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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第5章 天使のひだまり(10月)

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第53話 教師の誓い

 文化祭の二日目も、熱狂と喧騒の中で、穏やかに過ぎていく。

 私、藤井ふじい千尋ちひろは、職員室の窓から、眼下に広がる非日常の光景を静かに眺めていた。


 色とりどりのクラスTシャツ。

 生徒たちの弾けるような笑い声。

 普段は静かな校舎が、一年で最も輝く二日間。

 この、キラキラとした時間の、すべてが愛おしい。


「うおおおっす! 藤井先生! パトロール、お疲れ様です!」


 バンッ!と、勢いよく職員室のドアを開けて入ってきたのは、三組の担任である熱血体育教師の武田たけだたけし先生だった。

 その手には、焼きそばのパックが二つも握られている。


「武田先生、お疲れ様です。……廊下は、走らないでくださいね」

「はっ! すみません! つい、興奮してしまいまして! いやー、今年の二年生は熱いですね!」


 武田先生はそう言って、ガハハと豪快に笑った。

 彼の、その裏表のない真っ直ぐな情熱が、私は、少しだけ羨ましかった。


「特に先生のクラスの『天使カフェ』! 噂になってますよ! 俺も、さっき、こっそり覗きに行ったんですが、あまりの尊さに直視できませんでした! あの天使たち、反則でしょう!」

「ふふっ。うちのクラスの子たちは頑張り屋なので」

「いやー、本当に素晴らしい! 体育祭の時の、あの桃組の団結力を思い出しますよ! 特に、最後のリレーでの桜井の走りは鳥肌が立ちました!」


 武田先生の言葉に、私もあの日の興奮を思い出す。


「ええ、本当に。……本当に、いいクラスになりました。五組は」

「藤井先生の、おかげですよ」


 武田先生はそう言って、焼きそばを、一口、豪快に頬張った。


 私のおかげなんかじゃない。

 あの子たちが、自分たちの力で、築き上げた絆だ。

 私は、ただ、それを見守っているだけ。


「……少し様子を見てきます」


 私は、そう言って席を立った。

 もう一度だけ、あのキラキラとした空間に触れたくなったのだ。





 廊下は、まだ、人でごった返していた。

 私は、生徒たちに紛れるように、ゆっくりと、校内を歩く。


 中庭では、軽音楽部のライブが行われていた。

 体育館では、演劇部が熱のこもった演技を披露している。

 その、一つひとつの光景が、私の胸を温かいもので満たしていく。


 青春。

 それは、あまりにも儚くて、脆くて、そして、どうしようもなく美しい。


 私にも、あったはずのそんな時間。


 ふと、胸の奥がチクリと痛んだ。

 あの頃の私は、あの子たちみたいに、真っ直ぐに笑えていただろうか。


 好き、という気持ちだけで、突っ走ってはいけない。

 その先にある、責任と、痛みに、あの子たちには、まだ、直面してほしくない。


 焦らないで。

 ゆっくりと時間をかけて、お互いを大切にしてほしい。

 そんな老婆心のような祈りが、胸に込み上げてくる。



 私は、二年五組の教室の前までやってきた。

 相違わらずの長蛇の列だ。


 私は、列には並ばず、少し離れた場所から、中の様子をそっと窺った。

 教室の中は、甘いパンケーキの匂いと、生徒たちの活気で満ち溢れていた。


 噂の天使たち。

 日高さんと、結城さんの、あの、反則的なまでに可愛らしい衣装。

 そして、普段のぶっきらぼうな姿とは、全く違う、執事天使の姿で、ぎこちなくも必死に接客をする桜井くん。


 その、すべてが微笑ましくて、愛おしくて。

 見ていて飽きることがなかった。


 ちょうど、桜井くんと、日高さんが、二人で、休憩に出るところだったらしい。

 橘くんの粋な計らい、といったところかしら。

 二人は、顔を真っ赤にして、ぎこちない足取りで、廊下へと出てきた。

 その初々しい姿が微笑ましくて。 私は思わず笑みを浮かべた。


 あの子たちは、まだ、気づいていない。

 自分たちの、その、もどかしい距離感こそが、何物にも代えがたい宝物なのだということに。


 好き、という、たった一言が言えなくて。

 触れたい、という、衝動を、必死に抑え込んで。


 その甘くて、苦しい時間こそが、二人を、本当の「二人」にしていくのだということに。

 いつか、この甘い時間が、苦い現実に変わる日が来るかもしれない。

 でも、今はまだ。 このキラキラとした魔法の中に、いさせてあげたい。



 私がそんなことを考えていると。 ふと肩をポンと叩かれた。


「……藤井先生。お疲れ様です」


 振り返ると、そこにいたのは、生徒指導の佐藤先生だった。

 ベテランの女性教師。


 その、厳しいけれど愛情深い眼差しは、どんな生徒の問題行動も見逃さない。


「佐藤先生。お疲れ様です」

「……二年五組、繁盛しているようですね」

「はい。生徒たちが頑張っているので」

「……そうですね。……ですが、藤井先生。……ああいう、華やかな場所には、光だけでなく、影も集まりやすいものです。……特に、三年生の、あの、西園寺という生徒。……少し、気をつけて見ておいてあげてください」


 佐藤先生はそれだけ言うと、静かに、その場を、立ち去っていった。


 その言葉の意味。

 私には、痛いほどわかっていた。


 西園寺さいおんじたくみ


 彼の悪い噂は、私の耳にも、届いている。

 そして彼が、最近、日高さんに執着していることも。


(……大丈夫)


 私は、心の中でそう呟いた。

 あの子たちのことは、私が絶対に守る。


 この、キラキラとした宝物みたいな時間を。

 誰かの身勝手な都合や、醜い欲望で壊させたりは、絶対にしない。



 それが、あのとき、私を救ってくれた恩師への恩返し。

 そして、過去の、愚かな自分への贖罪。

 私にできる、たった一つの誓いなのだから。



 私は、もう一度、桜井くんと日高さんが消えていった廊下の先を見つめた。

 そして、静かにその場を後にした。








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