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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第1章 いつも隣にいた君(4月/5月)

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第5話 最悪と幸せ

 ――ズキ……と。

 こめかみのあたりで、鈍い痛みが脈打った。


 身体が重い。まるで湿った粘土の中に沈んでいくような不快な倦怠感。目を開けることすら億劫で、俺はベッドの上で身じろぎもできずにいた。


(……なんだ、これ。最悪だ……)


 昨日、部活の後に少し無理をして走り込んだのが悪かったのかもしれない。季節の変わり目は体調を崩しやすいと、藤井先生も言っていた。


 完全に油断していた。


 なんとか重い腕を持ち上げ、枕元のスマホを手繰り寄せる。画面には「午前9時32分」と表示されていた。


 土曜日で学校が休みだったのは、不幸中の幸いか。 母親は、確か今日はパート仲間と日帰り旅行に行くとかで、早朝から出かけていたはずだ。

 弟のわたるは、部活の練習試合だろう。家の中は、水を打ったように静かだった。


(……水、飲みたい)


 喉がカラカラに乾いている。だが、ベッドから起き上がる気力すらなかった。身体中の関節が軋み、熱を持っているのがわかる。


 これは、間違いなく風邪だ。それも、かなりタチの悪いやつ。


 俺は諦めて、再び目を閉じた。


 このまま眠ってしまえば、少しは楽になるかもしれない。

 意識が朦朧とし始めた、その時だった。


 ――ピーンポーン。


 間延びしたインターホンの音が、静寂を破った。


(……誰だよ、こんな時に)


 無視しよう。どうせ、居留守を使えばそのうち帰るだろう。


 だが、その期待はすぐに裏切られた。


 ――ピーンポーン、ピーンポーン、ピーンポーン!


 まるで俺が家にいることを確信しているかのように、インターホンは執拗に鳴り続ける。それどころか、ガチャガチャとドアノブを回す音まで聞こえてきた。


(……まさか)


 嫌な予感が頭をよぎる。

 この家に合鍵を持ち、こんな無遠慮な行動に出る人物なんて、世界に一人しかいない。


 ガチャリ、と鍵の開く音がして、玄関のドアが開いた。


 パタパタと軽い足音が近づいてきて、俺の部屋のドアが、遠慮なく開け放たれる。


「カケル! 部活の時間になっても来ないから、どうしたの……って、えっ!?」


 そこに立っていたのは、案の定、俺の幼馴染の日高ひだか陽菜ひなだった。 ジャージ姿の彼女は、俺がベッドでぐったりしているのを見るなり、驚いたように目を見開いた。


「カケル、どうしたの!? 顔、真っ赤だよ!」


 陽菜は慌てて俺のベッドのそばに駆け寄ると、俺の額にそっと手を当てた。

 ひんやりとした、小さな手のひら。その心地よさに、俺は思わず目を細める。


「……あつっ! ちょっと、すごい熱じゃない! 大丈夫なの!?」


「……うるせぇな……頭に響く……」


 俺がか細い声で答えると、陽菜はハッとしたように口元を押さえた。


「ご、ごめん。……とりあえず、体温計持ってくるね。あと、お水も」


 陽菜はそう言うと、慣れた様子で俺の部屋を出て行った。

 すぐに戻ってきた彼女の手には、体温計と水の入ったグラス、それから濡れタオルが握られていた。


「はい、これ。脇に挟んで」

「……ん」


 俺は言われるがままに体温計を挟む。

 その間、陽菜は手際よく濡れタオルを絞り、俺の額に乗せてくれた。熱を持った身体に、タオルの冷たさがじんわりと染み渡っていく。


 やがて、ピピピッ、と電子音が鳴った。

 陽菜が俺の脇から体温計を抜き取り、液晶画面を覗き込む。


「さんじゅう、はちど、ななぶ……!?」


 陽菜が素っ頓狂な声を上げる。


「バカ! なんでこんなになるまで放っておいたのよ!」

「……朝起きたら、こうなってたんだよ」


「おばさんは?」

「旅行」


「航くんは?」

「部活」


 俺の短い返答に、陽菜は深いため息をついた。


「もう……私が来なかったら、どうするつもりだったのよ」


 その声には、呆れと、そして確かな心配の色が滲んでいた。 俺は何も言い返せず、ただ黙って目を閉じる。

 陽菜がいる。その事実だけで、不思議と身体の痛みが少し和らいだ気がした。





(どうしよう……カケル、すごい熱……)


 彼の部屋を出て、キッチンでスポーツドリンクの粉を水に溶かしながら、私は焦っていた。

 カケルが部活に来ないなんて、よっぽどのことだ。心配になって家に来てみれば、案の定、彼は高熱でぐったりしていた。


 彼の部屋の合鍵は、昔、おばさんから「何かあった時のために」と預かったものだ。

 普段からよく使わせてもらっているけれど、まさか本当にこんな形で役に立つ日が来るなんて。


(お粥、作ってあげなきゃ。でも、うちの冷蔵庫に、何かあったかな……)


