奴らと根回しをして、俺たちの班が固まって座れるように手配してくれていた。


 俺は、自分の指定された席へと向かう。 通路側の席だった。


 隣は、誰だろうか。

 そう思って、配られた座席表を見た、その瞬間。


(……は?)


 そこに書かれていたのは「日高陽菜」の、四文字。


 俺が、呆然としていると。

 後ろから、蓮が、俺の肩をポンと叩いた。


「よぉ、駆。ラッキーだったな、陽菜ちゃんと隣で。……まあ、俺が、ちょっとだけ魔法を使ってやったんだけどな」


 蓮はそう言って、悪戯っぽくウインクをした。

 その隣では、舞が同じようにニヤリと笑っている。

 ちくしょう。 またこいつらの仕業か。


「……か、カケル? と、隣だね……」


 俺の後ろで、陽菜が戸惑ったような、声を上げた。

 俺は、ロボットのような、ぎこちない動きで振り返る。

 そこには、俺と同じくらい顔を真っ赤にした、陽菜が立っていた。





(……うそ、うそ、うそ……! なんで!?)


 私の頭の中は、またパニックになっていた。


 カケルと隣の席? 三時間以上も二人きり?

 そんなの聞いてない! 舞と、隣同士って聞いていたのに!


 ちらりと、舞の方を見ると、彼女は、通路を挟んだ向こうの席で、彼氏の翔平くんと、楽しそうに笑いながら、私に小さくウインクを飛ばしてきた。 あの、嘘つきぃ……!


「……あ、あの、カケル。……よろしく、ね」

「……お、おう」


 私たちは、今更ながら、なぜかぎこちない挨拶を交わし席に着いた。


 私が窓側。 カケルが通路側。

 肩と肩が、触れ合いそうな近い距離。

 彼の体温が、じかに伝わってくるようで、心臓がドキドキしている。


 何を、話そう?

 どんな顔をしたらいい?

