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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第6章 天使と悪魔(10月)

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第59話 繋いだ手のその先へ

 保健室の白いベッドの上。

 俺は陽菜の手を、固く、固く、握りしめていた。


 どれくらいの時間、そうしていただろう。


 ――ガチャリ、と、保健室のドアが静かに開いた。


 入ってきたのは藤井先生だった。

 その手には、スクールバッグが二つ握られている。


「……話は、できたかしら」


 先生のその穏やかな声に、俺と陽菜はびくりとして、慌てて繋いでいた手を離した。


 顔が熱い。

 先生は、そんな俺たちの様子を見て、ふふっ、と、優しく微笑んだ。


「……西園寺くんたちのことは、武田先生が、生徒指導の先生方と一緒に対応してくれているわ。……外から閂をかけた生徒も、すべて話してくれた。……だから、もう大丈夫よ」


 その静かな、でも、力強い言葉に、俺たちの張り詰めていた心がゆっくりと解きほぐされていくのがわかった。


「……あいつは、どうなるんですか」


 俺は、絞り出すように尋ねた。


 西園寺。

 あいつのことだけは、どうしても許すことができなかった。


「……停学、いえ、それだけでは済まないでしょうね。……今回の件だけでなく、体育祭の日に、別のの女子生徒にしたことも、すべて明らかになったわ。……退学処分も免れないでしょう」


 先生の、その淡々とした口調が、逆に、事の重大さを物語っていた。

 俺は、何も言えなかった。


 ただ、そうか、と、心の中で呟くだけだった。


「……桜井くん」


 藤井先生は、今度は俺の目の前に立った。

 そして、俺の目を、真っ直ぐに見つめてくる。


「……あなたのしたことは、決して褒められたことじゃない。……暴力は、どんな理由があっても、正当化されるべきではないわ」

「……はい」

「でも」


 先生は、言葉を続ける。


「……それでも、私はあなたを誇りに思う。……大切な人を守るために身体を張れる。……それは、とても尊いことよ」


 その、あまりにも温かい言葉に。 俺の目から、また涙がこぼれ落ちそうになる。 俺は、必死でそれを堪えた。


「……あなたたちのことは、武田先生と私が、責任を持って学校に説明します。……だから、もう自分を責めないで」

「……先生……」

「さあ、今日は、もうお帰りなさい。……お家の人には、私から連絡しておくから」


 藤井先生は、そう言って、俺と陽菜の背中を、ぽんと優しく押してくれた。


 その、手のひらの温もりが。

 まるで母親のように感じられて。

 俺は、ただ黙って頷くことしかできなかった。





 保健室を出て、俺たちは、無言で帰り道を歩いていた。


 夕日は、もうほとんど沈みかけている。

 空は深い紫色に染まり、一番星が一つキラリと輝いていた。


 文化祭の喧騒は、もうどこにもない。

 ただ秋の涼しい風が、俺たちの間を吹き抜けていくだけ。


 俺は、隣を歩く陽菜の横顔を盗み見た。

 彼女は、俺の少しだけ後ろを俯きがちに歩いている。


 ゆっくりと前後する小さな白い手が見える。

 その手を握りたい。 そう、思った。


 でも、その一歩が、踏み出せない。

 俺にはまだ、その資格がないような気がして。


 俺が、そんなヘタレなことを考えていると。

 陽菜が、ぽつりと呟いた。


「……ねぇ、カケル」

「……なんだよ」


「……手、……繋いでも、いい?」


 その陽菜からの不意打ちの言葉に。

 俺の心臓は、大きく跳ねた。


 俺が返事をする前に。

 陽菜の、小さな冷たい指先が、俺の大きな手のひらにそっと触れた。

 そして、おそるおそる絡みついてくる。


 俺は、その小さな手を、力強く握り返した。

 陽菜の手は、驚くほど冷たかった。


 まだ、怖がっているのだ。

 その震えが、俺に伝わってくる。


「……ごめんな」


 俺はそう言って、彼女の手を、もう一度強く握りしめた。

 自分の体温を、すべて分け与えるように。

 陽菜は何も言わずに、ただ、こくりと頷いた。


 そして俺の手に、ぎゅっと力を込めてくる。

 それだけで十分だった。


 言葉なんていらない。

 俺たちは、ただ、繋いだ手の温もりだけを頼りに歩き続けた。





 家の前の分かれ道。

 いつもなら、「じゃあな」の一言で終わる場所。


 でも、今日は違った。

 俺たちは、どちらからともなく、足を止めた。

 繋いでいた手を離すのが名残惜しくて。


「……あのさ、陽菜」

「……うん」

「……明日、……また、朝、迎えに行くから」


 俺の、その不器用な、精一杯の言葉に。

 陽菜は驚いたように目を見開いた。


 そして、次の瞬間。

 事件のあと、初めて、心からの笑顔で、ふわりと笑った。


「……うん。……待ってる」


 その笑顔を見て。

 俺も、ようやく笑うことができた。


 俺たちは、繋いでいた手をそっと離した。

 でも、その温もりだけは、いつまでも、いつまでも、俺の手のひらに残っていた。


 自分の部屋に戻り、俺はベッドに倒れ込んだ。



 長い、長い、一日だった。


 俺は、ゆっくりと、自分の右の拳を見つめた。

 まだ、少しだけ血が滲んでいる。

 でも、もう痛みは感じなかった。


 この拳は、陽菜を守るための拳だ。

 そう思うと、不思議と誇らしい気持ちになった。


 俺は、まだ、弱い。

 ヘタレで、不器用で、自分の気持ちすらまともに伝えられない。


 でも、一つだけ確かなこと。


 俺は、陽菜のことが好きだ。

 恋愛対象として、一人の女の子として、どうしようもなく好きだ。



 これが恋し、愛するということ。


 その感情に、ようやく、名前をつけることができた。


 俺は強くなる。

 あいつの隣に、堂々と立てる男になる。

 あいつの、あの笑顔を一生守り続けられる、そんな男に。


 その決意は、俺の心の中に、強く、強く、刻まれた。




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