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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第6章 天使と悪魔(10月)

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第58話 守るべきもの、繋がる想い

 祭りの終わりを告げる夕日の光が、俺たちの壊れかけた時間を、静かに照らしていた。


 俺は、陽菜の小さな身体を、強く、強く、抱きしめながら。

 ただ子供のように、声を殺して泣いた。



 どれくらいの時間、そうしていただろう。

 俺の背中を、優しい手のひらが、そっと撫でた。


「……桜井くん。もう、大丈夫よ」


 藤井先生の、穏やかな声だった。

 俺が顔を上げると、先生は見たこともないくらい悲しい、でも、力強い目で俺たちを見つめていた。

 その隣では、武田先生が、鬼のような形相で、鼻血を流して床に伸びている西園寺を、仁王立ちで見下ろしている。


「……西園寺。……貴様、それでも人間か」


 武田先生の、地を這うような低い声が倉庫の中に響き渡った。


 その静かな怒りは、どんな罵声よりも恐ろしかった。

 蓮がいつの間にか、倉庫の外から、もう一人の男子生徒を引きずってきた。

 確か、いつも西園寺の近くにいる生徒だ。

 そいつは顔を真っ青にして、ガタガタと震えている。


「先生。こいつが外からかんぬきをかけてました」


 蓮の冷たい声。

 武田先生は、その男を一瞥すると何も言わずに職員室の方を指さした。

 男は、腰を抜かしたように、その場にへたり込んだ。


「……藤井先生。後のことは俺に任せてください。……こいつらは絶対に許さん」

「……ええ。お願いします、武田先生」


 藤井先生は静かに頷いた。

 そして、俺と陽菜の方に向き直る。


「……日高さん、立てる?」

「……は、はい」


 陽菜は、俺の腕の中で こくりと頷いた。

 俺は、ゆっくりと彼女の身体を支えながら立ち上がらせる。


 藤井先生は、自分が着ていたジャージの上着をそっと陽菜の肩にかけた。

 破れた、ワンピースの肩口と白い肌が隠される。


「……保健室へ行きましょう。温かいものでも飲んで、少し休みましょうね」


 先生の、その母親のような優しい声に。

 俺たちの、張り詰めていた糸がぷつりと切れた気がした。





 保健室は、校内の喧騒が嘘のように静かだった。


 白いカーテン。

 消毒液のツンとした匂い。

 藤井先生は、俺と陽菜をベッドに座らせると、温かいココアを二つ淹れてくれた。


 その甘い香りが、俺たちの凍りついた心を少しだけ溶かしていく。


「……桜井くん」


 先生は、俺の前に膝をついた。

 そして、俺の拳を優しく両手で包み込む。


 俺の拳は血が滲んでいた。

 西園寺を殴った時に切ってしまったのだろう。

 痛みなんて、全く感じなかった。


「……痛かったでしょう」


 先生のその言葉は、俺の拳の傷に向けられたものじゃなかった。

 俺の、心に、向けられた言葉だった。


 その藤井先生の優しい声に。

 俺の目から、また涙がこぼれ落ちそうになる。

 俺は、必死でそれを堪えた。


「……日高さんを、守ってくれてありがとう。……あなたは、とても勇敢だったわ」

「……俺は……」


 違う。

 俺は、勇敢なんかじゃない。

 ただ、自分の怒りに任せて暴力を振るっただけだ。


 それに、俺がもっと早く気づいていれば……。

 俺が、陽菜を一人で行かさなければ……。

 陽菜は、こんな怖い思いをしなくて済んだんだ。

 