 私は自分の家のキッチンへと向かい、冷蔵庫を開ける。幸い、卵とネギ、それからご飯の残りがあった。


 これなら、簡単な卵粥くらいは作れる。 慣れない手つきで、土鍋にご飯と水を入れる。料理なんて、普段は母親に任せっきりだ。

 でも、今は私がやるしかない。カケルのために。


 コトコトと、お粥が煮えるのを待つ間、私はさっきのカケルの姿を思い出していた。


 いつもは、憎らしいくらい強くて、自信に満ち溢れているのに。ベッドの上で、苦しそうに息をする彼は、ひどく弱々しく見えた。


 額に手を当てた時の、燃えるような熱さ。 少しだけ潤んだ、頼りなげな瞳。 そのすべてが、私の胸を締め付ける。


(守ってあげなきゃ)


 柄にもなく、そんなことを思った。


 いつもは、カケルに守られてばかりなのに。

 彼のがっしりとした背中の後ろを、ついていくだけだったのに。

 今日だけは、私が彼を守る番だ。


 お粥ができた。私はお盆に乗せて、慎重に彼の部屋へと運ぶ。


「カケル、お粥作ったけど、食べられそう?」


 部屋に入ると、彼はさっきよりも少しだけ落ち着いた様子で、浅い眠りについていた。

 額のタオルは、すっかりぬるくなっている。


「……ん」


 私の声に、カケルが薄く目を開けた。


 私はベッドの脇に椅子を持ってきて座り、彼の上半身をゆっくりと起こしてやる。

 彼の背中に手を回すと、ジャージ越しに、鍛えられた筋肉の硬さが伝わってきた。

 熱があるはずなのに、その身体は頼もしい。


「ほら、あーん」


 私はレンゲでお粥をすくい、彼の口元へと運んだ。

 カケルは少しだけ躊躇うような素振りを見せたが、やがて観念したように、おずおずと口を開けた。


「……うまい」

「ほんと? 良かった」


 彼の言葉に、私は心の底からホッとした。


 一口、また一口と、彼がお粥を食べてくれる。ただそれだけのことが、こんなにも嬉しいなんて。

 まるで、私たちは本当の恋人同士みたいだ、なんて。そんな都合のいい妄想が、頭をよぎる。


(ダメダメ、私はただの幼馴染。勘違いしちゃダメ)


 私は自分に言い聞かせながら、彼の世話を続けた。

 お粥を食べ終え、薬を飲ませ、再び彼をベッドに寝かせる。

 新しい冷たいタオルを額に乗せてやると、彼は心地よさそうに、すぐに寝息を立て始めた。


 静かになった部屋で、私は彼の寝顔をじっと見つめた。

 少しだけ開いた唇。穏やかな寝息。いつもセットされていない、柔らかそうな髪。


 無防備な彼の姿を見ていると、心臓がドキドキと音を立てる。


(……触りたいな)


 衝動的にそう思った。

 彼の髪に、頬に、触れてみたい。

 私は、震える手をゆっくりと伸ばした。


 彼の頬に、指先が触れるか触れないか、というその瞬間。


「……ひな?」


 カケルが、寝言のようにはっきりと、私の名前を呼んだ。


「えっ!?」


 私は驚いて、慌てて手を引っ込める。心臓が、喉から飛び出しそうだった。


(起きてたの!?)


  恐る恐る彼の顔を覗き込むが、彼はまだすうすうと穏やかな寝息を立てている。どうやら、本当にただの寝言だったらしい。


(……びっくりした)


 でも、それと同時に、胸の奥からじわりと温かいものが込み上げてきた。


 寝言で、私の名前を呼んでくれた。

 ただそれだけのことなのに。 嬉しくて泣きそうになった。


 私は、彼が目を覚まさないように、そっと部屋を出た。 キッチンで洗い物をしながら、私は今日の出来事を反芻する。


 彼の熱に触れたこと。 彼にお粥を食べさせてあげたこと。 そして、彼が寝言で私の名前を呼んでくれたこと。


 今日の一日は、きっと忘れない。

 彼にとっては、ただ風邪を引いた最悪な一日だったかもしれないけど。

 私にとっては、大好きな人の隣にいられた、最高に幸せな一日だったから。


 夕方になり、彼の熱も少しだけ下がってきたのを確認して、私は自分の家に帰ることにした。


「カケル、私、そろそろ帰るね。何かあったら、すぐに電話して」

「……おう。……悪かったな、色々」

「ううん、気にしないで。お大事にね」


 私は彼の部屋のドアを閉める。

 最後に見た彼の顔は、まだ少し辛そうだったけど、朝よりずっと穏やかだった。


(早く、元気になってね)


 心の中でそう呟き、私は彼の家を後にした。 明日は、きっと彼も部活に来れるだろう。



 そうしたら、また、いつもの日常が戻ってくる。

 「幼馴染」という、甘くて、もどかしい、私たちの日常が。




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