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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第5章 天使のひだまり(10月)

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第42話 天使の衣装と、策士のたくらみ

 手芸用品店での、あの気まずくて甘酸っぱい買い出しから数日が経ち、俺たちのクラス、二年五組は、本格的な文化祭準備期間に突入していた。


 放課後の教室は、トンカチの音、ペンキの匂い、そして生徒たちの笑い声が入り混じった、独特の熱気に包まれている。


 教室の後ろ半分は、内装係が使う作業スペースになっていた。


 俺、桜井さくらいかけるは、健太と一緒に、カフェのカウンターになるであろう大きな木の板に、ヤスリをかけているところだった。


「うっし、こんなもんか。どうだ、駆? ツルツルになっただろ」

「……おう。上出来だな」


 健太は、満足そうに自分の仕事ぶりを眺めている。


 こういう、黙々と身体を動かす作業は嫌いじゃなかった。

 むしろ、得意な方だ。何も考えずに、目の前の作業に没頭できる。


 そう。余計なことを考えずに済む。

 例えば、教室の前半分で繰り広げられている、あの、キラキラとした世界のことを。


 教室の前半分は、衣装係の女子たちが占領していた。

 その中心にいるのは、もちろん陽菜と舞だ。


 ミシンがカタカタと軽快な音を立て、色とりどりの布やレースが、魔法のように、可愛らしい衣装へと姿を変えていく。


 俺は、ヤスリをかける手を止め、そっとその光景を盗み見た。

 陽菜が、白い布地に、フリルのレースを縫い付けている。その横顔は、真剣で、集中していて、そして信じられないくらい綺麗だった。


 時々、舞と何か話して、楽しそうに笑う。

 その笑顔を見るたびに、俺の心臓は、ぎゅっと締め付けられるような、甘い痛みを覚えた。


(……いいな)


 あの中に入っていきたい、なんて、おこがましいことは思わない。

 ただ、あの陽菜の笑顔を、もっと近くで見ていたい。

 そう思っただけだ。


「……おい、駆。手ぇ止まってんぞ。見とれてんじゃねーよ」


 健太が、俺の脇腹を肘で突いてくる。


「……見てねぇよ」

「嘘つけ。顔、真っ赤だぞ。……まあ、気持ちはわかるけどな。日高さん、ああいうことさせるとマジで輝いてんな」

「……知ってる」


 俺がぽつりとそう答えると、健太はニヤリと笑った。


 その時だった。

 教室の後ろのドアが、また、ガラリと開いた。


「よぉ。準備進んでるか?」


 現れたのは、神崎だった。

 あいつ、また来やがった。


 神崎は、俺たち内装係には目もくれず、一直線に、陽菜たちがいる衣装係の輪の中へと入っていく。


「日高すごいな。手先、器用なんだな」

「あ、神崎くん。……う、うん。まあ、これくらいなら」


「今度、俺のジャージのゼッケン付け直してくれよ。お前にやってもらったら速く走れそうな気がする」

「え、えぇ……?」


 神崎の、その、あまりにも馴れ馴れしい口調に、陽菜は、困ったように曖昧に笑うことしかできない。


 俺は、握りしめたヤスリが、ミシミシと音を立てているのに気づいた。

 胸の奥で、黒くて、醜い炎が、メラメラと燃え上がっている。



 なんで、あいつは、いつも、陽菜の隣に当たり前のように行くんだ。


 なんで、俺は、ここで、黙って見ていることしかできないんだ。





(……困ったな)


 神崎くんが、また来た。

 体育祭が終わってから、彼は、以前にも増して頻繁に私たちのクラスに顔を出すようになった。


 彼が、私に好意を持ってくれているのは、なんとなくわかる。

 でも、私は、その気持ちに応えることはできない。

 私の心の中には、もう、カケルしかいないのだから。


「陽菜、すごいじゃん! 神崎くんといい感じ?」


 隣で、舞がニヤニヤしながら私の耳元で囁いた。


「ち、違うってば! 私は、別に……」

「はいはい。わかってますよーだ。……でも、桜井くんも、そろそろ本気出さないと取られちゃうかもね?」

「……!」


 舞の、その言葉に、私の心臓がチクリと痛んだ。

 ちらりと、カケルの方を見る。


 彼は、黙々と、ヤスリがけの作業を続けていた。

 でも、その背中は、どこか怒っているように硬直している。


(……もしかして、ヤキモチ焼いてくれてるのかな)