 俺のせいだ。

 全部、俺が弱いから。


 俺が、自分を責めていると。

 陽菜が、俺の服の裾をきゅっと小さく掴んだ。


「……違うよ、カケル」


 陽菜は震える声で、でも、はっきりと言った。


「……カケルは悪くない。……カケルが来てくれなかったら、私、本当にどうなっていたか……。……カケルが、私を守ってくれたんだよ」


 その、陽菜の言葉に。

 俺の、心の中のダムは、また決壊しそうになった。

 俺は、唇を、強く、強く、噛み締めた。


 藤井先生は、そんな俺たちを悲しそうに、でも、慈しむような目で見つめていた。

 そして、ゆっくりと立ち上がる。


「……少し、二人で話をしなさい。……先生は、外で待っているから」


 そう言って、先生は、静かに保健室を出て行った。

 後に残されたのは、俺と陽菜と、そして気まずい沈黙だけだった。





 俺は、何も言えなかった。


 陽菜の顔を見れない。

 彼女の白い肌に、その心に、刻まれた恐怖の記憶。


 その原因の一端は、間違いなく俺にある。


 俺が、陽菜を守ってやれなかったから。

 俺が、陽菜の隣にいてやれなかったから。


 後悔と罪悪感が、津波のように、俺の心を飲み込んでいく。


「……カケル」


 陽菜が、俺の名前を呼んだ。

 俺は、顔を上げられない。


「……ごめん」


 俺の口から、ようやく言葉が漏れた。


「……本当に、ごめん、陽菜」

「……なんで、カケルが、謝るの?」

「……俺が、もっと、早く気づいていれば……。お前、ずっと怖かっただろ」

「……うん。……すごく、怖かった」


 陽菜は、素直に、頷いた。


「……もう、ダメだって、思った。……でもね」


 彼女は、言葉を続ける。


「……不思議と、カケルの顔が浮かんだの。……そしたら、少しだけ、勇気が湧いてきた」

「……え?」


 俺は、驚いて顔を上げた。

 陽菜は、少しだけ恥ずかしそうにはにかんだ。


 そして、自分の、エプロンのポケットから、何かを取り出した。


 それは、少し色褪せて使い古された、水色のリストバンドだった。


「……これ、覚えてる?」

「……それ……」


 忘れるはずがない。


 俺が、中学一年生の時。

 陽菜の誕生日に、プレゼントしたリストバンド。


「……あの時、私、ポケットの中で、ずっと、これを握りしめてたの。……いつものおまじない」

「……おまじない?」

「うん。……大事な試合の前とか、緊張した時とか。いつも、これを、ぎゅっと握って、『カケル、力を貸して』ってお願いするの。……そうするとね、不思議と力が湧いてくるんだよ」


 陽菜は、そう言って、優しく微笑んだ。

 その、あまりにも信じられない告白に。 俺は言葉を失った。


 なんだよ、それ。

 そんな大事なこと。

 なんで、今まで教えてくれなかったんだよ。


 俺が、あげた、ただの安いリストバンドが。

 こいつにとって、そんな特別なお守りになっていたなんて。


「……だからね、あの時も、ずっと祈ってたの。『カケル、助けて』って。……そしたら、本当にカケルが来てくれた。……私の祈りが、カケルに届いたんだなって、思った」


 そのあまりにも健気で純粋な一言に。

 俺の目から、堪えていた涙が、また、こぼれ落ちた。


 違う。

 違うんだよ、陽菜。

 俺は、お前の祈りなんかじゃなく。


 ただ胸騒ぎがして。

 お前のことが心配で、いてもたってもいられなくて、走ってきただけだ。

 でも、もし本当に、お前の想いが、俺をここに導いてくれたのだとしたら。

 俺も、そのおまじないを、信じてみたくなったよ。



「……陽菜」


 俺は震える手で、彼女の頬に、そっと触れた。


 そして、その涙の跡を、親指で優しく拭ってやる。


「……ありがとう。……俺のこと、信じてくれて」


 陽菜は、何も言わずに、こくりと頷いた。

 そして俺の手に、自分の手を、そっと重ねてくる。



 その、小さな手の温もり。

 それが、今、俺のすべてだった。


 言葉なんて、もういらなかった。


 俺たちは、この事件で、多くのものを失いかけた。

 でも、それ以上に、大きくてかけがえのないものを手に入れたのかもしれない。


 それは、どんな言葉よりも確かな、二人だけの絆。

 俺は陽菜の手を、もう一度、強く、強く、握りしめた。



 もう二度と、この手を離さない。

 そう心に誓った。




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