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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第5章 天使のひだまり(10月)

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第52話 掌のぬくもり

 俺、桜井さくらいかけるは、陽菜に腕を引かれるまま、屋上から階段を駆け下りていた。


 さっきまでの、あの光景が頭から離れない。

 大和部長と、水野先輩の、あの大人びたキス。

 その生々しい残像が、俺の思考回路を完全に焼き切っていた。


「はぁ、はぁ……。もう、大丈夫かな」


 一階まで降りたところで、陽菜はようやく俺の腕を離した。

 彼女も、俺と同じくらい息を切らしている。


 その頬は、夕日に照らされたわけでもないのに、真っ赤に染まっていた。


「……陽菜、お前な……」

「ご、ごめん! でも、あのまま、あそこにいたら、私、本当にどうにかなっちゃいそうだったから……!」


 陽菜は、必死に何かを言い訳している。

 その潤んだ瞳が、また俺の心をかき乱す。

 俺たちは、お互いに顔を見合わせることができず、気まずい沈黙が流れた。


「……で? 本当に行くのかよ。お化け屋敷」


 俺がそう言うと、陽菜は、こくりと力なく頷いた。


 正直、俺は、今、そんな気分じゃなかった。

 でも、このどうしようもない空気をどうにかするには、それしかないのかもしれない。

 俺たちは、小野寺たちのクラス、二年二組の教室へと向かった。


 廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちが、俺たちの格好を見て、ひそひそと噂しているのが聞こえる。


「あ、天使カフェの店員さんだ」

「執事天使の人、カッコいい……」


 そうだ。

 俺たちは、まだ、あの気恥ずかしい衣装のままだった。


 天使のワンピースを着た陽菜と、小さな羽の付いた黒いベストを着た俺。

 こんな格好で、お化け屋敷に乗り込むなんて。





 二年二組の教室は、俺たちの「天使の癒しカフェ」とは全く違う、不気味なオーラを放っていた。

 入り口は、黒いカーテンで覆われ、中からはうめき声のような、おどろおどろしいBGMが漏れ聞こえてくる。


 看板には、『絶叫VRホラーハウス』と、血文字のようなフォントで書かれていた。


「……マジで入んのかよ」

「……うん。……もう、ここまで来ちゃったし」


 陽菜は、少しだけ怖気づいているようだった。


 その指先が、俺のベストの裾を、きゅっと小さく掴んでいる。

 俺たちは、受付にいた見慣れない男子生徒に、アイマスクとヘッドフォンを渡される。


「……これ、つけんのかよ」

「VR、だからね。きっと」

 

 俺たちは、言われるがままにそれを装着する。

 途端に、俺の世界から光と音が消えた。

 あるのは、ヘッドフォンから聞こえてくる不気味なうめき声と風の音だけ。


 そして、隣にいる陽菜の気配。

 彼女の、甘い匂いと、少しだけ速くなった呼吸の音。


「……カケル、いる?」


 陽菜の震える声が、すぐ近くで聞こえた。


「……おう。いるぞ」


 その声は、ひどく頼りなげで。

 俺は、気づけば、手を伸ばしていた。


 守らなければ。

 俺が、こいつを、守らなければ。


 その一心だった。

 俺は、暗闇の中で、手探りで、陽菜の手を探した。


 そして。

 その小さな冷たい手に、俺の指先が触れた。





(……あ)


