第61話 獣の独白、砕け散った心
俺は、何も悪いことなんてしていない。
ただ、欲しいものを、欲しいと言っただけだ。
ただ、好きな女を、自分のものにしようとしただけだ。
男が女を支配する。
それは、この世界の当たり前のルールのはずだった。
俺、西園寺巧が、物心ついた時から、ずっと見てきた光景。
親父が、オフクロを殴りつける音。
オフクロの、甲高い悲鳴。
そして、すべてが終わった後、親父の足元で、許しを乞うように、すがりつくオフクロの姿。
あれが、家族の形なのだと信じて疑わなかった。
男は、強くあらねばならない。
女は、男に従うものなのだと。
中学の時、初めて、親父のパソコンでAVを見た。隠しフォルダの中にあった、大量の動画。
そのほとんどが、抵抗する女を、男が力でねじ伏せるという内容だった。
女は、最初は「やめて」と泣き叫ぶ。
でも、男が、その身体を貪るように求め始めると、やがてその声は、甘い、甘い、嬌声に変わっていく。『もっと、もっと』と、男の身体を、求めるようになる。
俺は、興奮した。
これがセックスなのだと。
これが正しい「愛し方」なのだと。
そう、信じて疑わなかった。
だから、俺は、それを実践してきただけだ。
今まで、俺が「食べた」女は、両手の指じゃ足りない。
最初は、皆、抵抗するフリをした。
でも最後には、皆、俺の腕の中で悦んでいた。
それが、当たり前だと思って生きてきた。
今さら、それが、許されないことだと言われても。俺は、困る。
日高陽菜。
あいつを、初めて見たのは、いつだったか。
テニスコートで、楽しそうにボールを追いかける、小さな姿。
太陽みたいな、笑顔。
その笑顔が、俺の心を、射抜いた。
一目惚れ、だった。
俺は、今まで、女を、ただの性欲処理の道具としか見ていなかった。
でも、あいつは、違った。
――欲しい。
心の底から、そう思った。
あの、笑顔を俺だけのものにしたい。
あの、優しさを、俺だけに向けてほしい。
俺の母親は、一度も、俺に、あんな顔で、笑いかけてくれたことはなかったから。
いつも、親父の顔色を窺って、怯えているだけだったから。
日高陽菜は、俺にとって、天使だったのだ。
姿も、心も、天使だった。
だから、俺は、その天使を、自分のものにすることで、俺の、渇ききった愛情への渇望を、満たそうとしたのだった。
それが、俺の、唯一の、愛し方だったから。
あの体育倉庫での瞬間を、俺は忘れない。
俺の腕の下で、涙を浮かべて震える小さな天使。
ビリッと破いたワンピースの肩口から覗く、白い肌。
最高に、興奮した。
ようやく、手に入れた。
この、純粋で、穢れを知らない天使を、俺が、初めての男として、めちゃくちゃにしてやれる。
俺の色に、染め上げてやれる。
その、圧倒的な、支配感と、高揚感。
「それじゃ、日高。今から、お前を、おいしくいただかせてもらうな」
俺は、勝利を、確信していた。
なのに。
鈍い音と共に、鉄の扉が、無理やりこじ開けられた。そして、そこに立っていたのは、桜井駆だった。
鬼の形相で。
あいつの、あの、目。
俺は、生まれて初めて、本当の殺意というものを見た。
そこからの記憶は断片的だ。
顔面に叩きつけられる、鉄槌のような拳の一撃。
たった一発で、俺の意識は飛びそうになった。
俺は、ただ無様にマットの上に転がることしかできなかった。
でも、それは、間違いだったのだろうか。
体育倉庫での、あの光景が、頭から離れない。
俺が、ようやく手に入れられるはずだった天使。
その前に、立ちはだかった桜井駆。
あいつは、俺を殴った後、日高を抱きしめて泣いていた。
そして、日高も、あいつの腕の中で泣いていた。
二人は、ただ、お互いの温もりを確かめるように、静かに涙を流していた。
その光景を見た瞬間、俺は、理解してしまった。
俺の、入る隙間なんて、どこにもないのだと。
俺が、どんなに手を伸ばしても、絶対に手に入れることのでない絆が、そこにはあった。
俺の心は真っ黒だった。
嫉妬と憎しみと、そして、どうしようもない孤独感で。
これから、俺は、罪を償えと言われている。
学校を辞めさせられ、警察にも行かなければならないらしい。
体育祭の日に遊んでやった、あの一年の女が、余計なことを、チクったからだ。
これから、俺はどうなるんだろう。
どうすれば、よかったんだろう。
何も、わからない。
ただ、一つだけわかること。
俺は、もう二度と、あの天使の笑顔を見ることはできない。
その残酷な事実だけが、俺の空っぽになった心に重くのしかかっていた。




