第47話 天使のもう一つの顔
「はい、ご注文の、天使の特製パンケーキ、お待たせいたしました!」
俺、桜井駆は、ぎこちないながらも、なんとか笑顔を顔に貼り付けて、客のテーブルに皿を置いた。
バックヤードでの、あの、心臓が止まりそうなくらい甘い出来事の後。
俺と陽菜の間には、また、新しい種類の気まずくて、でも、どこか温かい空気が流れていた。
俺が、ホール係として陽菜の隣に立つ。
残念ながら、まだ慣れない。
でも、悪くはない。
むしろ、最高だ。
陽菜と声を掛け合い、視線を交わし、時々、指先が触れ合う。
そのたびに、俺の心臓は、うるさいくらいに高鳴るけれど、そのドキドキが、今は心地よかった。
「駆、3番テーブルの、お冷、お願いできる?」
「……おう」
俺が、陽菜に頼まれて、ウォーターピッチャーを手に取った、その時だった。
カフェの入り口が、また少しだけ騒がしくなった。
「うわっ、マジで行列じゃん! 舞の奴、すげーな」
聞こえてきたのは、快活で、よく通る男の声。
その声の主は、バスケ部のユニフォームを着た、背の高い男子生徒だった。
確か、別のクラスの相田翔平。
舞の、彼氏だ。
俺は、ちらりと舞の方を見た。
彼女は、レジで会計をしながら、客と、楽しそうに談笑している。
その姿は、いつも通りのクールで、頼りになる俺たちのリーダーだ。
だが、 相田が店の中に入ってきて、彼女の名前を呼んだその瞬間。
俺は、信じられないものを見た。
「舞ちゃーん! お疲れ!」
「……しょ、翔ちゃん!?」
舞の、あのいつも余裕綽々の顔が、一瞬で茹でダコみたいに真っ赤に染まったのだ。
声も、裏返っている。
彼女は慌てて、レジの対応を他の女子に任せると、ぱたぱたと、相田の元へと駆け寄っていった。
「な、なんで来たのよ! 連絡くれてもよかったのに!」
「サプライズだよ。ほらよ、差し入れ」
相田はそう言って、スポーツドリンクのボトルを舞に手渡した。
「……ありがと。……でも、練習は、よかったの?」
「今日は、もう終わり。それより、舞の天使姿、見に来たんだよ。……やべぇな。反則だろ、それ。可愛すぎて死ぬかと思った」
「……っ! ば、バカ! 何言ってんのよ、みんなの前で!」
舞は顔を真っ赤にして、相田の胸を、ぽかぽかと軽く叩いている。
その姿は、俺が知っている、あのクールで大人びた舞とは全くの別人だった。
ただの恋する、一人の女の子の顔。
◇
(……うそ)
カケルの隣で、その光景を見ていた私は、自分の目を疑っていた。
あの、舞が。
いつも、私のじれったい恋を、「見てらんないわねー」と、呆れたように、でも、優しく見守ってくれていた、あの大人な舞が。
彼氏の翔平くんの前では、あんなに可愛らしい顔をするなんて。
私が知らない、舞の顔。
いつもは、私が相談に乗ってもらう側で、舞はどっしりと構えて。的確なアドバイスをくれる頼れる親友。
私が、カケルとのことで一喜一憂して、顔を真っ赤にしているのを、楽しそうにからかってくるお姉さんみたいな存在。
なのに。今、私の目の前にいるのは、ただの恋する、一人の女の子だった。
翔平くんの一言一言に、顔を赤くして、照れて、怒って、でも、最高に幸せそうな顔をして。
「……陽菜、あれ、本当に、舞かよ」
隣で、カケルが同じように呆然とした顔で呟いている。
「……うん。たぶん、そうだと、思う……」
私たちが、固まっていると。
舞と翔平くんの甘い会話は、さらにエスカレートしていく。
「なあ、舞。俺、腹減ったんだけど。なんか、食わせてくんね?」
「えー、もう。うちは、カフェなんだから、ちゃんと注文してよね」
「じゃあ、舞の愛情が、たっぷり入ったやつ、お願いしやす」
「……もう、知らない!」
舞はそう言いながらも、その顔は満更でもない、というより、最高に幸せそうだった。
その二人の間に流れる、甘くてキラキラとした空気。
それは、私とカケルの間にある、このむず痒くて、ぎこちない空気とは、全く違うものだった。
これが、「恋人」同士の、空気。
堂々としていて、隠すものが、何もない。
「好き」っていう気持ちが、全身から、溢れ出している。
私は、そのあまりにも眩しい光景に、少しだけ胸がチクリと痛んだ。
羨ましい、なんて。思ってない。
思ってないけど。
でもやっぱり、少しだけ、羨ましかった。
私も、カケルと、あんなふうになれる日が来るのかな……。
◇
俺は、舞と相田のやり取りから、目を離すことができなかった。
なんだ、あれは。
あんな、堂々と、イチャイチャしやがって。
見てるこっちが、恥ずかしくなる。
でも、それ以上に。
俺の胸の中には、別のざらりとした感情が広がっていた。
相田は当たり前のように、舞を褒める。
「可愛い」と、ストレートに伝える。
そして、舞も、それを受けて、素直に照れて喜んでいる。
俺は?