 カケルの、手が。

 私の、手に、触れた。

 大きくて、ゴツゴツしていて、硬いマメがたくさんある男の子の手。


 その手が、私の冷たくなった手を探すように、彷徨い。

 そして、優しく、包み込んでくれた。


 温かい。

 信じられないくらい、温かい。


 その温もりが、私の身体中に、じんわりと染み渡っていく。

 さっきまでの恐怖や不安が、嘘みたいに消えていく。


 心臓がドキドキしている。

 でもそれは、お化け屋敷が怖いからじゃない。

 カケルが、隣にいるから。

 カケルが、私の手を、握ってくれているから。


 高校生になってから、彼とこうして手を繋ぐのは初めてだった。

 子供の頃は当たり前のように繋いでいたこの手。

 でも、今は違う。


 その、一つひとつの指の感触が。

 手のひらの熱が。

 私に、はっきりと伝えてくれる。


 彼は、もうただの幼馴染じゃない。

 一人の「男の子」なんだって。





 俺は、陽菜の手をぎゅっと握りしめた。

 陽菜も、同じくらいの力で握り返してくれた。

 その温もりだけが、俺の唯一の頼りだった。


 俺たちは、壁を伝いながら、ゆっくりと前に進んでいく。


 ヘッドフォンからは、女の人のすすり泣く声が聞こえる。

 ひた、ひた、と、水滴が落ちる音。

 突然、すぐ耳元で「うしろ……」と、低い男の声が囁いた。


「ひっ!」


 陽菜が、小さな悲鳴を上げて、俺の腕にぎゅっとしがみついてくる。


「だ、大丈夫か?」

「う、うん……」


 大丈夫なわけないだろ。

 俺だって、今、めちゃくちゃビビった。


 俺がそう思っていると、今度は、足元で何かが、カサカサと動く気配がした。


「うわあああああああっ!」


 すぐ近くで、何かが、ガタン!と、大きな音を立てた。

 そして、俺の足首に、ぬるりとした何かが触れた。


「きゃあああああっ!」


 俺の情けない悲鳴と、陽菜の悲鳴が、綺麗にハモった。

 陽菜は、俺の腕に、もう完全に全体重を預けるように、しがみついてくる。

 その柔らかな感触に、俺は、恐怖と、それとは全く別のドキドキで、心臓が爆発しそうだった。


「……な、なんだよ、今のは……!」

「……わ、わかんない……!」


 俺たちが、パニックになっていると。

 ふと、目の前の闇の中に、白いものが浮かび上がった。

 それは、長い髪の女の顔。

 その顔が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


「ひっ……!」


 俺が、息を呑んだ。

 その瞬間。 その女の顔が、聞き慣れた声で、言った。


「……あ、桜井くん? ……日高さんも?」


 その声は、小野寺おのでらかえでだった。

 そして、その隣からもう一人、同じように、白い顔をした中村なかむら沙織さおりが、ひょっこりと顔を出す。


「あれー? 二人とも、来てくれたんだ。……って、うわ、桜井くん、日高さんに、めっちゃしがみつかれてんじゃん。ウケる」

「……っ!」


 俺と陽菜は、慌てて身体を離した。

 そして、気まずさで、顔を真っ赤にする。


 こんなところで会うなんて。

 俺は、まだ、陽菜の手を握ったままだった。

 その事実に、今更気づいた。


「……お、驚かすなよ、お前ら……」

「ご、ごめん。……でも、楽しんでくれたみたいで、よかった」


 小野寺は、そう言って、少しだけ寂しそうに、でも、優しく微笑んだ。

 その視線が、俺と陽菜が固く繋いだままの手に、注がれていることに、俺は気づいていた。

 その笑顔に、俺は、胸がチクリと痛んだ。



 お化け屋敷を出た後も、俺たちの心臓は、ずっと、うるさく鳴り続けていた。

 それは、恐怖のせいなのか。

 それとも、暗闇の中で触れ合った、お互いの温もりのせいなのか。

俺には、もうわからなかった。


 俺たちは、どちらからともなく繋いでいた手を、そっと離した。

 でも、その感触だけは、いつまでも、いつまでも、俺の手のひらに残っていた。



 陽菜の、小さくて、温かい、手の感触。


 それは、俺たちの関係が、もう後戻りできない、新しいステージへと進んでしまったことを告げているようだった。





本日は、夜にもう一話更新します。

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