 私の頭の中は、真っ白だった。


 ずっと一緒にいた幼馴染なのに。ずっと軽口を言い合ってきたカケルなのに。


 あの文化祭のあと、カケルが泣きながら私を抱きしめてくれたあの日から、カケルのことを見るだけでドキドキが止まらない。

 もう私の頭はどうかしてしまっている。私の顔、真っ赤になっていないかな......。



 やがて、新幹線は、滑るように、ホームを離れた。窓の外の景色が、ゆっくりと後ろへと流れていく。


 私たちの、特別な旅が、今、始まった。





 新幹線の中は、生徒たちの、高揚感で、満ち溢れていた。あちこちで、トランプが始まり、お菓子の袋を開ける音がして、楽しそうな笑い声が、響き渡る。


 だが、俺たちの席だけは、まるで図書室の、あの長机のように、甘くて苦しい沈黙に包まれていた。


 気まずい、というのとは、違う。

 ただ、お互いの存在を意識しすぎて、どうしていいかわからないのだ。



 陽菜の白いニットから、ふわりと香る甘い匂い。

 時々、俺の腕にそっと触れる彼女の柔らかな肩。

 その、一つひとつが、俺の全神経を支配する。


 俺は、ひたすら膝の上のしおりを、熱心に読んでいるフリをした。


 その、ぎこちない空気を破ったのは、陽菜だった。


「……あの、カケル」

「……な、なんだよ」

「……お菓子、食べる?」


 陽菜はそう言って、小さな可愛らしい袋を、俺の前に差し出してきた。

 中には、手作りのクッキーが入っている。 文化祭のあのときのクッキーだ。


「……いいのか?」

「うん。……また、焼いてきちゃった」


 陽菜は、恥ずかしそうにはにかんだ。

 俺は、そのクッキーを、一枚もらう。

 口に入れると、甘いバターの香りが広がった。

 美味い。 心の底から、そう思った。


「……うまい」

「……ほんと? よかった」


 その、短い会話を、きっかけに。

 俺たちの間の不思議な緊張は、少しだけ溶け始めた。


 京都でどこを回るか。

 奈良の鹿は、本当に、お辞儀をするのか。

 大阪では、絶対にたこ焼きを食べよう。


 そんな、他愛ない話をしているうちに、いつの間にか、俺たちの間には、いつもの心地よい空気が戻ってきていた。


 どれくらい、時間が経っただろうか。

 俺は、ふと、隣の気配が静かになったことに気づいた。

 そっと、横を見ると、 陽菜が、窓に頭を預け、すうすうと穏やかな寝息を立てていた。


 昨日の夜、楽しみで眠れなかった、と言っていたのは本当だったらしい。

その、無防備な寝顔が可愛くて。 俺は、思わず見惚れてしまった。


 長いまつ毛。

 少しだけ、開かれた桜色の唇。

 いつもの可愛い陽菜。そのすべてが、愛おしくてたまらない。



 と、その時だった。

 新幹線が、停車駅に止まるために減速をはじめた。


 車体が、少し揺れる。

 その振動で、 窓に預けられていた、陽菜の頭が、こてん、と、 俺の右肩に寄りかかってきた。


「……っ!」


 俺は、息を止めた。

 身体が、石のように硬直する。


 温かい。

 柔らかい。


 陽菜の、頭の重みと、体温が、俺の肩にずしりとのしかかっている。

 髪の毛から、陽菜の甘い香りが、ダイレクトに届く。


 もう、ダメだった。

 俺の心臓は、今にも爆発しそうなくらい、激しく大きく脈打っている。


 動けない。

 少しでも動いたら、この奇跡のような時間が終わってしまう。

 でも、このままじゃ、俺の心臓がもたない。


 パニックと幸福感。

 その、二つの相反する感情が、俺の頭の中をぐちゃぐちゃにする。





「……おい、美優。見ろよ、あれ」


 俺、たちばなれんは、前の席に座る、俺の彼女、篠崎しのさき美優みゆの肩を軽く叩いた。


「……なに?」


 美優は、読んでいた文庫本からゆっくりと顔を上げる。

 その、クールな瞳が、俺の視線の先を追った。

 そして、小さく、ふっと息を漏らすように笑った。


「……桜井くん、固まってる。面白い」

「だろ? あいつ、ああ見えて、ああいうのに一番弱いんだよな」


 俺は、スマホを取り出すと、音が出ないように慎重にカメラを起動した。

 そして、石像と化した親友と、その肩で、幸せそうに眠る天使の寝顔を、一枚写真に収めた。 我ながら、完璧な一枚だ。


 俺は、その写真を、俺たちの班の、駆と陽菜を除いた、グループチャットに送信した。


『第一関門、突破。作戦は、順調なり』


 すぐに、健太と舞から、『グッジョブ!』というスタンプが返ってきた。

 俺は、スマホをポケットにしまい、再び、前の席の美優に向き直った。


「……で? 俺たちは、どうする?」

「……どうする、とは?」

「いや、だからさ。せっかくの、修学旅行なんだし。俺たちも、あんなふうに、イチャイチャ、しちゃう?」


 俺が、そう言ってニヤリと笑うと。

 美優は、心底、面倒くさそうな顔でため息をついた。


「……本、読んでていい?」

「……はい……」


 俺は、すごすごと引き下がるしかなかった。






 やがて、車内にアナウンスが響き渡る。


『まもなく、京都に到着します』


 その、無慈悲な声に、俺はハッとした。


 もう、着いてしまう。

 この、魔法の時間が終わってしまう。


 俺は、名残惜しい気持ちを、必死に抑え込んだ。


「……陽菜。……おい、陽菜。着くぞ」


 俺は、おそるおそる、彼女の肩を優しく揺さぶった。




「……ん……」


 陽菜が、小さく呻いた。

 そして、ゆっくりと目を開ける。


 自分が、俺の肩で、眠っていたことに気づいたのだろう。

 その顔が、一瞬で真っ赤に染まった。



「ご、ご、ご、ごめん! 私、いつの間に……!」


「……い、いや。……別に」


 陽菜は、慌てて、俺から身体を離した。

 その、あまりにも可愛い反応に、俺は、顔がだらしなく緩みそうなのを、必死で堪えた。






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