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幼馴染の身体を意識し始めたら、俺の青春が全力疾走を始めた件  作者:
第1章 いつも隣にいた君(4月/5月)
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第4話 境界線の内側

放課後の喧騒が、校舎を包み込んでいる。

ホームルームが終わり、生徒たちは思い思いの場所へと散っていく。


部活へ向かう者、友人とおしゃべりしながら帰路につく者、教室に残って予習をする者。

その喧騒の中、俺、桜井駆は、自分の席で黙々と部活の準備を進めていた。


「駆、行くぞ」

「おう」


隣の席の健太に声をかけられ、俺は頷いて席を立つ。


ちらりと陽菜の席に目をやると、彼女も友人たちと楽しそうに話しながら、テニスバッグに教科書を詰めているところだった。

目が合うと、陽菜はにこりと微笑んで、小さく手を振ってくれた。

俺はぎこちなく手を振り返し、心臓が少しだけ速く打つのを感じた。


「おーおー、熱いねぇ。見せつけてくれるじゃん」

「……うるせぇ」


健太のからかいを無視して、俺は蓮と共に教室を出る。

俺たちが向かうのは、グラウンド。陽菜たちが向かうのは、校舎裏のテニスコート。

ここからは、それぞれの戦場だ。





乾いた土の匂いと、スパイクがトラックを蹴る独特の音。


「ラスト一本、いくぞー!」


部長である大和先輩の張りのある声が響き渡り、グラウンドの空気がピリリと引き締まる。


俺はクラウチングの姿勢を取り、深く息を吸い込んだ。

全身の筋肉が、今か今かと爆発の瞬間を待ちわびている。


パンッ!


乾いた号砲と共に、俺は地面を蹴った。


風になる。ただひたすらに、前へ。

隣のレーンを走る健太や、他の部員たちの息遣いが聞こえる。

だが、俺の意識は、ゴールラインだけを見据えていた。


陸上は、孤独なスポーツだ。

スタートラインに立てば、頼れるのは自分の身体だけ。

だからこそ、俺はこの、すべてを忘れて走る瞬が好きだった。


(……はずだったんだがな)


最近は、どうも集中しきれない。 走っている最中ですら、ふと、あいつの顔が頭をよぎるのだ。


『カケル、頑張って!』


陽菜の応援する声が、幻聴のように聞こえる。


テニスコートで、ラケットを振るうあいつの姿が、瞼の裏に浮かぶ。

真剣な眼差し、ポニーテールを揺らしながらボールを追う姿、ポイントを決めて満面の笑みを浮かべる顔。

そのどれもが、俺の心臓を掴んで揺さぶる。



「はぁ、はぁっ……くそっ!」


ゴールラインを駆け抜けた俺は、タイムが伸び悩んでいることを自覚し、悪態をついた。


「駆、どうした? 今日、ちょっと動き硬いぞ」

「……わかってる」


息を切らしながら隣に並んだ健太が、心配そうに俺の顔を覗き込む。


「悩み事か? だったらこの恋愛マスターの健太様が聞いてやるぜ。俺も最近、葵とちょっと色々あってさ、女子の気持ちには詳しいんだ、たぶん」

「お前の惚気話は聞きたくねぇよ。……なんでもねぇ。ちょっと、身体が重いだけだ」


俺はそう言って、健太から顔を背けた。

陽菜のことを考えて集中できなかったなんて、口が裂けても言えるか。


「そっか? まあ、無理すんなよ」

「わかってる」


俺たちが話していると、少し離れた場所で、神崎彰が涼しい顔でストレッチをしていた。

あいつは長距離の選手だが、基礎トレーニングは俺たち短距離と一緒に行うことも多い。

俺たちの会話が聞こえたのか、神崎がふっと鼻で笑ったのがわかった。


「桜井は、いつもギリギリだな。才能がない奴は、努力で補うしかなくて大変だよな」


その言葉には、明確な侮蔑が込められていた。

俺はカッとなって神崎を睨みつける。


だが、あいつは気にも留めず、完璧なフォームで走り去っていった。

陸上部で唯一、全国レベルの実力を持つあいつに、俺は何も言い返せない。


(……クソッ)


悔しさが、腹の底で渦を巻く。


だが、その悔しさ以上に、俺の心を占めていたのは別の感情だった。

神崎は、最近やたらと陽菜に声をかけている。

それを知っているから、俺はあいつの存在が純粋に気に食わなかった。


(陽菜に、近づくんじゃねぇよ)