俺は、陽菜に、そんなふうにしてやれているだろうか。
「可愛い」の一言を言うだけで、あれだけ躊躇して。
「えっちい」なんて、意味不明な失言までして。
俺は、あいつを、不安にさせているだけじゃないのか。
(……これが、彼氏、か)
俺と陽菜は、何なんだろう。
ただの幼馴染?
でも、それだけじゃないはずだ。
じゃあ、何なんだ。
その、答えの出ない問いが、俺の、頭の中をぐるぐると回る。
と、その時だった。
俺たちの思考を、完全に停止させる出来事が起こった。
翔平くんが、舞の耳元に、そっと顔を寄せた。
周りには聞こえないくらいの、小さな声で。でも、俺たちには、はっきりと聞こえる声で囁いた。
「なあ、舞ちゃん。この天使の衣装、文化祭終わったら、もらえるの?」
「え? だ、だめだよ? これ、クラスの備品だよ?」
「そっかー。……残念。……今度、俺ん家で、ほら、するときに、これ、着てほしかったんだけどな……」
「……はぁ!? ば、バカじゃないの!? こ、こんなみんなの前で、何言うのよ!」
「えー、ダメ?」
「だ、ダメに決まってるでしょ、この、エロスケベ!」
「ちぇっ」
舞は、顔を耳まで真っ赤にしながら、翔平くんの脇腹を、本気でつねっている。
翔平くんは、「いててて!」と叫びながらも、その顔は、最高に楽しそうだった。
◇
(……え、え、えええええ!?)
私の頭の中は、完全に、キャパオーバーだった。
い、今、なんて言ったの?
翔平くんが、舞に、家で、この衣装を……?
それって、つまり、そういうこと……だよね?
あの、舞が?
私の、親友の、舞が?
もう、そんな、大人の階段を登っていたなんて。
全然、知らなかった。
舞は、私に、そんな話、一言も……。
私は、隣にいるカケルの顔を盗み見た。
彼も同じように、顔を真っ赤にして、完全に固まっている。
その、あまりにも純情な反応に、私は、少しだけ安心した。
よかった。
まだカケルは、こっち側の人間だ。
でも、それと同時に。
舞と翔平くんの、あの大人びた関係が、ひどく眩しく見えて。
私の心は、期待と不安と、そして、ほんの少しの焦りで、ぐちゃぐちゃになってしまった。
◇
俺も、陽菜と同じように固まっていた。
舞と相田。
あいつらは、もうそんな、俺たちの知らない大人の世界にいるのか。
それに比べて、俺と陽菜は。
まだ、手を繋ぐことすらできていない。
その、あまりにも大きな差に、俺はただ呆然とするしかなかった。
俺と陽菜。
俺たちの関係は、一体何なんだろう。
その、答えの出ない問いだけが、甘い、バターの香りと共に、俺たちの間に漂っていた。
本日も、二話更新します。