 そう思うと、少しだけ嬉しくなった。


 でも、それと同時に不安にもなる。

 このままじゃ、ダメだ。 私と、カケルの関係は、何も、変わらないまま時間だけが過ぎていってしまう。


 何か、きっかけが必要だ。

 彼が、私を、もっと意識してくれるような特別な何かが。


 私が、そんなことを考えていると。 蓮くんが、私たちのグループに、ひょっこりと顔を出した。


「よぉ、天使たち。準備は順調かい?」

「蓮くん! うん、バッチリだよ! 見て、このエプロン、可愛いでしょ?」

「お、いいねぇ。陽菜が着たら、マジで天使降臨だな」


 蓮くんの、そのキザなセリフに、周りの女子たちが、きゃー、と黄色い声を上げる。

 私は、苦笑いするしかなかった。


「それで、男子の衣装の方も、頼むぜ、リーダーさん。……特に、俺のやつは、特別仕様でな」

「もう、蓮くんは」


 私が、呆れたように、でも、少しだけ楽しんでそう言うと、蓮くんはニヤリと笑った。

 そして、今度は舞の方に向き直る。


「……あ、そうだ。舞、ちょっといい?」


 蓮くんはそう言って、舞の肩を叩き、少しだけ、輪の中から連れ出した。

 二人は、教室の隅で、何やらこそこそと話し込んでいる。

 その、悪戯を企んでいる子供のような二人の横顔を、私は不思議な気持ちで眺めていた。





「……で? 作戦は、順調かよ、舞」


 教室の隅で、蓮が、私にニヤリと笑いかけた。


「当たり前でしょ。こっちは、もう準備万端よ」


 私、結城ゆうきまいも、同じように、ニヤリと笑い返す。

 私と蓮くんは、今、ある壮大な計画を、水面下で進めているのだ。

 名付けて、『ヘタレな親友を、無理やり天使の隣に立たせてやろうぜ大作戦』。


「男子の、ホールスタッフ用のベスト、一着だけ、わざと小さいサイズで発注しといたから」

「いいねぇ。で、当日は、それを田中あたりに着せて、『あれ? サイズ合わねぇじゃん!』って、なると」


「そう。それで、『どうしよう! ホールスタッフが、一人足りない!』って、クラス中がパニックになるわけ」

「そこに、俺が、颯爽と登場。『それなら、俺たちの、秘密兵器を、投入するしかねぇな』って言う」


「秘密兵器?」

「桜井駆だよ。あいつのために陽菜が採寸した、あのシンデレラフィットの黒いベスト。あれを着せるんだよ」


「なるほど! キッチン係のはずの桜井くんを、緊急事態を理由にホールに引きずり出すわけね!」

「そういうこと。クラス委員長には、俺から、うまく言っとく。『駆は、ああ見えて、接客の才能秘めてるから』ってな」


「あんた、悪魔ね」

「褒め言葉だろ?」


 私と蓮くんは、顔を見合わせて、くすくすと笑った。


 ごめんね、陽菜、桜井くん。

 でも、これも全部、あんたたち二人のためなんだから。

 あんたたちの、じれったい恋を見ていると、こっちまでむず痒くなってくるんだよ。





 文化祭準備の最終日。

 俺は健太は、教室の内装用の大きなパネルを運んでいた。


 その時だった。


 陽菜が、小さな箱を抱えて、俺たちの前を通り過ぎようとした。

 その箱は、彼女の身体には、少し大きすぎたようだ。

 前が見えづらいのか、彼女の足が、床に置いてあった工具箱につまずいた。


「うわっ!」


 陽菜の小さな悲鳴。

 彼女の身体が、ぐらりと、傾く。

 俺は、持っていたパネルを放り出し、とっさに、彼女の身体を支えた。


「……大丈夫か、陽菜」

「う、うん。ごめん、ありがとう……」


 俺の腕の中で、陽菜が、顔を真っ赤にして俯いている。


 俺の、胸の中に、すっぽりと収まる小さな身体。

 甘い匂い。

 柔らかな感触。


 俺の心臓が、また、大きく、跳ねた。





(……また、だ)


 カケルの腕の中に、いる。


 彼の、硬い胸板の感触。

 Tシャツ越しに伝わってくる熱い体温。

 汗と制汗剤の匂いが混じった、カケルだけの匂い。


 そのすべてが、私の思考を停止させる。

 ラッキースケベなんて、そんな軽い言葉じゃ片付けられない。


 ただ、彼の腕の中にいる、という事実だけで。

 私の心は、安心感と、そして、どうしようもないくらいの幸福感でいっぱいになっていた。


 怖い、なんて少しも思わない。

 むしろ、ずっとこうしていたい。


 守られてる。

 大切にされてる。

 その事実が、私の心を、幸せな気持ちでいっぱいにしてくれた。





「……ったく。危ねぇだろ。一人で、無理すんなよ」

「……ごめん」


 俺は、彼女から、そっと身体を離すと、彼女が持っていた箱を、ひょいと持ち上げた。


「これ、どこまで運ぶんだ?」

「あ、えっと……。ステージの脇まで……」

「おう。わかった」


 俺は、箱を軽々と持ち上げ歩き出す。

 陽菜は、その後ろを申し訳なさそうについてきた。


 箱を、指定された場所に置くと、陽菜がぺこりと頭を下げた。


「……ありがとう、カケル。助かった」

「……別に。これくらい、どうってことねぇよ」


 俺は、照れ隠しにそう言って、そっぽを向いた。

 その時、陽菜が、何かを思い出したように、あ、と声を上げた。


「そうだ。……私、明日、カフェで出すクッキー、これからたくさん焼かなきゃいけないんだ」


「……へぇ、大変だな」


「うん。……だから、もし、よかったらなんだけど……。カケル専用の、特別なクッキーも、試作してみようかなって。……味見、してくれる?」


 陽菜は、恥ずかしそうにそう言った。



 手作りのクッキー。


 俺専用の、特別な。


 その言葉の、破壊力は凄まじかった。


 俺の胸は、温かいものでいっぱいになる。



「……おう。……楽しみにしてる」


 俺は、それだけ言うのが精一杯だった。


 陽菜は、嬉しそうにはにかむと、ぱたぱたと自分の持ち場へと戻っていった。

 俺は、その場に、立ち尽くしたまま、自分の熱くなった顔を、両手で覆った。






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