それは、嫉妬、だったのかもしれない。

俺は、自分の内側で燃え上がる黒い感情に戸惑いながら、もう一度スタートラインへと向かった。

陽菜の笑顔を思い浮かべる。 あいつに、無様な姿は見せられない。

その一心で、俺は再び地面を蹴った。





カン、カン、と小気味良い打球音が、テニスコートに響き渡る。

額から流れる汗を、リストバンドで拭いながら、私はパートナーからのボールを待っていた。


「陽菜、いくよ!」

「うん!」


パートナーのまいが打ち出したボールは、綺麗な放物線を描いて私のコートへと飛んでくる。私はボールの落下点を予測し、腰を落としてラケットを振り抜いた。

よし、決まった。


「ナイスショット、陽菜!」

「舞が打ちやすいボールをくれたからだよ!」


私たちはハイタッチを交わし、笑い合った。

結城ゆうきまいは、私の一番の親友で、ダブルスのパートナーだ。

私たちがやっているこのダブルスは、二人でやるスポーツ。

一人でがむしゃらに走るカケルとは違う。

でも、パートナーを信じ、心を一つにしてポイントを奪うこの瞬間が、私は大好きだった。


(カケルも今頃、走ってるのかな……)


ふと、グラウンドの方に目を向ける。

ここからでは、彼の姿をはっきりと見ることはできない。

でも、風に乗って、陸上部のかけ声や、スタートを告げる号砲が聞こえてくることがあった。

その音を聞くだけで、私の胸は少しだけ温かくなる。


彼の走る姿が好きだ。

ゴールだけを見つめる、真剣な横顔。

スタートラインに立つ前の、静かな集中力。

そして、走り終えた後に見せる、悔しそうな、だけどどこか満足そうな顔。

そのすべてが、私の目に焼き付いて離れない。


(あ……)


休憩中、給水ボトルに口をつけながら、私は自分の左手首に巻かれたリストバンドに気づいた。


少し色褪せて、使い古された水色のリストバンド。


これは、中学一年生の誕生日に、カケルがプレゼントしてくれたものだ。

彼にとっては、数あるプレゼントの一つでしかないのかもしれない。

きっと、あげたことすら忘れているだろう。


でも、私にとっては、世界で一番大切なお守りだった。

大事な試合の前には、必ずこれを握りしめて、勝利を祈る。

そうすると、不思議と力が湧いてくるのだ。

まるで、カケルが隣で応援してくれているみたいで。


「陽菜、何ニヤニヤしてんの?」

「へっ!? べ、別に、ニヤニヤなんてしてないし!」


舞に指摘され、私は慌てて顔を上げた。

どうやら、無意識に口元が緩んでいたらしい。


「ふーん? そのリストバンド見てたでしょ。桜井くんからのプレゼントだっけ?」

「な、なんで知って……!」

「伊達に親友やってませんー。陽菜、それすっごい大事にしてるもんね。わかりやすいんだから」


舞は、私の恋心をすべてお見通しだった。 私は恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしながら俯く。


「……応援してるからね、私」

「……うん。ありがとう、舞」


親友からの優しい言葉に、胸が熱くなる。

よし、練習再開だ。私も、頑張らなくちゃ。カケルに負けてられない。


そう思ってコートに戻ろうとした時だった。


「よぉ、日高。練習熱心だな」


隣の男子テニスコートから、馴れ馴れしい声が飛んできた。

声の主は、西園寺巧先輩。男子テニス部の三年生で、チャラいことで有名な人だ。


「西園寺先輩、こんにちは」

「練習試合、組んでやろうか? 俺と」


先輩はネット越しに、いやらしい視線を私に向けてくる。

可愛い子を見つけては、すぐに手を出そうとすることで、女子の間では要注意人物として有名だった。


「いえ、私たちはこれから乱打練習なので。失礼します」


私は当たり障りのない笑顔を浮かべて、その場を離れようとする。

こういう時、下手に相手を刺激しないのが一番だ。


「ちぇっ、つれねーの。まあ、そういうとこも可愛いけどな」


背後から聞こえてくる声は無視して、私は舞の元へと急いだ。

心臓が、嫌な音を立てている。 怖い、とか、そういうんじゃない。

ただ、不快だった。 私のことを、まるで値踏みするような、あの目つきが。


(……カケルに、会いたいな)


無性に、彼の顔が見たくなった。

彼なら、絶対に、あんな目で私のことを見たりしない。

ぶっきらぼうで、シャイで、鈍感だけど。

世界で一番、優しい瞳で、私のことを見てくれるから。





部活が終わり、俺と陽菜は並んで家路についていた。

夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。


「今日の練習、どうだった?」

「まあまあかな。陽菜は?」

「私も、まあまあ。結構、良い感じだったよ」


お互いの練習内容を報告し合う。これも、俺たちの日常だった。

一日中、あいつのことを考えていたなんて、お互いに知りもしないで。


「そういえば、神崎、最近陽菜に声かけてないか?」


健太から聞いた話だ。

俺は平静を装いながら、陽菜に尋ねた。


「え? あぁ、うん。部活の時とか、たまに」

「あいつ、しつこいだろ。なんかされたら、ちゃんと言えよ」

「ふふっ、なにそれ。カケルが守ってくれるの?」

「……当たり前だろ」


俺が真剣な声で言うと、陽菜は少し驚いたように目を見開き、そして、嬉しそうにふわりと笑った。

その笑顔を守るためなら、俺はなんだってできる。 そう、本気で思った。


俺たちの関係は、まだ「幼馴染」という境界線の内側にある。

でも、その境界線が、少しずつ溶け始めているのを、俺も、そしてきっと陽菜も、気づき始めていた。







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